合唱には原初的と言いたくなる魅力がある。原初からハーモニーがあったはずはない。しかし少しずつ音をずらして重ねるとおそろしく気持ちよい響きになることをヒトはどこかで発見した。ハーモニーが気持ちよく響く、聞えることは、ヒトの生物としての根源に関わっているにちがいない。
地球上の音楽にあってハーモニーは特殊だ。ヨーロッパの発明ではある。少なくともヨーロッパで最も精妙に発達している。しかしヨーロッパ以外に生まれ育った人間にとっても、ヨーロッパ流のハーモニーを聞けば気持ちがいい。
とはいえアウラはハーモニーそのものを重視する、あるいはむしろそれに依存する形からは離れている。アウラの音楽にあってはアレンジもハーモニーと同じくらい重要だ。ともすればハーモニー以上に重要になる。5人の声がきれいにハモる場面というのはごく少ない。最も効果的に、つまり美しく響く箇所に、切札として使われる。
アウラのコンセプトは本来はハーモニーを前提としない音楽にアレンジによってハーモニーをつけ、元来のものとは別の美しさ、気持ちよさを引き出すことにある。ハーモニーを前提とする音楽でも、器楽曲を声で演奏することで、別のタイプのハーモニーを可能にし、楽器演奏とは異なる美しさ、気持ちよさを生み出す。どちらも通常の演奏では表に出ない、隠れている美しさを聞かせようとする。
アカペラと呼ぶのは当然として、これを「クラシック」と言えるかと疑問を抱く人も少なくないのではないか。
クラシックかどうか、そんなことはどうでもよろしい、本人たちがそれをどう呼ぼうとよい音楽であればいいのだ。といえばその通りだが、あたしはそこでふと立ち止まる。今クラシックと呼ばれているヨーロッパの古典音楽、17世紀以降、ヨーロッパ市民社会の音楽として発達した音楽は、もともと隠れている美しさを表に出そうとする試みだったはずだ。
そう言ってしまえば、芸術という営為がそもそも隠れている美を表に出そうとする試みではある。というより、そういう試みを芸術と呼ぶわけだ。すなわちそこには冒険や実験が必然的に伴う。ならばアウラがやっていることは、まさにクラシックの王道に他ならない。
アウラのハーモニーが、たとえばウォータースンズやオドーナル姉妹のものと異なるのは、そこに科学が関わるところだ。クラシックは科学から生まれている。科学から生まれた文学がサイエンス・フィクションなら、クラシックはサイエンス・ミュージックと呼ばれるべきだ。
ウォータースンズや、グルジアやサルデーニャのアカペラ・コーラスは、無数の人びとが長い時間をかけて試行錯誤を繰り返しながら、うたい手と聴き手の双方にとって最も気持ちのよい音の組み合わせをさぐり当ててきたその現在形だ。その姿はゆっくりと、連続的に変化している。
クラシックではそれを科学を用いて解決する。編曲者は職人ではなく、エンジニア、今ならむしろプログラマだ。大胆な実験も厭わず、量子的に変化する。アウラはその最先端にいる。
アルトの星野典子が復帰し、池田有希が参加して、組み合わせが新しくなったので、コンサートにも「ブランニュー」というタイトルがついていた。録音ではさんざん聴いているが、ライヴは初めてなので、こちらもブランニューな耳だ。
モーツァルト「トルコ行進曲」からいきなり沖縄民謡、「ずいずいずっころばし」、宮沢賢治ときて、ルネサンス、フォーレ、チャイコフスキー「花のワルツ」までが前半。後半は富山、会津、北関東の民謡からケルト系という構成。
おもしろいことにというか、当然なことにというか、ハーモニー前提のフォーレが一番つまらない。というと語弊があるかもしれないが、あたしの耳にはべつにアウラがうたわなくてもいいじゃん、と聞える。
アウラの手法が最もうまくハマっていたのは「ずいずいずっころばし」と「花のワルツ」だとあたしには聞えた。前者ではこのうたの底を流れる切迫感がちょうどいい強さでにじみ出ていた。後者はまああたしの大好きな曲ではあるしね。これを聴くと、ヴィヴァルディの《四季》で1枚アルバムを作ったように、《くるみわり人形》の組曲で1枚作ってほしいと思う。
ケルト系はアウラのスタイルに合うと思うが、あたしとしてはもう一歩踏み込んでほしい感じがある。隔靴掻痒とまではいかないが、とことんまでやったという感じではない。使える音が少ないとかのケルト系ならではの性質を活かしきれていないか。あるいは、なつかしさのようなセンチメンタリズムにひきずられているのか。それこそヴィヴァルディやモーツァルトを相手にするのと同様、真向から斬り込んではどうだろう。
などと細かいことは後から思ったことで、聴いている間は、たっぷり2時間、ひたすら気持ちよかった。背筋がぞくぞくしたのも一度や二度ではない。サルデーニャの Tenore di Bitti の時同様、ひたすら人間の声のハーモニーだけで他になにもない、というのには独特のすがすがしさがあって、まったく飽きない。昼間かなり歩きまわっていたので、いささかくたびれ気味で、ひょっとすると気持ちよくて寝てしまうかなと思ったが、まったく眠くならず、終ってみれば気分爽快。元気になっていた。
会場は虎ノ門のJTの本社になるのか、高層ビルの2階。256席の室内楽専門ホール。3階分くらいの高い天井。フロアは水平だが、ステージの高さがうまく作ってあるのか、ミュージシャンの姿は後ろでもよく見える。土曜日の夜とて、周囲はひとけがない。歩いている人は皆、このコンサートの聴衆と思える。
アウラの次のライヴはクリスマス、会場は白寿ホールとなると、こりゃあやはり行かねばなるまいのう。(ゆ)
アウラ Aura
畠山真央
池田有希
菊池薫音
奥脇泉
星野典子
コメント