『アイルランド音楽 碧の島から世界へ』刊行記念イベント第2回にご来場いただきました皆様、まことにありがとうございました。お楽しみいただけましたでしょうか。ぼくはすっかりアガってしまって、肝心なことは抜かすし、つながりは切れてしまうし、お聞きぐるしかったのではないかと反省しております。とまれ、バンドの演奏がすばらしかったのは何よりでした。

 アイリッシュ・ミュージックは聴くにも、演るにも、あるいは踊るにも敷居が低く、すなおに入っていける音楽です。その点ではクラシックやジャズはもちろん、いわゆるポップスやアニソンよりもさらに敷居は低いと思います。

 なぜなら、アイリッシュ・ミュージックは押しつけがましいところがないからです。買ってもらおうとか、芸術をやるんだとか、あるいはこの音楽を演っている自分を見てくれ、聴いてくれ、という姿勢がありません。

 音楽は演っている人が一番楽しいと言われますが、アイリッシュ・ミュージックではそれが特にあてはまります。それは娯楽、ビジネスとしてのエンタテインメントではありません。自分たちはめいっぱい楽しんでいる、それを一緒に楽しむのは大歓迎、演奏が良いと思ったら、ギネスの一杯もおごってくれ。明日の朝食のパンをくれれば最高だ。

 どんな姿勢で聴いてもかまいません。寝っころがってもいい。おしゃべりはもちろん、赤ん坊がわんわん泣いても気にしません。アイリッシュ・ミュージックは人を拘束しないのです。

 たとえば、これから聴きはじめるのに、誰を何を、どういう順番で聴かなければならない、なんてこともありません。今回はたまたまぼくが最も重要と考えるミュージシャンたちとその録音の演奏を時系列にしたがって聴いていただきました。それによって見えてくることがあると思ったからですし、聴いていただく価値があると考えられるミュージシャンや録音をすべて演るわけにもいかないからです。でもこれがベストの選択や順番であるわけではありません。他のもっと地味な人たちでも、順番の途中をすっとばしても、逆から、現在から遡っても、あるいはシャッフルしても、全然かまいません。

 そうして聴いていかれる時に、今回のミュージシャンたちやぼくのコメントや、演奏する姿や音が何らかのヒントになって、より深く楽しむことができれば、あるいはさらに探索を続け、奥に入っていかれるときのお役にたてれば、ぼくらとしては本望です。

 アイリッシュ・ミュージックは敷居が低い音楽です。その一方で、懐の深い、どこまでいっても果てのない世界でもあります。入れば入るほど、さらに魅力的な音や風景が現れてきます。それはもう豊饒そのもの、沃野であり、楽園です。

 その沃野にわけいり、楽しみ、収獲を得ようとすると、敷居はそう低いままではいてくれません。アイリッシュ・ミュージックは人を拘束しませんが、同様に、手取り足取り案内することもしてくれません。ぼくらは自分で道をみつけ、楽しめるところを探し、収獲する方法を知らなければなりません。異なる文化、異なる伝統に育った人間にはそう簡単なことではありません。

 この本はそうしたとき、道案内になるかもしれません。ぼくは道のないところをうろうろすることが好きです。アイリッシュ・ミュージックの世界をうろつくことはことに好きです。そうしてあちらこちらほっつき歩いて見つけたこと、宝物が埋まっているところやおいしい果物の成っているところ、すばらしい景色の見える丘やルートを、ここに書きつけてみたわけです。

 アイリッシュ・ミュージックの沃野をうろつくことは簡単ではないとはいえ、そこは別にアブナイところではありません。命をとられる恐れがあるわけでもない。財布は多少薄くなるかもしれませんが、コストパフォーマンスという点ではこんなに高いものはそうそうない。ですから、道案内なんかいらないとマイペースでうろつかれることをまず薦めます。それでも、道案内があれば、ぼくなどが行けなかったところまで、ずっと深く広く、行くことができるかもしれませんし、ぼくにはわからなかったそれは美しい御花畑が開けるかもしれません。

 ぼく自身は今度のイベントをやらせていただいたおかげで、ほんとうにたくさんのことを学びました。それはもう、ただ録音やライヴを聴いたり、本を読んだりしただけではまずわからないことばかりです。あまりに多すぎて、すぐには消化できないくらいです。このイベントを一緒に楽しもうとご来場いただいた皆様に心より御礼もうしあげます。

 イベントを企画し、推進してくれたトシバウロン、そしてすばらしいミュージシャンの方々に重ねて感謝申し上げます。

 イベントのきっかけとなったこの本を改訂してリブートすることを企画されたアルテスパブリッシングの鈴木さん、ほんとうにありがとう。

 サラヴァ東京のスタッフの皆さん、ありがとうございました。

 ぼく自身、うろつくことはまだまだ続けます。まあ、生きているかぎり、こんな楽しいことはやめられません。いずれまた、そのご報告をどこかでできるかもしれません。(ゆ)