トマス・フラナガン Thomas Flanagan を知ったのは New York Review of Books のニュースレターだった。そこでそのエッセイ集 THERE YOU ARE: Writing on Irish & American Literature and History, 2004 を知り、読んでみた。検索してみるとこの本が出ている。シェイマス・ヒーニイが序文で触れているのはこれだった。
わが国ではミステリ作家として知られている。というよりもミステリ作家としてしか知られていない。本国アメリカでは逆にミステリを書いていたことはほとんど知られていない。まず第一にアイルランドの文学と歴史の泰斗であり、次に近代アイルランドを描いた歴史小説三部作の作者であり、それがすべてだ。
1949年から1958年にかけて、26歳から35歳にかけて、フラナガンは7本の短篇を EQMM に発表している。そのうち2本は当時同誌が行なっていた年次コンテストでトップになっている。この時期かれは修士と博士をとったコロンビア大学の准教授だった。どこで読んだか忘れたが、これらの短篇は家賃を払うために書かれたという説があるが、分量からしても、当時の身分からしても、冗談ととるべきだろう。
ちなみに『アデスタを吹く冷たい風』文庫版解説およびウィキペディアの記事では、「カリフォルニア大学バークレー校の終身在職教員」とあるが、母校 Amherst College ウエブ・サイトのバイオグラフィによれば、バークレーにいたのは1978年までで、78年から96年まではニューヨーク州立大学ストーニーブルック校の教授を勤めている。96年に教職から引退してからバークレーに住み、執筆に専念した。
4人の祖父母はいずれもアイルランドはファーマナ出身の移民だった。かれは移民三世になる。上記エッセイ集 THERE YOU ARE の表紙に使われた写真は24歳の時のフラナガンで、タバコを加えて見下ろしているのは、コロンビアの大学院生というよりは、アイルランド系マフィアの鉄砲玉だ。
今、翻訳で読んでも、ジャンルに関係なくなかなか優れた作品と思うが、アメリカでは全く忘れられていて、単行本にもなっていない。アイルランドを舞台とした長篇三部作はテレビにもなり、ベストセラーだったが、短篇がまったく顧られないのは、形式や狙いが異なるとはいえ、いささか不思議でもある。ヒーニィの言及が無ければ同名異人かと思うほどだ。
長篇第一作 The Year of the French (1979) のテレビ・ミニシリーズ版 (RTEとフランスのテレビ局の合作、1982) の音楽を担当したのがパディ・モローニで、この音楽をチーフテンズでやったアルバムもある。チーフテンズは、ミュージシャンとして「出演」もしている。
作品の初出を調べようと思って検索してみたが、EQMM の全てを網羅した Index はみつからない。唯一見つかったものも不完全で The Fine Italian Hand と The Cold Winds of Adesta しか載っていない。わかった限りのデータを発表順に書いておく。
玉を懐いて罪あり The Fine Italian Hand, 1949-05
アデスタを吹く冷たい風 The Cold Winds of Adesta, 1952; 1969-07(再録)
良心の問題 The Point of Honor, 1952
獅子のたてがみ The Lion's Mane, 1953
うまくいったようだわね This Will Do Nicely, 1955
国のしきたり The Customs of the Country, 1956
もし君が陪審員なら Suppose You Were on the Jury, 1958-03
どれも言葉のトリックだ。何をどう書くか、そしてより重要なことには書かないかの工夫によって読者の意表をつく。だからなおさらこれは原文で読みたくなる。韻律やダジャレなどに頼るものではないから、翻訳でも十分楽しめるが、原文にはおそらくより微妙な遊びやひっかけがあるはずだ。
もっともミステリとは畢竟言葉のトリックではあろう。すべての手がかりが読者の前にそろっている、わけではない。
すぐれたミステリはみなそうだろうが、これもまた謎解きだけがキモではない。謎が解けてしまったらそこでおしまいではない。むしろ、あっと思わされてから、頭にもどって読みなおしたくなる。それには周到な伏線だけでなく、むしろその周囲、ごく僅かな表情やしぐさの描写の、さりげないが入念な書込みがある。細部を楽しめるのだ。
