ブルガリアのネイティヴによる伝統音楽を生で聴ける機会はわが国ではほとんど無い。ジプシー・ブラス・バンドも、レパートリィにブルガリアの曲はあっても一部だ。これまでの経験では、モザイクが来たときに、ニコラ・パロフが中心になってやったのが、一番近いものだ。

 だからこのライヴを知ったときには飛びあがって喜んだ。バンドとしてのファースト《IZTOK》発売記念ライヴだ。しかも、佐藤芳明氏に渡辺庸介さんだ。壷井さんもゲストになっている。勢いこんで予約したのが2ヶ月前。これほど待ちこがれたライヴもあたしとしては珍しい。そして、その期待は十分以上に応えられた。

 MCによると、このバンドは佐藤氏がマルコフ氏と酒を飲んでいて、何かやりたくなり、渡辺さんに電話したのが始まりらしい。こういうバンドをやるときに渡辺さんに声をかけた、というのがまず面白い。そう言えば佐藤氏とギターのファルコン氏と渡辺さんのトリオのライヴを見たこともあって、あれも面白かった。

 第一の驚きはガイダがいたこと。大野慎矢氏はまったくの初見参で、まさかガイダをこれだけ吹きこなす人がいようとは意表をつかれた。マルコフ氏のガドゥルカだけでも十分凄いが、ガイダがいることでブルガリア色が一段と濃くなっていた。バグパイプというのはどこでも特徴的な音を持っていて、鳴りだすととたんにその土地の空気になってしまうのだ。

 正直、まず耳を奪われたのはこのガイダの音。このバンドはブルガリア伝統音楽そのままではなく、それをベースとしてメンバーが即興をするのだが、ガイダはその音は一点突破の力があるにしても、他の楽器に比べれば音域も狭く、できることも限られている。即興には最も向かない楽器だ。それを駆使し、巧妙なフレージングで鮮かな即興を展開する。たぶんこれは技術云々よりもセンスの良さだろう。昨日はドローンはあえて外していて、これはチーフテンズのパディ・モローニと同じく、アンサンブルの中ではかえって邪魔という判断だと思う。大野氏はすました顔で他のメンバーにちょっかいを入れたり、煽ったりもしていて、いつ、どこでパイプが入ってくるか、そしていざ入ってきたときの二つのところで、実にスリリングに楽しませてもらった。

 もう一人初見参のギターの澤近立景氏も、やはりセンスがいい。この人のソロはメンバーの中ではブルガリアからは最も遠いのだが、場違いにもならず、浮くこともなく、近すぎず通すぎない危うい距離を縫ってゆく。こういうアンサンブルでのギターの位置を書き換えるような演奏だ。これまでにないタイプのギターに聞える。

 ナベさんはすっかりブルガリア人みたいな顔をしてやっている。こうして見ると、ドレクスキップの音楽のスリルの少なくとも半分はかれの打楽器が生みだしていたのだ。そうだ、かれが入ったハモクリも一度生を見なければならない。とにかくかれの演奏には熱気がある。それもコントロールされた熱気だ。表面的には猛スピードのブルガリアン・テンポを叩きだしながら、底にはクールに冴えたものが通っている。

 佐藤氏は言いだしっぺかつたぶん最年長でもあり、実質的なバンマスで、前半はどちらかというと全体の仕切りを心掛けていたように見えた。しかし、おそらくはそもそもこういうバンドをやりたいと思ったのは自分も思う存分弾きまくりたいという欲求があったはずで、それが後半爆発する。その点では前半の壷井さんは立てて、後半の鈴木広志氏には真向から挑んでいた。あるいはこれは二人のキャラの違いかもしれない。

 壷井さんはトリニテの時よりも遙かにリラックスしている。ゲストというのは気楽な立場でもあるのだろうが、こうして見るとトリニテの時はおそろしくマジメだ。まるでクラシックの演奏家だ。本来はこういう人だったのだろうか。マルコフ氏のガドゥルカとは同じ擦弦楽器ではありながら、むしろ近い故に違いが目立つところがある。二人とも自分の楽器の長所短所をしっかり摑んでいて、たがいに相手の楽器にはできないことをやってみせる。これがたいへんに面白い。土俵はブルガリアだから、マルコフ氏の方が圧倒的に有利なはずだが、そこはさすがに壷井さんで、ヴァイオリンを限界まで駆使して対抗する。

 鈴木広志氏は録音では聴いていたが生は初めてで、これまた大いに楽しませてくれた。この人もブルガリアン・チューンを真正直に演奏する能力があることを証明しながら、そこに終らないところがいい。鈴木、マルコフ、佐藤の、ほとんどボクシングの試合のような、たがいに親愛の情と対抗心と共に次元を超えてゆく歓びにあふれた「殴り合い」がハイライトだった。最後にとりだしたソプラノ・リコーダーでの演奏には大笑いしながら、感嘆の念、措くあたわず。

 で、主役のはずのヨルダン・マルコフ氏。ステージでは右手の奥にひっこんでいて、何度も佐藤氏が前に押し出すのだが、いつの間にかまた下がっている。まるで、ここにはお情けでいさせてもらっているので、皆さんの邪魔をしないようにしています、という風である。だいたい伝統音楽の名手は、少なくともヨーロッパでは、あまり芸をひけらかさない。また自分が特別の存在であるという自覚も無い。それに伝統音楽の現場は、ステージが別にあって、あたし演る人、あなた聞く人と別れていることも少ない。

 しかし、一度音楽に入りこむと、やはりそこはホンモノだ。次元が違うのである。目を一点に据えたまま、耳に入るとなんともたまらないフレーズを猛烈なテンポで繰り出すのを見て聴いていると、伝統の恐しさを実感する。今夜ここに集まった第一級のミュージシャンたちは、これに触れるとたまらなく一緒に演りたくなるのだろう。

 わが国の伝統音楽のなかにも同様な吸引力はあるはずだが、自分の中に無い伝統という要素は何ものよりも強烈な魅力になるのだ。これはひょっとするとインドや中国、あるいはペルシャのようなところの人びとには感じられない魅力かもしれない。日本のような、どんづまりの辺境の島に生まれ育った人間に特に強烈に感じられるのかもしれない。

 アンコールの一曲目、マルコフ氏がうたったのがまた良かった。そういえば、ブルガリアの男声ヴォーカルを聴いたことがあったかと考えこんでしまった。それで思い出したのは、Balkanton のアナログに、バグパイプのカーバの録音で、パイプを演奏しながらうたっていたものがあった。カーバはおそらく各種バグパイプの中で最も低音域の楽器で、確かほとんどバリトン・サックスに近かったと思うが、それを伴奏にした男のソロ・ヴォーカルは味わいがあった。昨日も大野氏は、息を吹きこむブロウ・パイプから頻繁に口を離して演奏していた。カーバはもっと能率が良いらしく、かなりの時間、口からの空気の供給無しに演奏できるらしい。そこで自分でそれを演奏しながらうたえるのだ。

 びっしりと椅子を並べた会場は満席。ブルガリア音楽をよく知っている人が多かったようだ。ミュージシャンも少くなかったらしい。その6割から7割が若い女性なのには、毎度のことながら目を瞠る。それでも若い男性客が多い方ではある。19時半過ぎにスタートして、終演は22時15分を過ぎていた。外に出ると小雨が降っている。傘をささなくてもいいくらいの、夏の夜の雨。火照った心身にはちょうどいい。呆然としたまま帰る。(ゆ)