昨日は下北沢のB&Bでの「アイリッシュ・ハープ入門 アイルランドのハープを見る・聴く・知る」にご来場いただき、ありがとうございました。

 昨年春に上梓しました『アイルランド音楽──碧の島から世界へ』の刊行記念として始めたこのイベントも通算7回目となりました。ありがたいことです。毎回、教えられることが多くて、送り手のはずのぼくらが一番楽しんでいるんじゃないかとも思えますが、音楽はそういうところがどこかについてまわります。ぼくなども聴くだけで十分楽しいのですが、実は演奏している人が一番楽しいわけです。

 今回の講師の村上淳志(むらかみ・じゅんし)さんはふだんはダブリンに住んでらっしゃるので、アイリッシュ・ハープの「現在」まっただ中で活動されているわけで、そのあたりの活きの良さが、他の回とはまた違った面白さをかもし出していたと思います。

 ハープはアイリッシュ・ミュージックの中でもやや特異な位置にあります。なんといってもまず楽器が美しい。会場に入って村上さんが楽器をケースから取出した瞬間、会場のスタッフから「ほおお」というため息とも嘆声ともつかぬものがあがりました。楽器は本来音が出てナンボのはずですが、ハープだけはその姿が美術品にもなります。「ブライアン・ボリューのハープ」が博物館に飾られているのは、必ずしも歴史的な意義、価値からだけではないでしょう。

 また美しさだけでなく、アイリッシュ・ハープのサイズも魅力のひとつだろうと思います。グランド・ハープよりもぐっと身近なサイズです。一方、現在の主流である34弦のものは、かわいいと言えるほど小さくはない。しっかりとした存在感があります。

 ハープはまずアイルランドの歴史の上でシンボルとなってきました。今でも国の紋章とされて、硬貨にも刻まれています。楽器が国の紋章になっているのは、世界でもアイルランドぐらいではないでしょうか。

 もともとハープはアイルランドの社会でとても高い地位にありました。ハーパーは詩人でもあり、その詩は氏族社会の歴史を語り、氏族のアイデンティティを保つ役割を果たしていました。他の楽士たちは一段下で、ハーパーは特別席を与えられていました。

 時代が下るにつれ、この氏族社会がゆるみ、崩れてゆくとハーパーの地位も下がってきます。カロランの時代、18世紀前半には、ハーパーはお抱えというよりは貴族の館をツアーし、貴族のために音楽をつくり、演奏するようになっていました。かれらはまた外界のニュースをもたらすメディアとしての役割もはたします。

 そして19世紀に古来からの氏族社会が消滅するにしたがい、ハープの伝統は一度途絶えます。代わって社会の最上位となったプロテスタントの地主階級たちが抱えたのは、イリン・パイパーでした。

 アイリッシュ・ミュージックのなかで伝統が一度完全に切れたのはハープだけです。1792年の Belfast Harp Festival などのおかげで、楽曲だけは残ってきましたが、それをどう演奏したのか、左手の使い方はどうだったのか、はまったくわかりません。現在復興されているのは、残された記録や情況証拠、あるいは論理的必然などを重ねて推測されたものです。

 ハープはその歴史的経緯から、アイリッシュ・ミュージックのレパートリィの圧倒的な部分を占めるダンス・チューンを演奏しませんでした。単純に「考えられないこと」だったのです。これはスコットランドのハイランド・パイプにあって、ダンス・チューンの演奏は「余技」、ceol beag = small music と呼ばれて、一段低く見られていたことに通じます(ちなみにでは「本曲」ceol mor = big music は何かというと、それがpiobaireachd ピブロックです。ピブロックとは何かというと話が長くなるので、それはまた別の機会に)。

 第二次世界大戦後にハープは劇的に復興しますが、それで演奏されたのはまず歌の伴奏であり、次にカロラン・チューンでした。ダンス・チューンが演奏されはじめるのは1980年代はじめです。

 もう一つ、ハープが特異なのは、ソロで演奏されることが圧倒的に多いことです。ハープはピアノの中の弦を外に出して縦にし、指で弾く(本当はハープが先で、ピアノが後ですが)形ですから、両手を使って1台でメロディとリズムが完結できます。さらに音量が他の楽器に比べて小さいことがあります。ハープが入ったアンサンブル、バンドはごく例外です。チーフテンズとクラナドと Dordan ぐらいでしょう。また、ハープの録音でも、他の楽器と共演することは例外に属します。

 その特異な性格にもかかわらず、ハープもまたアイリッシュ・ミュージック全体の盛り上がりによって、こんにち演奏者もレパートリィも格段に増えています。セッションに参加することも珍しくなくなってきました。かつての特殊な地位から、ようやく「普通の楽器」になってきた、と言えるかもしれません。

