長崎・伊王島に伝わるうたを今、島でうたえるのは最年少95歳、最年長104歳の人びとと松田さんは言った。これらのうたは消滅するぎりぎりのところで新たなうたい手にひき継がれ、うたい継がれることになった。これを「縁」とよぶべきだろうか。

 確かに「縁(えにし)」には違いない。あるいは「縁」とは、本来こういうつながりを呼ぶことばなのか。もともと何のつながりも無かった人と人がうたに引き寄せられる。

 うたが松田美緒という特定の存在を探していたわけではないだろう、とも思う。一方で一度うたい手の中に落ちつくと、うたはそのうたい手の器にふさわしく成長する。昨夜はその成長ぶりがまざまざと現れていた。

 このトリオでのライヴを見聞するのは本の刊行直前、昨年12月の杉並でのライヴ以来。その間、一度、松田さんと渡辺さんの二人だけで下北沢でトーク&ライヴの形では見ていたが、やはりトリオでの、あくまでも音楽主体のコンサートは格別だ。そしてほぼ1年ぶりに聴くクレオールな日本語のうたたちは、りっぱに成長して、それぞれに見事な姿になっていた。

 前回ではうたたちはようやく新たな宿主、というのはまずいか、憑代はどうだろう、まあパートナーを得て、とにかくひと安心というところだった、と今の姿を聴いて思う。あの時はすばらしいと感じたのだが、まだあらためて生まれでたばかりの赤ん坊だった。それから1年ライヴを重ね、それにつれてうたも国内の各地を旅してきた。うたい手とうたわれた土地からエネルギーを吸いあげて、うたは十分に熟成している。本来の姿をとりもどしている。

 本来の姿、とはいっても、かつてうたわれていた姿とは異なるはずだ。いまの、この姿は、今の時空で、これらのうたたちに最もふさわしい姿なのだ。それも松田美緒といううたい手の中で熟成しているので、別のうたい手がうたえば、別の姿を現すだろう。

 そう、これらのうたは松田さん以外のうたい手にもうたわれて欲しい。本来の姿というならば、それこそが本来の姿といえるだろう。いろいろな人たちに、プロもアマもなく、それぞれの場所でそれぞれのうたい方でうたわれて欲しい。別に日本語ネイティヴのうたい手である必要もない。松田さんがポルトガル語のうたをうたうように、日本語のうたをポルトガル語ネイティヴがうたうのも聴いてみたい。クレオールとはそういうことでもあるし、世界中がシャッフルされている、今の時代にふさわしくもある。

 クレオールといえば、松田さんのうたう声がそもそもクレオールではないか、と昨夜気がついた。数曲、ポルトガル語のうたも披露されたし、『クレオール・ニッポン』に収められたうたの中にも、ポルトガル語の詩やうたが織りこまれたものもある。そのポルトガル語をうたう声と、日本語をうたう声が同じなのだ。そして、この声は他の日本語のうたのうたい手たち、すぐ思いつくのは木津茂理さんや柳原陽一郎氏あたりだが、こういう人たちとは違う。推測ではあるが、この声は松田さんがポルトガル語のうたをうたう中で探りあて、鍛えてきたのではないか。それはポルトガル語ネイティヴの声とも異なる。日本語とポルトガル語が混在し、融合し、たがいに浸食しあってできあがってきた声。どちらにも属さない、新たな次元で響く声。ある定まった声なのではなく、常に揺れうごきながら、それ自体が旅をしている声。『クレオール・ニッポン』が日本語のうたを解放することに成功しているのは、このクレオールな声によってうたわれていることが大きい。

 昨夜のうたたちは、いまの、この時点での姿だ。1年後、あるいは5年後にはまたおそらくは全く別の姿、別のうたに変わっているだろう。昨夜は「新曲」も披露された。こうしてレパートリィが増えてゆくにつれて、前からうたわれているうたたちもまた変わるだろう。

 ピアノの鶴来正基、打楽器の渡部亮のお二人も、松田さんとともにしっかりトリオになっていた。というのは、お二人の演奏もまた、伴奏のレベルは軽く超えて、うたの一部になっている。うたの不可欠の要素として溶け込んでいる。

 松田さんの声にはもうひとつ不思議なところがあって、声が口から出てくるように聴こえない。松田さんの体を中心とする空間から響いてくる。目をつむって聴いていると、前方の空間全体から響いてくる。うたい手個人というよりも、トリオが織りなす空間が有機体、1個の生きものとなり、そこから響いてくる。

 人がそこにいて、うたう。ただ、それだけのことがいかにすばらしいか。人とはうたう生きもの、うたって初めて人は人となる。人が人として生きてゆくために、うたは欠かせない。あらためてそう思いしらされた夜だった。(ゆ)