今回ほど強烈にスコットランドの音楽にひたったことは無かった。
これまでにもスコットランドのミュージシャンは何組も来ている。遙か太古の時代のボーイズ・オヴ・ザ・ロックのアリィ・ベイン、ずっと下ってシーリス、カパーケリー、ナイトノイズの一員として来たジョン・カニンガム、ラウーのエイダン・オルーク、最近ではチーフテンズに同行したアリス・マコーマック、チェリッシュ・ザ・レディースのシンガーとして来たハンナ・ラリティ。
The Celtic Connections にも一度行った。ディック・ゴーハン、アーチー・フィッシャー、ブライアン・マクニール、コリーナ・ヘワット、ダギー・マクリーンもそこで見た。
それぞれに強烈な体験だったが、アイリッシュとのジョイントであったり、スコティッシュだけの時にも聴いているものがこれはスコットランド音楽であるぞとどこかで意識していた、と振り返ってみて思うのである。
一つにはこちらの感覚がようやく追いついてきたこともあるのだろう。アイリッシュとスコティッシュの違いが自然に、感覚としてわかるようになってきた。それにはまたいろいろな要因があるけれど、『アイルランド音楽──碧の島から世界へ]の刊行をきっかけに、トシバウロンとやってきたアイリッシュ・ミュージックの講座のおかげが大きい。この準備のために、ここ1年ばかり、あたしとしては珍しく集中してアイリッシュを、それも様々な形で聴き込んできた。それによってまずアイリッシュへの感覚が多少とも磨かれてきた。おかげで他の地域の音楽への感覚も磨かれたわけだ。
もう一つはワークショップに参加したためだろう。これまではワークショップはやはり楽器やダンスで、歌はまず無かった。ワークショップそのものには興味はあったが、楽器は何もできないし、ダンスを始めるには年をとりすぎていて、どちらも行きづらい。だから歌のワークショップは嬉しかった。
一方で危惧もあった。スコットランドの伝統歌のワークショップなんて受講者がいるのか、成立するのかと当初危ぶんだ。まあ最悪、ジョイと二人だけというのもまたいいか、少なくとも相手がまるでいないよりはいいんじゃないか、と思ったりもした。蓋をあけてみれば、ハープフェスティバルでは満員、単独ライヴの前のものも用意した資料が足りなくなるほど。しかも男性が何人もいたのには驚くとともに喜んだ。
ワークショップは90分でスコティッシュ・ゲール語(ガーリック)の歌を3曲、waulking song、子守唄、mouth music を習った。ジョイがワン・フレーズずつ発音するのを耳で聴くだけで真似る。ワン・フレーズから1行、2行、3行、1スタンザとだんだん増やしてゆく。初めは基本的イントネーションだけの発音。次にメロディにのせる。メロディにのせてからは繰り返してだんだん速くしてゆく。
ガーリックの発音は難しい。ジョイは普通よりは大きく口を開いてゆっくり発音するけれど、口の中の舌の動きや位置まではわからない。とにかく聞きとれた音をできるだけ近く真似るだけだ。それだけで普段は使わない筋肉を使うから、1曲めの途中でもう口の中や周囲がくたびれてくる。記憶力も衰えていて、2番をやると1番は忘れている。それでも、楽しい。歌をうたえるようになるというよりは、歌を聴くときに参考になることが学べるのではないかという期待で参加したのだが、知らないうたを習うというのはそれだけでも楽しい。なんでこんな楽しいのか、とすぐ考えてしまうのが悪い癖だが、とにもかくにも楽しい。
知らない言語で意味もわからなくても楽しい。実際、ウォウキング・ソングの歌詞にはあまり深い意味はなく、むしろリズムを作るためのものだし、プーシュ・イ・ブイア(と聞こえた)とガーリックで言うマウス・ミュージックすなわち口三味線でダンス・チューンを演奏するものはもっと意味はない。子守唄は子守唄で、日本語のもののような子守りをする女たちの心情は託されていないから、内容はシンプルだ。もちろん意味がわかれば、また別の楽しさがあるけれど、わからなくてもうたうことは楽しめる。ひょっとするとわからない方が純粋にうたう楽しみがわかるとさえ言えるかもしれない。
この三種類のうたはスコットランドの音楽に特徴的なものだ。ウォウキング・ソングは他の地域には無い。マウス・ミュージックではストラスペイがやはりスコットランドならではだ。それに言葉で演奏すると、楽器で演奏するよりスコットランド特有のノリが明瞭になる。子守唄というのはどこの地域でもローカルな特徴を示す。
ここでまず90分、どっぷりとスコットランドの音楽に浸ったのは、ライヴとは別の楽しさで、うたのワークショップは病みつきになりそうだ。
