ジョンジョンフェスティバルのワンマン・ライヴをちゃんと見た覚えがどうも無い。確かプラスの形で、複数のアクトの一つとして見たことがある気がする。3人だけの、本来のトリオで見たのは、あるいはカナダで見たのが初めてだったかもしれない。
カナダでの演奏はどれもすばらしかったが、長くて30分なので、さあこれから、というところで終るという、やや欲求不満になる感じは否めなかった。こちらもやはり興奮しているので、フラストレーションが溜まってしかたがないというところまではいかないし、2日間で4本のステージは少なくはなかった。それでも、時間をかけて初めて現れる姿というものはある。とりわけ、たっぷり聴いた、堪能した、という満足感。むろん、出来がすばらしければ、それだけもっともっとと欲求も募る。しかし、そういう時、本当に満足するなんてことはありえなくなる。
スケールが大きくなっている。カナダでも演奏のスケールの大きなことには感服したのだが、さらに一枚剥けた感じがする。個々のミュージシャンとしても、バンドとしても、カナダの時よりも深みが増し、密度が濃くなっている。おもしろいのは、その一方で新鮮な、ほとんど初々しいと言いたくくらい、生まれでたばかりの無邪気さもある。普通はこうなると成熟とか風格とかいった表現を使いたくなるが、これらの言葉は今のジョンジョンフェスティバルにはふさわしくない。
昨夜とりわけ感心したのはまずうた。〈By the Time It Gets Dark〉でのコーラスでのじょんとアニーの声のハモりにぞくぞくする。〈思ひいづれば〉でのじょんコブシがまたいい。力がよい具合に抜けていて、声が自然にゆらゆらと廻る。重力とちょうど釣合がとれて、どの方向にもするすると動いてゆく。
例えばドロレス・ケーンのような意味でじょんが一級のシンガーとは言えないかもしれないが、どうやら最適の発声法を掴んだようにもみえる。そうなると、一級のシンガーにも無い浮遊感があらわれる。いわゆるクルーナーのようなリスナーを引きずりこもうという下心もない。しかし、いつの間にか、聴く者の心の襞にするりと入りこんでいる。
アニーのハーモニーもそのじょんの声によく合っている。あるいはこれも合わせているのだろうか。二人だけなのに、もっとたくさんの声が響いているようでもある。
ジョンジョンフェスティバルはじっくり聴かせるところと、熱く乗せるところの使いわけがうまい。うまいというよりも、人間離れしている感じだ。3人がおたがいにぐるぐる猛スピードでつむじ風を巻きながら、すっ飛んでいくときでも、どこかで冷静なコントロールが利いている。
いや、ちょっと違うようでもある。3人とも完全にキレていて、どうにも止まらなくなっているのは明らかなのだ。じょんの顔には、押えようとしても押えられない笑顔が現われて消えない。向う側に行ってしまっている。同時にそのバンドを冷静に見ているもう一つのバンドがすぐ裏の次元にいるらしい。もう一つのそのバンドの存在を、3人は意識しない。バンドがいることはわかっているのだろう。しかし、存在そのものを感じてはいない。そうした意識が忍びこむ余地もなくなっているのだ。
そしてそのもう一つの冷静なバンドにするりと入れ替わる。それはもうするりと、スイッチが切り替わるのではなく、自然に入れ替わる。
昨夜はそのことが見えたようだ。一度見えると、同じことがカナダでも起きていたのだとわかる。ただ、昨夜の方がより入れ替わりがスムーズだし、二つのバンドの差が大きい。
これに似たことはラウーが来たときもあったのだが、ラウーでは3人とも表情が冷静だ。内実はわからないが、外見ではクールそのものだった。音楽の白熱とのその落差が面白かった。
ジョンジョンフェスティバルは外見もイッてしまっている。どこへ行くのか、端から見れば心配になるかもしれない。しかし、その音楽に一体化していると、どこへ行こうとまるで気にならない。そんなことはどうでもいい。そして、ジョンジョンフェスティバルはちゃんと元のところへ戻してくれるのだ。
求道会館は生音がすばらしいが、昨夜は200人満員ということでPAが入っていた。その様子はちょうどカナダのケルティック・カラーズと同じだった。使っているスピーカーも同じで、あるいは他も同様のものかもしれない。同様に音はすばらしく良かった。
それにしても、立ち見の人もいて、しかも皆さんお若い。あたしはたぶん最年長だったろうが、嬉しいことではある。土曜ということもあったし、クリスマス・イヴでカップルで来ていた方もいたのか、若い男性も多かった。ちょっとおとなしいかなあというところもなきにしもあらずだが、あるいは大人なのかな。それにしても、わが国の聴衆はスタンディング・オーヴェーションというものをしないねえ。あれはなかなかいいもんだと思うんだが。
新作CDもたくさん売れたようで、サイン会も長蛇の列で、なかなか終りそうもないので、一足先に失礼させていただいた。出てくると、近くの教会の前で、蠟燭をもってキャロルをうたっている人たちがいた。まったくクソったれと悪態のひとつもつきたくなる2016年の年の瀬だが、いのちの洗濯をしてもらって、なんとか年を越せそうだ。ジョンジョンフェスティバルの3人、そしてこのコンサートを支えてくれたすべての人びとに心から感謝。あなたがたの上に、祝福あれ。(ゆ)

コメント
コメント一覧 (1)
飲まないで最後までというのもなかなか珍しい。(見る側も)
休んでいる時期を待っていた人も急かすわけでもなく
また自然と集まれる。
小さくても大きくても、変わらずに続いて行くのかもしれない。