Spectrum 23 の最終候補が発表になっている。
1993年に創設されたファンタジーを意図した絵画と彫刻を顕彰する賞。一昨年から Flesk Publications の John Fleskes が賞のディレクターとなった。選考は選考委員会による。受賞作は5月上旬の授賞式で発表。
最終候補は
ADVERTISING
BOOK
COMIC
DIMENSIONAL
INSTITUTIONAL
UNPUBLISHED
の六つのカテゴリーで計40本。力作揃い。上記サイトはヴィジュアルが多い割に重くないので、ぜひご覧になるべし。
Horror Writers Association がアラン・ムーアとジョージ・A・ロメロに生涯業績賞を授与すると発表している。授賞式はブラム・ストーカー賞と同じく5月中旬、ラスヴェガスでのストーカーコン。
どちらも文字よりもヴィジュアルの分野で活動してきた人を小説家の団体が顕彰するのはおもしろい。
ローカスはじめこれまで発表になった各賞の候補のどれにも入っていないものが4篇。
年刊傑作選では最長老のドゾアのものの内容も公表されていた。
独自のセレクションが9篇。
クラーク、ストラハン、ドゾアの3冊に共通して収録されているのが4篇。
"Another Word for World", Ann Leckie
"Botanica Veneris: Thirteen Papercuts, Ida Countess Rathangan", Ian McDonald
"Calved", Sam J. Miller これはアシモフ誌読者賞の候補でもある。
"Capitalism in the 22nd Century", Geoff Ryman
クラークとストラハンで重なるものが1篇。
"A Murmuration", Alastair Reynolds
クラークとドゾアで重なるのが7篇。
"Gypsy", Carter Scholz
"Bannerless", Carrie Vaughn
"No Placeholder for You, My Love", Nick Wolven
"Hello, Hello", Seanan McGuire
"Today I Am Paul", Martin L. Shoemaker これはネビュラの候補。
“Meshed", Rich Larson
“The Audience", Sean McMullen
ストラハンとドゾアで重なるのが3本。
"City of Ash", Paolo Bacigalupi
"Emergence", Gwyneth Jones
"The Game of Smash and Recovery", Kelly Link
ストラハンでネビュラの候補と重なるものが4篇。
"The Pauper Prince and the Eucalyptus Jinn", Usman T. Malik
‘Waters of Versailles", Kelly Robson
"The Deepwater Bride", Tamsyn Muir
"Hungry Daughters of Starving Mothers", Alyssa Wong これはブラム・ストーカー賞の候補でもある。
ドゾアのベストでネビュラと重なるのは上記シューメイカーの1篇だけ。
クラークのベスト収録作品でネビュラ候補と重なるのは
"Cat Pictures Please", Naomi Kritzer
“Damage", David D. Levine
の2篇。後者はローカスのリストにも入っていない。
ヒューゴーの候補として考えられるのはまずこのあたりということになる。
それにしてもこの Kelly Robson は注目だ。昨年初めて一気に5篇を発表し、そのうち1篇がネビュラの候補、ドゾアとクラークのベストに1篇ずつ収録。いずれもローカスの推薦リストにある。当然ジョン・W・キャンベル新人賞の候補にも入ってくるだろう。ウエブ・サイトの写真ではなかなかチャーミングな女性だが、ヘテロの人には残念ながら同性のパートナーがいるそうだ。そちらも新進のSFF作家。ともにカナダ出身。
ヒューゴー長篇のノミネートをするために、ネビュラの候補にもなっているアン・レッキーの Imperial Radch 三部作の完結篇 ANCILLARY MERCY を読むために、第一部 ANCILLARY JUSTICE を読みはじめた。急がば廻れ。周知のようにこれはかつて巨大軍艦の AI だったものが ancillary と呼ばれる人間の肉体を使った分身のひとつに封じこめられた存在の一人称だが、語り手は人間をすべて女性代名詞で指す。そのうえで必要な場合には対象が male であることを明示する。これを邦訳ではどう処理しているのか、読みおわったら確認してみよう。
この女性代名詞の件は公式サイトの FAQ でジェンダーの意味は含めていないと著者がことわっている。ラドチャアイ語ではジェンダーが無く、英語では有る。したがって英語に翻訳する場合には何らかのジェンダーを付けねばならない。とはいうものの、女性男性どちらでもよかったならばなぜ女性を選んだか、ということは残る。そこに必要以上の意味を読もうとするのは本筋から外れるかもしれないが、しかし英語で読む場合、女性代名詞が生む効果は無視できない。また、「元」の言語にジェンダーがないという設定によって英語ではジェンダーがあることが浮き彫りになる。
日本語にもジェンダーは有る。当然ながら、英語におけるジェンダーの現れ方とは異なる。そこで女性キャラクターの台詞を邦訳する際のいわゆる「女ことば」の処理は翻訳者にとっては大問題だ。両性の台詞の言葉づかいを全く同じにすると、日本語の文章語としては不自然になることが多いのだ。
そして語り手 Breq のジェンダーは自分にはおそらくわからないと著者は言う。それはこの物語にとっては重要ではなく、そして代名詞ではこちらを選んだために、はっきりさせる必要がなくなったからだ。というのが著者の回答。つまり、Breq のジェンダーがどちらであってもこの物語は成立する。ジェンダーが無いということもありうる。(ゆ)
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