もう一つの魅力は舞台の面白さで、これはとりわけテナント少佐ものに顕著だ。軍事独裁政権下の探偵役、それも型破りで有能な人物はそれだけで魅力的だ。つまりサイエンス・フィクションやファンタジィ同様、設定自体がキャラクターの一つになっている。ランドル・ギャレットの「ダーシー卿シリーズ」と同様の形だ。テナント少佐はダーシー卿に比べればずっと複雑な性格で、おそらく読みかえすたびに新たな面、新たな特性に遭遇することになるだろう。ダーシー卿の場合、あの世界全体の表象として現れているので、かれ個人の側面は薄い。テナント少佐の世界は現実により近いので、世界を説明する必要はない。それだけ個人のキャラクターに筆を割ける。これが長篇ならば別だが、中短編の積み重ねで世界を作ってゆく場合には世界設定と個人のキャラクターとしての厚みと深みはトレードオフになる。
テナント少佐が住み、働いている「共和国」は Jan Morris 描くところの Hav を思わせる。地中海沿岸のヨーロッパのどこかであること、出入口がほとんど鉄道1本であることが共通するが、それだけではない。時代からとり遺された感覚、ノスタルジアとアナクロニズムの混淆、そして頽廢の雰囲気。現代の時空にそこだけぽっかりと穿いた穴。そして奇妙に現代の世界を反映するそのあり方。歪んでいるが故にかえって真実を映す鏡。真実の隠れた部分が拡大されて映る鏡。
この国はかろうじて危うい均衡を保っていて、テナント少佐自身がまたその中で危うい均衡を保っている。しかし、現実というのはどっしり安定して動かない、などということはおそらくあったとしてもごく稀で、たとえば極盛期清朝のように、一見磐石に見えても実際には危うい均衡を保っているだけなのだ。磐石に見えれば見えるほど、それは崩壊の瀬戸際にある。これらの物語は、テナント少佐の綱渡りを描いてもいて、その緊張感が面白さを増すのは、ふだん見えない、見ないようにしている危うさが眼前に現れるからだ。
テナント少佐を支えるものは何であろうか。将軍の先も長くないことだろうか。といってとって代わって政権をとる意志も能力も自分には無いことはわかっている。そういう意味では、テナント少佐についてはもっと読みたかった。コロンビアからバークレーに移ってからは著者は短篇を書くことはなかった。フラナガンのなかでは学者、教育者としての側面とともに小説家としての存在も消しがたくあったのだろうが、そのエネルギーは長篇執筆に向けられた。短篇を書くほどの余裕は無かったのかもしれない。
しかしここに現れた短篇作家としての力量は中途半端なものではない。EQMMはじめダイジェスト版の雑誌に書いている作家によくいる、一定の水準は超えるが、突破した傑作は書けない職人とも一線を画す。ジョイスに傾倒し、初めてダブリンを訪れた際には、空港からホテルまでのタクシーの中で、ジョイスに関係のある場所を残らず指摘してみせたという伝説の持主であれば、ここに『ダブリン市民』の遠い谺を聞き取ることも可能だろう。もし本気で作家として身を立てようとしたならば、おそらくは後にかれがその批評の対象としたような作家たちに肩を並べていただろう。あるいはこれらの作品を書いたのが家賃稼ぎというジョークがジョークではなく事実だったとしたら、つまり生活のために小説を書かねばならなかったとしたら、シルヴァーバーグのように作家として大成していたかもしれない。名門アマースト大学を出て、コロンビアで博士号をとるとそのまま教授陣に加わる頭脳と才覚の持主だったことがはたして本人にとって、そして世界にとって幸福なことだったか。本人はおそらく幸福だったのであろう。しかし、世界はおかげでより貧しくなった。
この7本をミステリ・ファンがどう読むかは知らない。本国では忘れられたその作品を独自に集めてハヤカワ・ミステリの1冊として出したところを見れば、正当な評価をしている。しかし、その本は復刊希望で多くの票を集めながら、長いこと品切れのままだった。
実際、どれもストレートな形の「ミステリ」ではない。殺人事件の解決もあるし、どれも謎解きがメインテーマだ。しかし、「ミステリ」と言われて一般の人が思い浮かべるものからはずれている。謎解きはあくまでも中心の推進剤だが、作者の関心はむしろ謎のよってきたるところに置かれている。なぜ、こんな謎が生じるのか。事件を誰が起こしたかよりも、なぜ生じたか。当然それは作者が生きている時空に起きていることにつながる。探偵が現れて活躍するための事件ではなく、事件は起こるべくして起こり、探偵はいやいやながら、やむをえず介入する。事件は日常的で、それだけ切実だ。
一方でどれにもゲームの匂いがある。ある厳密なルールにしたがって書いてみて、どういうものが出てくるか、試しているようにもみえる。その点でぼくの読んだかぎり最も近いのは中井英夫の『とらんぷ譚』の諸篇だ。
こうなってくるとやはり長篇を読まざるをえなくなる。1798年、ウルフ・トーンの叛乱からアイルランド独立戦争までを描く三部作。小説という形で初めて可能な歴史の真実の提示がどのようにされているか。NYRB版で合計2,000ページ超。(ゆ)
