アイリッシュ・ミュージックの各楽器に焦点をあてる入門講座の第5回にとりあげるのはフィドルです。

 なお、会場の下北沢 B&B は昨年末に引っ越しています。すぐ近くへの転居ですが、ウエブ・サイトで場所のご確認をお忘れなきよう。


アイリッシュ・フィドル入門
アイルランドのフィドルを見る・聴く・知る

日時:3月11日(日)13:30-16:00(13:00 開場)
会場:本屋B&B(世田谷区北沢 2-5-2 BIG BEN B1F)
料金:2000円+1drink order(500円)
出演:小松 大(フィドル)
   トシバウロン(バウロン)
   おおしまゆたか(著者・訳者)


 アイリッシュといえば、これがなくては始まらない楽器、それがフィドルです。演奏人口から言えば圧倒的に多数、おそらく全演奏者数の8割はフィドラーといっていいんじゃないでしょうか。本来は真先にとりあげるべき楽器だったでしょう。

 とはいえ、このシリーズをイリン・パイプから始めたのは、なかなか味のあることではなかったかと思ってもいます。アイルランド音楽は過去200年ほど、パイプを伝統の中心、要、核として、回ってきました。これに並べてみるとフィドルは、それぞれの時代の要請に応じて音楽伝統に外から衝撃を与えて揺さぶり、新たな位相への転換を促してきたと言えます。

 フィドルはフレットレスで、理論上、どんな音でも出すことが可能です。この点で伝統楽器の中ではユニークな存在です。そしてそのためにフィドラーは規格はずれの存在とみなされてきました。いわば禁断の楽器を操る怪しい人間と思われたのです。フィドラーは音楽には欠かせないけれども、同時になるべく遠ざけておきたい存在でした。むしろ、そのせいでしょうか。フィドルはアイルランドだけでなく、ブリテン、北欧、東欧はじめ、ヨーロッパでフィドルが演奏されていないところはありません。しかも、楽器の形と基本的奏法はすべて同じ。こんな楽器は他にはありません。

 クラシックのオーケストラでもヴァイオリンがメインで圧倒的最大勢力であるところを見ると、ヨーロッパの人びとにとってこの楽器が何か特別の魅力を備えていることは想像がつきます。フィドル/ヴァイオリンは演奏する姿勢、楽器の持ち方からして人間の生理に反していると思われますけど、それもまた実にヨーロッパ的とも見えます。

 閑話休題。アイリッシュ・ミュージックにおけるフィドルはアイルランド全土で演奏されてきました。地域に特徴的なスタイルがあると言われるのも、どこででも演奏されてきたからです。歴史的にも、とりわけ20世紀以降の、録音技術の発明によって生まれたモダン・アイリッシュ・ミュージックにおいて、フィドルは独特の大きな役割を果してきました。

 アイリッシュ・ミュージックの史上初の録音は19世紀末のイリン・パイプのものとされていますが、音楽伝統全体に最初にインパクトを与えたのはフィドルの録音です。マイケル・コールマン、ジェイムズ・モリソン、パディ・キロランに代表されるアメリカ在住のフィドラーによるSP録音によって、現代のアイリッシュ・ミュージックは幕を開けました。

Past Masters of the Irish Fiddle Music
Various Artists
Topic Records
2001-10-09



 なぜアメリカか。まず、録音技術そのものがアメリカで開発され発展しました。そしてそのテクノロジーを使い、音楽を録音して販売するビジネスを立ち上げたのもアメリカ資本でした。アメリカ人以外には、誰もそんなことを思いつかず、また万一思いついたとして、それにカネを注ぎこもうと考えなかったのです。

 アイリッシュ・ミュージックにとってはもう一つの条件がありました。名手が多数、アメリカに移民していたのです。19世紀後半からの大量の移民によって、アイルランドの伝統音楽も大西洋を渡っていました。シカゴの警察署長オニールは身の回りにいたミュージシャンたちだけをソースとして、こんにちにいたるまでアイリッシュ・ミュージックのバイブルとされている楽曲集を編むことができました。そこに掲載・収録されている楽曲はすべて、移民たちが持ち込んだものです。

