最初の1曲を聴きながら、顔がにやけてくるのがどうしようもない。良いのである。心が浮き立ってくるのである。音楽を聴く歓びがふつふつと湧きあがってくる。これだよ、これだよ、こういうのが聴きたいのだよ。いや、自分はこういうのが聴きったかったのだな、と教えられるのだよ。
鍵はもちろん熊谷さんのパーカッションだ。サイド・ドラムにタムタム、小さなシンバル、ハイハット、それにカホンを椅子にしてこれを足で蹴ってバスドラの代わりにする。手で振る小さなものが二つ。片方はお客さんの一人が「ヤクルト」と呼んだもので、真黒なヤクルトそっくりの容器に鉄の玉が入っているそうな。本来のサイズの半分のもの。もう一つは籠の形にガラスの玉が入っている由。
これらを駆使するアクセントがすばらしい。強弱大小、タイミングがよく考えぬかれ、大胆に、また繊細に打たれて、音楽を浮上させる。フロントのフィドルとアコーディオンだけでなく、ブズーキまでも浮上する。
ワルツから始まって、2曲めのジグがいい。前回もジグが良かったが、やはりジグはパーカッショニストの腕のふるいどころだ。ジグは三拍子系だが二拍子でもとれる。アクセントの入れ方もいろいろできる。
次はマイケル・マクゴールドリックの変拍子の曲で、熊谷さんはあまり変拍子は得意では無いようだが、まあ、慣れの問題だろう。アイリッシュ系のミュージシャンが作る変拍子の曲はなぜか名曲が多い。これもその例にもれず、変拍子であることは聴いていると気にならない。むしろ、メロディがちょっと捻った感じになって快感だ。
リールの安定感はあいかわらずだが、今回はそのリールも後ろの2人が浮上させている。こういうリールはひどく新鮮だ。おそらく熊谷さんがアイリッシュ・チューンになじみが無いことが良い方に作用しているのだ。なじみがないから、個々の曲に新たに向かい合う。ああジグね、ああリールね、と、いわばテンプレートにあてはめることが無い。それにしても、相当に勉強している。英語でいう home work をやっている。本人はしきりに音量を気にしていたが、それだけではない。とりわけホメリのような場では音量は大事だが、それ以上に、音の入れ方の方が重要だ。メロディの山や谷のどこで打つか。バゥロンの奏法もかなり参考にしているけしきだが、音の高低も種類も選択の幅がより大きい分、独自に開発しなければならないところも多い。
今回はリハーサルにも念を入れたそうで、全体のアレンジも練られている。フロントの2人の出し引きもいい。名前がついたというのは、単純に呼び名ができたというだけでない。バンドとしてのまとまり、一体感も別次元だ。そして、これはこれから本当にいいバンドになってゆくぞ、きっと、という予感もわいてくる。来月、フル・アルバムのための録音をするそうだが、そこでまた飛躍があるにちがいない。と勝手に思いこんでおこう。
後半もいい。牧場ポルカでのカホンがたまらない。KAN の〈ラングーン〉は、ああ、こういう曲って演りたくなるんだろうなあ、と共感してしまう。そして〈マーガレットのワルツ〉。うーん、ワルツってどうしてこう名曲が多いのか。それともセツメロゥズが演ると名曲になるのか。
このバンドは沼下さんと岡さんが熊谷さんと演りたいと意気投合して始まったそうだが、どうしてそう思ったのか、熊谷さんのどこがいいのか、訊こうと思っていてまた忘れた。いずれにしても、熊谷さんがいいことには、あたしも双手を上げて賛成する。すばらしいバンドの誕生にスローンチェ!(ゆ)
セツメロゥズ
沼下麻莉香: fiddle
田中千尋: button accordion
岡皆実: bouzouki
熊谷太輔: percussions
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