先日リリースされて、この日の会場でも販売されていた『アイリッシュ・ミュージック・セッション・ガイド』で教えられたことの一つに「パーティーピース」というのがある。
 人の集まる場、セッションでもパーティーでも、そういう場で、参会者が求められて披露する芸である。別に特別なことは要求されない。つまり求められる芸の水準は高くなくていい。むしろ、あまりに高くては興醒めだ。ほんの少し、みんなをおっと思わせられればいい。ポイントはその人ならではの味があること、そしていつもまったく同じことを繰り返すこと。パディおじさんはそういう場ではいつも同じ小噺を繰り返して半世紀になる。死ぬまで同じ話を繰り返すだろう。

 今回のコンサートを見て、チーフテンズのコンサートはこのパーティーピースのひとつの極致なのだと納得したのだった。

 もちろん、そこで披露されている芸の水準はとびぬけて高い。というよりも、これだけの水準の芸を披露できる集団は、ジャンルを問わず、さらには音楽という枠をはずしても、世界でもそう多くはないだろう。

 一方でそこで披露されている芸は、いつも全く同じである。1曲披露した後、パディ・モローニが前に出てきてするアイルランド語の挨拶から、ケヴィン・コネフ、マット・モロイそれぞれのソロの曲目、フィナーレの方式、そこでのパディのいらついた仕種、そして大団円の観客を巻きこんでのダンスまで、毎回、変わることはない。そしてまさにそのことが、まったく同じ芸が毎回披露されること、しかもその質もまったく落ちることなく披露されることが、チーフテンズのショーの肝であり、すべてなのだ。

 我々はこれと同じ性格の芸を知っている。落語である。古典落語は、筋書はもちろん、言葉遣いまで、みな熟知している。暗誦できる人も少なくない。しかし、名人が語るとき、それは新鮮な体験となって、聞く者にカタルシスをもたらす。

 チーフテンズはそれを音楽でやる。個人と異なり、集団で毎回同じことをまったく同じく繰り返してなおかつ新鮮な体験をもたらすのは至難というより、不可能だ。グレイトフル・デッドはそれに近いことをやったが、あれは音楽の形態も、聴衆との関係も異なる。そこから新鮮さを引き出すためにパディ・モローニが開発した手法は、チーフテンズ本体の音楽は変えずに、それに様々な別の要素、カナダやスコットランドの音楽やダンスや、行く先々の地元のミュージシャンを加えて、変化をつける、というものだ。そのことが最も明瞭に現れるのはフィナーレだ。土台となる音楽を変えないことで、どんな形の音楽が来ても受け入れられる。アイリッシュのリールをはさんで、それぞれがソロをとる。そのソロはそれぞれにかけ離れている。それでいい。というよりも、それぞれがかけ離れていればいるほど、面白くなる。そして、そこで土台になる音楽は変わってしまってはいけない。どっしりといつも常に同じでなければならない。

 別の見方をすれば、チーフテンズのショーは音楽のコンサートではない。音楽を使ったエンタテインメントだ。全部体験するには1時間半かけることが必要なエンタテインメント。落語も5分で終ってはいけない。古典落語はやろうと思えば5分ですませられる。しかし、ああ、楽しかった、と感じるためには、ある長さの時間をかけることが必要だ。そして、個々の要素はおそろしく高い質は落とさずに、同じことを繰り返す。

 アイリッシュ・ミュージックを、それを知らない人びとに受け入れられるものにしようとしたとき、パディ・モローニが採用したのが、これまたアイルランド伝統のパーティーピースだった。伝統文化としてのパーティーピースはテレビジョンの到来によって廃れるが、究極のパーティーピースとしてのチーフテンズのショーは、生の、ライヴのパフォーマンス芸として、テレビ時代を生き抜き、インターネット時代にあってもなお新たな生命を獲得している。


 今回、あたしにとってとりわけ印象的だったのは、地元の、わが国のミュージシャンたちの存在感の大きさだった。すなわち、2度登場したコーラス・グループ、アノナとフィナーレで「サプライズ」登場した Lady Chieftains だ。このために、アリス・マコーマックの出番が減っていたのは、彼女のファンとしてのあたしには残念だった一方で、アノナとレディ・チーフテンズの演奏の質の高さをあらためて確認できたのは、何とも嬉しかった。しかもそれぞれに個性を発揮して、アノナはフィナーレで本来の中世・ルネサンスの歌謡を聴かせ、レディ・チーフテンズは、フィナーレで最も「アイルランド的」なアンサンブルを聴かせた。そのサウンドを、ショー全体で最も「アイルランド的」と感じたのは、あたしの贔屓目かもしれないが。

 今回は「アフター・パーティー」を見ることもできた。ここでもセッションをリードしていたのは、レディ・チーフテンズのフィドラー、奥貫史子氏で、タラ・ブリーンと並んでまったく遜色が無い。豊田構造さんとマット・モロイが並んでフルートを吹く光景もまぶしかった。ケヴィン・コネフが1曲うたい、ピラツキ兄も即席の板の上でワン・サイクル踊り、奥貫氏の発案で、アイルランド大使公邸でのレセプションでも披露した、ピラツキ兄弟、キャラ・バトラーと奥貫氏の4人でのフット・パーカッションがまた出た。

 しかし、何といってもパディ・モローニがホィッスルでセッションに参加したのは、今回最大の収獲だった。アイルランドでもこんなことはもう永年無いはずだ。あるいはかれの生涯最後のセッションを目撃したのかもしれない。ひょっとすると、これでセッションの楽しみを思い出し、またあちこちでやるようになる可能性も皆無ではなかろうが。

 外に出れば、冷たく冴えかえる冬空に満月。今年もなんとか気持ちよく年を送ることができそうだ。(ゆ)