わが国ではミステリ作家として知られている。というよりもミステリ作家としてしか知られていない。本国アメリカでは逆にミステリを書いていたことはほとんど知られていない。まず第一にアイルランドの文学と歴史の泰斗であり、次に近代アイルランドを描いた歴史小説三部作の作者であり、それがすべてだ。
1949年から1958年にかけて、26歳から35歳にかけて、フラナガンは7本の短篇を EQMM に発表している。そのうち2本は当時同誌が行なっていた年次コンテストでトップになっている。この時期かれは修士と博士をとったコロンビア大学の准教授だった。どこで読んだか忘れたが、これらの短篇は家賃を払うために書かれたという説があるが、分量からしても、当時の身分からしても、冗談ととるべきだろう。
ちなみに『アデスタを吹く冷たい風』文庫版解説およびウィキペディアの記事では、「カリフォルニア大学バークレー校の終身在職教員」とあるが、母校 Amherst College ウエブ・サイトのバイオグラフィによれば、バークレーにいたのは1978年までで、78年から96年まではニューヨーク州立大学ストーニーブルック校の教授を勤めている。96年に教職から引退してからバークレーに住み、執筆に専念した。
4人の祖父母はいずれもアイルランドはファーマナ出身の移民だった。かれは移民三世になる。上記エッセイ集 THERE YOU ARE の表紙に使われた写真は24歳の時のフラナガンで、タバコを加えて見下ろしているのは、コロンビアの大学院生というよりは、アイルランド系マフィアの鉄砲玉だ。
Thomas Flanagan
New York Review Books
2004-11-30
今、翻訳で読んでも、ジャンルに関係なくなかなか優れた作品と思うが、アメリカでは全く忘れられていて、単行本にもなっていない。アイルランドを舞台とした長篇三部作はテレビにもなり、ベストセラーだったが、短篇がまったく顧られないのは、形式や狙いが異なるとはいえ、いささか不思議でもある。ヒーニィの言及が無ければ同名異人かと思うほどだ。
長篇第一作 The Year of the French (1979) のテレビ・ミニシリーズ版 (RTEとフランスのテレビ局の合作、1982) の音楽を担当したのがパディ・モローニで、この音楽をチーフテンズでやったアルバムもある。チーフテンズは、ミュージシャンとして「出演」もしている。
作品の初出を調べようと思って検索してみたが、EQMM の全てを網羅した Index はみつからない。唯一見つかったものも不完全で The Fine Italian Hand と The Cold Winds of Adesta しか載っていない。わかった限りのデータを発表順に書いておく。
玉を懐いて罪あり The Fine Italian Hand, 1949-05
アデスタを吹く冷たい風 The Cold Winds of Adesta, 1952; 1969-07(再録)
良心の問題 The Point of Honor, 1952
獅子のたてがみ The Lion's Mane, 1953
うまくいったようだわね This Will Do Nicely, 1955
国のしきたり The Customs of the Country, 1956
もし君が陪審員なら Suppose You Were on the Jury, 1958-03
どれも言葉のトリックだ。何をどう書くか、そしてより重要なことには書かないかの工夫によって読者の意表をつく。だからなおさらこれは原文で読みたくなる。韻律やダジャレなどに頼るものではないから、翻訳でも十分楽しめるが、原文にはおそらくより微妙な遊びやひっかけがあるはずだ。
もっともミステリとは畢竟言葉のトリックではあろう。すべての手がかりが読者の前にそろっている、わけではない。
すぐれたミステリはみなそうだろうが、これもまた謎解きだけがキモではない。謎が解けてしまったらそこでおしまいではない。むしろ、あっと思わされてから、頭にもどって読みなおしたくなる。それには周到な伏線だけでなく、むしろその周囲、ごく僅かな表情やしぐさの描写の、さりげないが入念な書込みがある。細部を楽しめるのだ。
もう一つの魅力は舞台の面白さで、これはとりわけテナント少佐ものに顕著だ。軍事独裁政権下の探偵役、それも型破りで有能な人物はそれだけで魅力的だ。つまりサイエンス・フィクションやファンタジィ同様、設定自体がキャラクターの一つになっている。ランドル・ギャレットの「ダーシー卿シリーズ」と同様の形だ。テナント少佐はダーシー卿に比べればずっと複雑な性格で、おそらく読みかえすたびに新たな面、新たな特性に遭遇することになるだろう。ダーシー卿の場合、あの世界全体の表象として現れているので、かれ個人の側面は薄い。テナント少佐の世界は現実により近いので、世界を説明する必要はない。それだけ個人のキャラクターに筆を割ける。これが長篇ならば別だが、中短編の積み重ねで世界を作ってゆく場合には世界設定と個人のキャラクターとしての厚みと深みはトレードオフになる。
