木村林太郎さんがMCで、「ようこそ、たどり着いてくださいました」と言っていたが、実際、会場の Eggman Tokyo East があるはずの道に曲がった時には、一度道を間違えたかと、もう1本先をうかがったぐらいだった。ビジネス街というにはいささかくたびれてはいるがオフィスビルが並んでいて、生活や文化の匂いがまったくない。そういうところを通って、しかし中に入ると一種不思議な熱気に、そこだけぽっかりと地中にあいた「妖精の丘」の下にある宮廷にでも迷いこんだけしきだ。

 先日の高円寺 Grain のライヴで木村さんからこういうイベントがあります、と言われて初めて気がついた体たらくで、今日の本番は売切れていたが、昨日の「前夜祭」はまだ余裕があるとのことで、とにかく村上さんを生で聴けるというのでライヴのダブル・ヘッダーになったものの、まず行って良かった。

 木村さんのMCによれば、このフェスティバルの言い出しっぺは村上さんだが、実際に動いたのはどうやら木村さんらしい。音楽家としても一流だが、オーガナイザーとしても相当なもので、これだけの面子を揃えて、小さい会場とはいえ、満員にしたのは立派だ。当然、次回以降への期待も大きくなるが、まず大丈夫だろう。

 「アイリッシュハープ」と銘打たれてはいるが、昨夜もウェールズやブルターニュのようなハープの盛んな地域はもちろん、コーンウォールや北欧、さらにはオリジナルと、性格も肌触りも多彩なレパートリィが披露されたのは、伝統からは一度離れている強味ではある。向こうでも、国際的なハープ・フェスティヴァルなどでは多彩な音楽が聴けるだろうが、一組のミュージシャンが多彩なレパートリィを披露するのはあまりなかろう。そうしたレパートリィが重なることで、各地域の代表がそれぞれに奏でるのとはまた違った、一段とからみあったレゾナンスが湧きあがる。

 それにして、同じタイプのハープ、しかも時にはメーカーまで同じ楽器を使いながら、それぞれに鮮やかな個性を見せてくれたのは面白かった。

 ハーパーズ・カフェのお二人は、とにかくハープを弾くのが好きで好きでたまらない、という様子が初々しい、というと失礼かもしれない。一方で、レパートリィの幅の広さでは一番貪欲だし、響きの異なる2台のハープ、22弦と29弦とのことだが、これを重ねることで生まれる音のズレを増幅するアレンジも周到だ。このデュオをこの Eggman のような、距離の近いところで聴けたのは幸運でもあった。広いホールではなく、まさにリビングのようなところで、お茶をいただきながら聴く午後を過ごしてみたい。そうそう、溝の口の Birdland Cafe のようなところで聴ければ最高だ。あそこは紅茶ではなくコーヒーだが。

 木村林太郎さんのデュオ、ラノッホは、まさに妖精の扮装で現われた。Grain での素顔も良かったが、たしかにこうした演出がぴったりはまる。ちょっと世離れしたところが、このデュオにはある。木村さんのヴォーカルは、故ミホール・オ・ドーナルを思わせるところがあるな、と昨日は思った。表面和らかいが、奥には確固たる芯がぴんと通っている。そしてどんな時にも変わらない温もりを発する。菅野さんはクラシックの方と聞いていたが、木村さんのハープによく合う。このお二人も、あまり広くないところで、じっくりと聴いてみたい。

 hatao & Nami のナミさんは今回はハープだけだが、前回聴いた時よりもハープが遙かにうまくなっている。というと生意気のようだが、前回はまだメインはあくまでピアノで、ハープは「余技」あるいは修行中のようなところがあった。今回は楽器が体の一部になっている。こうなると彼女のセンスの良さが存分に発揮されて、ハープがまるで別の楽器に聞こえる。これまでこの楽器からは聴いたことがないように思えるくらい、新鮮に響く。まあ、前回はわざと隠していたのかもしれない。今度はハープをメインに造っているというセカンド・アルバムは実に楽しみだ。

 そして「真打ち」村上淳志さん。生で聴くかれのハープは想像をはるかに超えて繊細だ。ダンス・チューンをやっても、とてもそうは聴こえない。というよりは、それは人間が踊るための音楽ではなく、フェアリーやレプラコーンのような、別世界の住人たちが踊るための音楽なのだ。もともとハープはダンス・チューンを演奏するための楽器ではなかった。それが始まったのはせいぜいが1970年代で、モイア・ニ・カハシーたちの功績ではあるが、その過程でハープが置き去りに、という表現が乱暴なら、棚上げにしてきた繊細さを、村上さんのハープは再度とりもどそうとしているようでもある。神話ではならぶ者のないハープの名手、長い腕のルーはその演奏で、神々を踊らせ、泣かせ、そして眠らせた、というその神々を踊らせたのはこういうハープではなかったか。ご本人が意図したことではなく、むしろ性格の反映なのかもしれないが、かれがハープに出会ったのは、天の配剤かもしれない。またそこには、本物の芸術家が見せる「途上感」がある。今でもトップのレベルだが、ここで終わりではなく、これからまだまだ先がある、という感覚だ。かれがさらに精進と経験を重ねたその先に聴かせるものを聴いてみたい。それを聴くためだけになんとか生き延びたい。そう思わせられる。

 もっと短かいのかと思っていたら、それぞれたっぷり時間をとり、終演は22時を回っていた。たまたま出口のそばにいた hatao さんにだけ挨拶してあわてて帰途につく。「前夜祭」だけでこの充実ぶりとすれば、本番はいったいどうなるのか。今回は行けないが、「第2回」を期待しよう。(ゆ)