 一方で、ハープの魅力、なかんづく、その音色の繊細な美しさは、他の楽器にはないすっきりとした品位を備え、高貴な薫りをかもし出します。おそらくこれからも新たな奏法やスタイルが生みだされ、アンサンブルへの参加も増え、新しい魅力が現れるにちがいありません。

 こうした流れを昨日は音源でたどってみました。

Mary O’Hara (1935-)
The Leprechaun from 1958, SONGS OF IRELAND
 メアリ・オハラは1950年代末、ハープを伴奏としたうたによって国際的なスターになりました。天才肌の人で、クラシックの声楽の訓練を受けていますが、アイルランドの伝統歌をそのスピリットのままにうたいました。個人的に今回最大の発見でした。もっとクラシック寄りの人にみえて、まともに聴いたことがなかったのですが、村上さんに薦められてあらためて聴いて仰天した次第。まずシンガーとして第一級で、とりわけこの初期の録音はすばらしい。正規の訓練を受けたことは良い方に作用し、うたを型にはめるのではなく、その美しさをストレートに伝えています。

 ハープの演奏も革新的で、たとえばこの曲ではうたのメロディとは異なるメロディを弾き、ハーモニクスなども効果的に採り入れています。

 オハラによって長い間眠っていたハープが桧舞台に引き出され、あらためて注目をあびたのでした。

Down By the Glenside-Songs of Ireland
Mary O'Hara
Essential Media Afw
2011-10-24



The McPeake Family (= Kathleen)
The Derry Hornpipe from 1962 from WILD MOUNTAIN THYME
 マクピーク・ファミリーはベルファストの音楽一家で、1960年代、アイリッシュ・ミュージック不毛の時代に多くの録音を残し、音楽伝統、とりわけイリン・パイプの伝統をノーザン・アイルランドで伝えました。

 そのスタイルは独特で、2本のパイプをユニゾンにしてうたの伴奏をします。ハープはこれにコードでビートをつけています。このハープはピアノの動きをそのまま適用したものですが、パイプとハープの組み合わせはこんにちにいたるまで、他に例がありません。チーフテンズでも、この二つだけという組み合わせはありません。

 一見プリミティヴに響きますが、よく聴くとかなり練り上げた、洗練された音楽をやっています。かれらによってもハープの存在は光を当てられました。

ワイルド・マウンテン・タイム
ザ・マクピーク・ファミリー
ライス・レコード
2010-04-25

 


Grainne Yeats (1940-2008)
Fanny Power from 1992, THE BELFAST HARP FESTIVAL
 第二次世界大戦後のアイルランドでハープが復興する立役者がこの人。記録を渉猟し、試行錯誤を重ねて、かつてのハープの演奏法を推測しました。こんにちの、とりわけ金属弦のハープ演奏はこの人が推測したものを受け継いでいます。

 アイリッシュ・ハープには金属弦、ガット弦、ナイロン弦、そしてカーボン・ファイバー弦があります。また半音を出して、様々なキーの曲を1台で演奏できるようにする機構についても、いろいろな方式があります。こうした構造上の話も昨日は村上さんがかなり突っ込んで話されました。

 このCDは、ベルファスト・ハープ・フェスティヴァル200周年を記念してリリースしたもので、このフェスティヴァルに集まったハーパーたちのレパートリィを録音しています。

 このフェスティヴァルは正式には Belfast Harpers' Assembly と呼ばれ、1792年4月23日に開かれました。当時、消える寸前になっていた放浪ハーパーの伝統を憂えたベルファストの有志がアイルランド全土のハーパーに呼びかけ、一堂に集めようとしたものですが、様々な理由から集まったのは11人、うち一人はウェールズのハーパーでした。このうちアイリッシュの10人の演奏した曲が楽譜に記録されました。当然クラシックの慣習、理論に従った形で採譜されていますし、右手のメロディのみですが、その希少性から、こんにちのハープ音楽の基礎資料になっています。

Belfast Harp Festival
Grainne Yeats
Gael Linn
1994-05-16

 


Derek Bell (1935-2002)
Fanny Power from 1975, CAROLAN'S RECEIPT
 世界で最も有名なアイリッシュ・ハーパーでしょう。デレクによってアイリッシュ・ハープの存在を知り、その音楽に触れた人はひじょうに多い。

