ジョージ・R・R・マーティンがそのブログ Not A Blog でやはりローカスの推薦作品リストをとりあげている

 そうそう、マーティンも指摘している通り、ローカスのリストから漏れた優れた作品はまだまだあるはずだ。

 ところで今年のヒューゴーについて昨年末来、いろいろ書いている。

 昨年は Puppygate でヒューゴーは大揺れに揺れ、結果「受賞作なし」が続出したわけだが、長篇賞は中国の劉慈欣『三体』の英訳(翻訳は Ken Liu)が受賞し、一方、Sad Puppy が送りこんだ候補作はすべて最下位かそれに近い形で落選して、かれらの意図はみごとに裏切られる結果となった。マーティンはワールドコンの会場で「ヒューゴー落選者パーティー」を開いて、意地を示した。

 Sad Puppy は今回も従来通り、ヒューゴーの投票を仲間うちの集団投票で乗っ取る意志を表明しているが、マーティンによればどうやら様相がいささか変わっている

 Sad Puppy はごく狭い価値観の上に書かれた作品群を候補作に送りこみ、引いては受賞させることを狙っているわけだが、かれらのウエブ・サイト上にはおそろしく広い範囲の価値観を代表する作品が候補の候補として上げられ、これまでのような誹謗中傷や罵詈雑言は影を潜めて、それらの作品について真剣で活発な議論が行われている。俎上に載せられた作品の中には、Puppy たちがもともとヒューゴーから排除しようとした傾向の作品も多数含まれている。とすれば、昨年の二の舞になる可能性は低くなるのではないか。

 そしてマーティンはヒューゴーのノミネートに参加することを薦める。それにはワールドコンのメンバーになる必要があるが、来年のヘルシンキ大会の会員にもノミネート権はある。そしてできれば今年の大会のメンバーになって投票しよう、と呼びかける。それも自分の意見として、誰か他人の指示に従って投票するのではなく、自らの判断のもとに投票しよう、と呼びかける。

 つまり、サイエンス・フィクション、ファンタジィ、そしてそのファンダムの健康にとっては多様性の確保、できるだけ幅の広い、奥の深い多様性を確保拡大してゆくことが何より重要である、という認識だ。サイエンス・フィクションという現象が多様性の確保拡大への志向から生まれていることの確認でもある。そして現行のモダン・ファンタジィは、サイエンス・フィクションを生んだ幻想文学からよりも、サイエンス・フィクションから枝分かれしたものではある。

 ここで興味深いのは、Sad Puppy への対策として、これを隔離し、排除しようとはしないことだ。それでは Sad Puppy と同じことをやることになる。逆にそこでの議論に積極的に参加し、具体的な作品の推薦や議論を通じて、かれらが当初意図したことを換骨奪胎してしまおうという動きが見える。いやそれは言いすぎかもしれない。換骨奪胎することは二次的な結果であって、そういう結果が生まれることを期待はしても、第1の目的にはしていない。第1の目的は議論すること、議論を通じて相手の認識を変えようということだ。価値観の合わない人間たちは排除するという Sad Puppy の行為の根源にある認識を変えようとする。狭い視野と認識に閉じこもるよりもより多様な様々な価値観が共存する方がおもしろいではないか、と提案し、その認識の共有をめざす。すべてのサイエンス・フィクションに通底する主張ないし目的があるとすれば、それは多種多様な、時には異様なまでに異なった価値観が共存することのおもしろさを示すことである。

 もっとも言わせてもらえば、それはすべての芸術、サイエンス・フィクションのみならず、文学のみならず、およそ芸術活動とされるすべての行為の根源的な目的ではある。サイエンス・フィクションはその提示、多様性を生みだす契機として現代の科学とテクノロジーを利用する。そこがあたしにとっては他の芸術活動よりもより身近に切実に感じられ、したがっておもしろい。


 そうしてマーティンは自分もヒューゴーを受賞する価値があると考える作品をあげている。かれはこれらの作品をノミネートしようと言ってはいない。これらがノミネートに値するかどうか、確認するだけの価値はある、と言う。それが推薦作品リストのあるべき姿であり、ローカスのリストはそのお手本とも言う。これまでのところ Best Editor: Long Form, Dramatic Presentation の Long Form と Short Form、Graphic Story、Related Works、それに Professional Artists について書いている。その余白に2冊の長篇を挙げている。

