2番目にダーヴィッシュのメンバーが出てきたとき、反射的に浮かんだのは、うわあ、みんな年とったなあ。キャシィ・ジョーダン以外は全員頭が真白。例外は最年長ブライアン・マクドノーでほとんど頭髪がない。
無理もない。かれらももうそろそろ四半世紀やっている。マクドノーは70年代からやっている。こっちだけが年をとっているわけでもない。もっとも、その後のアルタンの方が一見若く見えたのは、ダーヴィッシュの若い頃を見ていて、しかもその間をほとんど見ていないからだろう。さらに、かれらの前に出たウィ・バンジョー3が若かったせいもある。
そのウィ・バンジョー3のショーマンぶりに煽られたか、演奏そのものに老化現象はかけらもない。むしろ、うまさの点では、やはりダーヴィッシュに一日の長がある。それは単純にテクニックが上ということではない。うわべだけのうまさではない、音楽の本質に深くわけ入り、楽曲の美しさ楽しさエネルギーを、より生に近い姿で取出し、放っている、という感じがある。聴いているこちらのカラダの奥に直接届くように思える。
その点はアルタンも同じで、この2つをこうして続けて聴けるのは、ケルクリならではの恩恵だ。2つのバンドの相似と相違が鮮やかにわかる。
ケルクリならではといえば、アンコールでマレードとキャシィが並んで〈きよしこの夜〉をうたうのを見て聴けたのは、あの時あの場にいた者だけだろう。あたしにとってはこれがハイライトだった。マレードのアイルランド語版もすばらしかったが、キャシィがおなじみの歌詞をあの独特の節回しでコブシをまわし、ちょっと不思議な音程を延ばしてうたったのには背筋がぞくぞくした。ダーヴィッシュに対する唯一の不満は、おかげでキャシィがソロを出さないことだ。
こちらも久しぶりに見る(マレードは6年ぶりと言っていた)アルタンは、これまたよく見ればみんな年をとっている。マレードは不思議に年齡を感じさせないが、キアラン・カランはたしかあたしより少し上のはずで、椅子にすわっている(ダーヴィッシュの男性は全員立っていた)。が、それよりも老人の顔になっていたのはキアラン・トゥーリッシュだ。なんか、滑舌もよくないんじゃないか。と思ったのは、あたしの耳がおかしいのだろうが、全体の姿はカラン以上に年を感じさせる。ダヒィ・スプロールの方がトゥーリッシュより年上のはずだが、真白な頭の割りには年齡を感じさせない。
音楽は成熟そのもので、若いアコーディオン、それもピアノ・アコーディオン奏者が入って、サウンドがより立体的になっていた。この蛇腹奏者はキアラン・トゥーリッシュの従弟だそうで、このあたりは伝統の厚みじゃのう。それにしても、マレードの声がまた不思議で、あの《北の調べ》で聴ける声と全然変わらない。
今回の眼玉は先頭に出たウィ・バンジョー3であるわけだが、アイルランドからこういうバンドが出てきたことはあたしなどにはたいへん面白い。そのエンタテイナーぶりは他の追随を許さないところがある。全盛時のチーフテンズなら対抗できただろうか。もっともその動機となると、チーフテンズとは対極にあるようにあたしには思える。
もちろんチーフテンズとは天の時も地の利も違うので、単純に比べるのはどちらに対しても失礼ではある。ウィ・バンジョー3は今のアイリッシュ・ミュージックのステイタスを前提にしているので、まったく何も無いところから開拓したチーフテンズの業績に載っかっているともいえる。一方でチーフテンズの手法や姿勢をよく研究して、チーフテンズのやり方を21世紀にふさわしい形でエミュレートしてもいる。MCを全部日本語でやってのけたのは、その証の一つではある。
ウィ・バンジョー3がチーフテンズの単なるフォロワーになっていないのは、かれらにはやってみたいことがあり、それを実現するため、自分たちの実験を受け入れられやすくするためにエンタテイナーに徹しているところと、あたしは見る。その実験とはアイリッシュ・ミュージックをブルーグラスのスタイルで解釈し、それによって使用するリズムをより多様に、より自由度の高いものにしようとすることだ。ジグやリールの曲の「姿」はそのままに、ビート感を変えてゆく。
ジグやリールは単に8分の6拍子とか4分の4とかいうだけではない。それぞれにある型、メロディや構造にあるパターンがある。あるいは自然にそうなっている。
そこでかれらはジグやリールや、あるいはポルカやスライドといった伝統的なリズムから脱出しようとしている。しかもなおアイリッシュ・ミュージックとしても聴けるようにしながら、だ。レゲエのようなまったく別のリズムにのせることはこれまでも多々ある。ウィ・バンジョー3がめざしているのはそうではなく、もっと本質的で難しいが、成功すればはるかに面白い試みだと思う。
そして、あるレベルまでは来ているとも見える。しかし、それを真正直にやってしまうと、当然反発が大きい。伝統とはそういう風に働く。そこでエンタテインメントとして提示する。リスナーを巻き込む。お祭りにしてしまう。
まあ、30分ほどのステージを見ただけだから、これはほとんど妄想に近いかもしれないが、いくらかでも当たっているならば、ここまで徹底的にやろうとしたバンドはこれまでに無い。アイリッシュ・ミュージックの遊び、音楽的な遊びの面をここまで前面にうちだした音楽家たちはいなかった。
かれらはその気になれば、ごりごりの伝統音楽もできる。あたしはエンダ・スカヒルしか聴いたことはないが、他の3人もおそらく伝統音楽家として十分以上の実力があるはずだ。だからこそ、こういう遊び、実験を思いつき、実行することができる。
あれが十年も二十年も続けられるとは思えないが、しかし実験をエンタテインメントにしてしまうあの姿勢が続けられるならば、とんでもないものが生まれてくることも期待できる。ウィ・バンジョー3にはチーフテンズをただ継ぐのではなく、その先へ、大胆で楽しい実験による伝統音楽の刷新へ突き進むことを期待する。
おなじみピラツキ兄弟のダンスにも一層年季が入って、かれらのダンスは見ていて本当に楽しい。タップだけでなく、あの脚の動きをあそこまで合わせるのは凄い。今回、たまたま席が左手二階バルコニーの先頭という面白いところで、ここはステージを間近に見下ろせる。おかげでかれらの脚の動きがよく見えたのはラッキー。ここには前から一度座ってみたかったので、この点でも満足。
それにしても、トリフォニー・ホールは三階席まで満員。アルタンの新譜は早々に売り切れ、終演後のサイン会は長蛇の列。アイリッシュ・ミュージックもここまできたか。それともケルクリは特別なのか。いずれにしてもめでたいことではある。会場では来年のケルクリのチラシも配られていた。2016年12月3日(土)。ミュージシャンはシャロン・シャノン、チェリッシュ・ザ・レディース(ついに!)、ドリーマーズ・サーカス。最後のはデンマークの新進。おもしろいよ。
今年は忙しい。ケルクリでは終らない。自分がかかわるイベントが2つあるし、行くことが決まっているライヴは3本。さらに1、2本増えそうだ。ウィ・バンジョー3にどんと背中をどやされた気分。(ゆ)
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