テナント少佐が住み、働いている「共和国」は Jan Morris 描くところの Hav を思わせる。地中海沿岸のヨーロッパのどこかであること、出入口がほとんど鉄道1本であることが共通するが、それだけではない。時代からとり遺された感覚、ノスタルジアとアナクロニズムの混淆、そして頽廢の雰囲気。現代の時空にそこだけぽっかりと穿いた穴。そして奇妙に現代の世界を反映するそのあり方。歪んでいるが故にかえって真実を映す鏡。真実の隠れた部分が拡大されて映る鏡。
この国はかろうじて危うい均衡を保っていて、テナント少佐自身がまたその中で危うい均衡を保っている。しかし、現実というのはどっしり安定して動かない、などということはおそらくあったとしてもごく稀で、たとえば極盛期清朝のように、一見磐石に見えても実際には危うい均衡を保っているだけなのだ。磐石に見えれば見えるほど、それは崩壊の瀬戸際にある。これらの物語は、テナント少佐の綱渡りを描いてもいて、その緊張感が面白さを増すのは、ふだん見えない、見ないようにしている危うさが眼前に現れるからだ。
テナント少佐を支えるものは何であろうか。将軍の先も長くないことだろうか。といってとって代わって政権をとる意志も能力も自分には無いことはわかっている。そういう意味では、テナント少佐についてはもっと読みたかった。コロンビアからバークレーに移ってからは著者は短篇を書くことはなかった。フラナガンのなかでは学者、教育者としての側面とともに小説家としての存在も消しがたくあったのだろうが、そのエネルギーは長篇執筆に向けられた。短篇を書くほどの余裕は無かったのかもしれない。
しかしここに現れた短篇作家としての力量は中途半端なものではない。EQMMはじめダイジェスト版の雑誌に書いている作家によくいる、一定の水準は超えるが、突破した傑作は書けない職人とも一線を画す。ジョイスに傾倒し、初めてダブリンを訪れた際には、空港からホテルまでのタクシーの中で、ジョイスに関係のある場所を残らず指摘してみせたという伝説の持主であれば、ここに『ダブリン市民』の遠い谺を聞き取ることも可能だろう。もし本気で作家として身を立てようとしたならば、おそらくは後にかれがその批評の対象としたような作家たちに肩を並べていただろう。あるいはこれらの作品を書いたのが家賃稼ぎというジョークがジョークではなく事実だったとしたら、つまり生活のために小説を書かねばならなかったとしたら、シルヴァーバーグのように作家として大成していたかもしれない。名門アマースト大学を出て、コロンビアで博士号をとるとそのまま教授陣に加わる頭脳と才覚の持主だったことがはたして本人にとって、そして世界にとって幸福なことだったか。本人はおそらく幸福だったのであろう。しかし、世界はおかげでより貧しくなった。
この7本をミステリ・ファンがどう読むかは知らない。本国では忘れられたその作品を独自に集めてハヤカワ・ミステリの1冊として出したところを見れば、正当な評価をしている。しかし、その本は復刊希望で多くの票を集めながら、長いこと品切れのままだった。
実際、どれもストレートな形の「ミステリ」ではない。殺人事件の解決もあるし、どれも謎解きがメインテーマだ。しかし、「ミステリ」と言われて一般の人が思い浮かべるものからはずれている。謎解きはあくまでも中心の推進剤だが、作者の関心はむしろ謎のよってきたるところに置かれている。なぜ、こんな謎が生じるのか。事件を誰が起こしたかよりも、なぜ生じたか。当然それは作者が生きている時空に起きていることにつながる。探偵が現れて活躍するための事件ではなく、事件は起こるべくして起こり、探偵はいやいやながら、やむをえず介入する。事件は日常的で、それだけ切実だ。
一方でどれにもゲームの匂いがある。ある厳密なルールにしたがって書いてみて、どういうものが出てくるか、試しているようにもみえる。その点でぼくの読んだかぎり最も近いのは中井英夫の『とらんぷ譚』の諸篇だ。
こうなってくるとやはり長篇を読まざるをえなくなる。1798年、ウルフ・トーンの叛乱からアイルランド独立戦争までを描く三部作。小説という形で初めて可能な歴史の真実の提示がどのようにされているか。NYRB版で合計2,000ページ超。(ゆ)
Thomas Flanagan
NYRB Classics
2004-10-31
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