最後にテーブルを用意して、ジョイが持ってきた細長いタータンの布を使ってウォウキング・ソングがうたわれた、布をテーブルに叩きつけて縮ませる作業をやらされた。本来これは女性だけで行われていたわけだが、むろんそんなヤボなことはいわない、交替して男性も含めた参加者全員がやってみた。こういう作業のためのうたは身体を実際に動かしながらうたう方がやはり体験が深くなる。シャンティもそうなのだろう。この作業そのものは終日続けられるもので、朝家事をすませると女たちは作業するところに出かけてゆき、織りあがってきた布を次から次へと処理する。当然今は一種の文化保存活動として行われているので、実際の生産工程には入っていない。
いささか驚いたのはジョイはガーリックのネイティヴではないそうだ。この日は日本在住のジョイの友人が来ていて、二人はガーリックで日常会話をしていた。ガーリックを教えたり、テレビ、ラジオなどの仕事もあるので、日常でガーリックを普通に使ってもいるが、第二言語として習ったのだそうだ。というのも両親が話さなかったためで、ジョイ自身はガーリックにはうたから入ったという。スコットランドの他のシンガーたちも事情は同じでジュリー・ファウリスもネイティヴではない由。一方、現在ではスコットランドでもガーリックが復興していて、各地に学校もできている。
コンサートではまず na ba na が前座を勤めて、4曲演奏。左に中藤、中央に須貝、右に梅田という配置。〈Maypole〉〈散歩〉〈月下美人〉それにアイリッシュ・ポルカ。レイチェルとジョイも楽しんだようで、〈月下美人〉は気に入ったようだ。梅田さんのハープにレイチェルも感嘆していた。このバンドももっとたっぷりと聴きたいものである。
レイチェルとジョイのライヴは基本的にはアイリッシュ・ハープ・フェスティバルでの拡大版。ジョイのダンスが1曲しか見られなかったのは、まあしかたがないか。レイチェルのソロはむしろ少なく、ジョイのうたをたっぷりと聴けたのは嬉しい。もっともその歌でもサビでは奔放なハープが炸裂する。ジャズ的な即興をどんどん入れてくる。こういう時伴奏と旋律を同時に奏でられるハープは強味を発揮する。後で確認したら、やはりかなり意識して即興を入れているとのことだった。このあたりはアイルランドのハーパーにはほとんど見られない。
ジョイも録音ではジャズ・コンボをバックにうたったトラックもあり、ハイライトの一つだ。あちらではライヴもしているそうで、そういうのを見てもみたいが、行かないとだめだろうなあ。もっともわが国のミュージシャンで相手できる、というか面白い共演をできる人たちもいるはずではある。
レイチェルのハープは坦々と演奏するよりも音の強弱、音量の大小を強調してアクセントをつける。ハープ・フェスティバルでもうたわれた、「最も哀しく、美しいうたのひとつ」では、そのメリハリのつけ方が絶妙で、うたの美しさが引き立つ。こういうのはギターなどでも可能だろうが、ハープの方が遙かに振幅が大きく、劇的な世界が生まれる。伝統歌では歌唱は劇的にはならないが、ハープの伴奏はその静謐さを壊さずに劇的にできる。スーザン・マキュオンの《Blackthorn: Irish Love Songs》冒頭の〈Oiche fa Fheil’ Bride (On Brigid’s Eve)〉での Edmar Castaneda のハープはその好例だ。
ジョイはアカペラも披露し、ウォウキング・ソング、子守唄、船漕ぎ唄、バラッド、刈り取り唄と、多様なうたを聴かせる。ハーモニウムでドローンをつけたりもする。最後にこのドローンとハープでうたった子守唄が良かった。アンコールではハープ・フェスティバルでもアンコールにした有名曲のメドレー。〈Auld Lang Syne〉では皆さん日本語をうたいましょう、というので最後は場内の合唱になる。うーん、しかしこのうた、もう一つのより古いメロディの方が好きなのよ。あちらでももちろん日本語の歌詞は乗るので、次はそちらでうたいたいものではある。ジョイもそちらの方が好きだそうだ。
久しぶりに近くのモンゴル料理屋での打ち上げにも参加する。ここはトシさんが Karman で共演している岡林立哉さんの縁だそうだが、確かに料理はどれもこれも旨い。トシさんが夢にまで見たという、羊肉の小籠包は絶品だ。ようやくのことで生まれて初めて馬乳酒を飲むこともできた。井上靖の西域小説を愛読してきた身としては、一度は味わってみたかったのだ。味見した梅田さんが顔をしかめていたのも無理はないが、これは慣れると案外いけるかもしれない。アイレイのシングル・モルトのクレオソート臭に近いか。
二人のライヴを見て、あらためてスコットランドを聴こうという気持ちが出てきた。まずはジョイとレイチェルのCDを改めて聴きこんでみよう。二人が持参したCDはきれいに完売した由。ジョイのバッグを買う。書いてある文字は A Little Gaelic Bag という意味だそうだ。
二人を呼んでくれたトシバウロン、このライヴの仕込みを担当された梅田さん、その他、関係者の皆さんには心から感謝する。ありがとうございました。(ゆ)
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