 デレクはまたカロラン復興の一方の立役者でもあります。この1975年のLPは、全篇カロランの曲だけで構成された初めての録音でもあります。

 今回は同じ曲をグローニャ・イェーツと聞き比べてみました。デレクの演奏がクラシックの語法に則り、メロディを構成する音と音の間に装飾音を入れるよりも、メロディそのものの変奏を主体にしているのがよくわかります。

Carolans Receipt
Derek Bell
Cladd
2011-11-29

 


Maire Ni Chathasaigh (1956-)
The Flax In Bloom; Lough Allen; McAuliffe’s from 1988, THE LIVING WOODS
 アイリッシュ・ハープでダンス・チューンを演奏することを始めたパイオニアがモイア・ニ・カハシーです。おそらく1970年代末から始めていたと思われますが、その成果が明確な形で世に出たのは1985年のLP《THE NEW STRUNG HARP》でした。当時これを聴いたときの新鮮な衝撃は忘れられません。

 ダンス・チューン演奏の要諦のひとつは装飾音の入れ方ですが、モイアはこれをパイプの演奏から学んでいます。

 アイリッシュ・ミュージックにおいて装飾音の入れ方の標準、お手本となるのがパイプであるのは面白いところです。他の楽器、フィドルやフルート、アコーディオンはパイプの装飾音を模倣する、エミュレートする傾向が明瞭に見られます。

Living Wood
Chathasaigh Maire Ni
Black Crow (UK)
1994-09-05

 


Laoise Kelly (1973-)
Compliments To Sean Maguire; The Saratoga; President Garfield’s from 1999, JUST HARP
 1999年のこのCDでリーシャ・ケリーが登場したとき、まずそのジャケットの笑顔にノックアウトされました。彼女の登場がハープに与えた衝撃はシャロン・シャノンが登場したとき、アイリッシュ・ミュージックに与えた衝撃に相当します。それまでフォーマルな、ほとんどいかめしいという印象だったハープの雰囲気ががらりと変わり、明るくはじけた、楽しいものになったのです。

 村上さんによれば彼女の演奏は誰の影響も見えない、まったくユニークなもので、楽器も現在主流のレバー式ではなく、古いブレード式のものを使っているそうです。ベース弦を積極的に活用するスタイルは奔放で、そのダンス・チューン演奏はほとんどクラブ・サウンドと呼びたいくらいです。

 彼女は教えるのは苦手と公言していもいる由ですが、その影響はむしろこれから出てくるかもしれません。

Just Harp
Laoise Kelly
Claddagh
1999-02-22

 


Michael Rooney
Land’s End from  2006, LAND’S END
 いま現在、主流となっているハープ演奏のスタイルを確立したのがこの人。もともとは Janet Harbison の教え子の一人ですが、ハーパーとしてはまさに出藍の誉れ、師を完全に超えてしまった例です。

 ルーニィは十度奏法と呼ばれる、左手を開いて十度の和音を出すのを多用するスタイルを編み出し、これが現在、若いハーパーがこぞって採用するようになっています。

 もう一つこの人が凄いのは作曲の才能で、ハープのために作曲したその曲が数多く、アイリッシュ・ミュージック広く一般のレパートリィとして採り入れられています。セッションの場でも普通に演奏される、というのは、ばりばり現役の人では他にはリズ・キャロルくらいでしょうか。


 ハープはこうして見ると、アイリッシュ・ミュージックの流れのなかでは、バゥロンよりもブズーキやギターよりも新しいと言えるかもしれません。村上さん自身は、マイケル・ルーニィの影響をやはり受けていますが、そこから脱出して、自分なりのスタイルを編み出そうと努力されているそうです。かれの演奏はアイルランドではちょっと聴いたことのない繊細さを備えていて、ルーニィと並ぶ一方の雄になる可能性は十分もっていると思います。演奏者としてのこれからの活躍を大いに期待します。

 来年4月9日には第3回のハープ・フェスティヴァルが東京で開かれる予定です。村上さんはじめ、わが国のハーパーたちが一堂に会する楽しいイベントです。また今回はスコットランドからトップ・ハーパーの一人 Rachel Hair がその親友 Joy Dunlop とともに来日します。スコットランドのハープは clarsach と呼ばれることが多いですが、楽器そのものはアイルランドのものと同じです。スコットランドでは現在アイルランド以上にハープは盛り上がっています。そのベストを直接体験できます。公式サイトがまもなく立ち上がるそうですので、乞うご注目。


 このアイリッシュ・ミュージックの楽器シリーズは次はフィドルを予定しています。時期はまだ未定で、たぶん来年春。フィドルはなんといってもアイリッシュ・ミュージックのメイン楽器なので、いろいろ大変ではありますが、それだけまた楽しみでもあります。(ゆ)