NEMESIS GAMES, James S. A. Corey
SEVENEVES, Neal Stephenson

 James S. A. Corey は Daniel Abraham と Ty Franck のデュオのペンネームで、この作品は Expanse シリーズの5冊め。うわ、また読まねばならぬシリーズが増えたぞ。シリーズ第1作 LEVIATHAN WAKES, 2011 はヒューゴーにノミネートされ、ローカス賞ではベストSFの第5位。『巨獣めざめる』として中原尚哉訳が出ている。第2作 CALIBAN'S WAR はローカスで第5位、第3作 ABADDON'S GATE はローカス・ベストSF賞受賞、第4作 CIBOLA BURN はローカス第8位、といずれも好評だが、ヒューゴーにはこれまで縁が無い。

 Neal Stephenson の方は17冊めの長篇。スティーヴンスンはこれまで3冊邦訳があるが、今世紀に入ってからのものは邦訳されていない。

 関連書籍も2冊。
 
THE WHEEL OF TIME COMPANION, ed. by Harriet McDougal, Alan Romanczuk, and Maria Simons
YOU'RE NEVER WEIRD ON THE INTERNET (Almost), A Memoir, by Felicia Day

 フェリシア・デイの回想録はまあまず邦訳は出ないだろう。36歳で回想録、というのもちょと早すぎるような気もするが、ひょっとして10年ごとくらいに何冊も書くつもりかも。

 『「時の車輪」コンパニオン』も邦訳はおそらく出ない。当然のことながらネタバレのオンパレードだから、これはあのシリーズのファンのためのもので、それも全部読んだ人のためのもので、さらに何度も読んでいる人のためのものだ。まったく本篇を読んだことのない人間には、あるいは少なくとも半分くらいまでは読んでいないと、これは役には立たないだろう。その代わり、熱心なファンにはこたえられまい。本篇では明らかにされていない、あるいは曖昧なままになっていることなども、ジョーダンのノートなどからかなり詳しく書かれてもいるらしい。

 最新の記事では Best Editor: Long Form をとりあげる。これは編集者の中で書籍、長篇の編集者が対象だ。Short Form が雑誌編集者になる。

 編集者は表に出ない。わが国でも近年は編集担当を奥付に明記する本も増えているが、まだまだ黒子としての存在であることが本分とされる。編集者として評価されるのは例外的な存在だ。アメリカでも事情は同じで、Tor が本に担当編集者の名前を付けだしたのも、ここ2、3年だ。そこで一部の有名人に投票が集中することになり、ヒューゴーの中でもこの部門は前身も含め、同一人物の連続または複数受賞が多い。現在のような区分になり、書籍編集者が受賞しはじめると、他の部門にはない慣行ができる。受賞が2、3回重なると、それ以後、候補にあげられることを永久に辞退する。これは初期の受賞者であるデヴィッド・G・ハートウェルが始めたが、それ以後の受賞者たちにも受け継がれている。この部門は一種の功労賞になっているわけだ。普段あまり評価されることのないところで重要な仕事をしている人たちなのだから、照明があたるチャンスをなるべく大勢の人びとに拡げたい、というのはわかる。

 ところが、昨年は Puppygate のあおりを食って、この部門は「受賞者なし」になった。マーティンに言わせれば、この部門の昨年の候補者はいずれも受賞に値する人たちだったから、これはいささか「不当」な扱いになる。今年はしっかり候補を見定めて、投票すべきはちゃんと投票しよう、と呼びかける。

 こういう部門、とりわけ編集者はマーティンのようなプロでないとわかりづらい。Locus の消息欄を丁寧に追いかけていれば名前や所属は多少ともわかるだろうが、普段の仕事ぶり、誰を担当し、何を編集しているかまではなかなかわからない。ここで名前のあがっている人たちには、今後とも注目しよう。

 その他の部門についてはそれぞれの記事を参照。