 名手たちの演奏は、最新のテクノロジーの衣をまとい、一層輝きを増したことでしょう。文字通りそれは一世を風靡し、かれらのスタイル、レパートリィを人びとはこぞって模倣、エミュレートします。SP盤に聞かれるフィドルは、アイリッシュ・ミュージックを統一した、とまで言われました。

 もちろん、そんなことはありません。今のように、世界の片隅で起きたことが、一瞬で全世界の知るところとなるわけではありません。まだまだ実にのんびりした時代です。SP盤を聴ける環境がどこにでもあったわけでもなく、人びとはラジオも持っていませんでした。それでも、それ以前の、ローカルの外の響きといえば、せいぜいが時偶やってくる旅回りのパイパーやフィドラーぐらいという状態に比べれば、天と地ほどの開きがあります。それはコペルニクス的転回と呼ばれるに値します。各地の共同体内でそれぞれ独自に展開されていた伝統がかき回され、混淆しはじめたのです。

 アイリッシュ・ミュージックの録音は1920〜30年代のSP録音によるものの後は不毛の時期が続きます。独自の録音産業が成立するにはアイルランドは貧しすぎました。ましてや伝統音楽が録音・販売に値するとは考えられていませんでした。ほとんど唯一の例外が1959年の Paddy Canny, P. J. Hayes, Peadar O'Loughlin & Bridie Lafferty による《All-Ireland Champions - Violin》です。2001年に《AN HISTORIC RECORDING OF IRISH TRADITIONAL MUSIC FROM COUNTY CLARE AND EAST GALWAY》としてCD復刻されたこの録音は、当時LPはあっという間に廃盤になったものの、コピーのテープがミュージシャンの間で珍重・重宝されます。ここでもフィドルの録音が、頼りになる規範となったのでした。

 そして1970年代、プランクシティ〜ボシィ・バンドによる革命でアイリッシュ・ミュージックが新たな段階に入った時、これを牽引したのは、パディ・キーナンのパイプ、マット・モロイのフルートとならんで、ケヴィン・バークのフィドルでした。そして後世への影響から見れば、バークのフィドルがボシィ・バンド・サウンドの象徴となったのです。


BOTHY BAND
BOTHY BAND
OLD HAG YOU HAVE KILLE
2017-06-16


 我々異国でかの国の伝統音楽に触れた人間にとっては、その前にもう一人、忘れられないフィドラーがいます。デイヴ・スウォブリックです。かれは独学でフィドルを身につけていて、ベースはスコットランドだと思いますが、その演奏は独自のものでした。フェアポート・コンヴェンションというロック・バンドのリーディング楽器として、かれのフィドルはアイリッシュやスコティッシュのダンス・チューンを、ロックのビートに載せてみせました。プランクシティやボシィ・バンドやデ・ダナンや、あるいはチーフテンズよりも前に、ぼくらがアイリッシュ・チューンを最初に聴き、その魅力のとりこになったのは、スウォブリックのフィドルによってだったのでした。

リージ・アンド・リーフ+2
フェアポート・コンヴェンション
USMジャパン
2010-11-24



 1990年代「ケルティック・タイガー」の追い風に乗ってアイリッシュ・ミュージックが世界音楽になっていった時、その先頭に立ったのもフィドルでした。マレード・ニ・ウィニーを中心としたアルタンです。アルタンがナマのまま演ってみせたドニゴールのスタイルとレパートリィは、それまで伝統音楽の主流ではほぼ無視されていました。ヨーロッパの周縁アイルランドのそのまた周縁ドニゴールの伝統が沈滞したシーンに活を入れ、そのまま世界に飛び出していった、そのドラマの主人公は、フィドルだったのです。


Ceol Aduaidh
Mairead Ni Mhaonaigh & Frankie Kennedy
Green Linnet
1994-02-04


 そして90年代末、20世紀を締め括くるとともに、次のステップへ踏み出したのもフィドルの録音でした。マーティン・ヘイズ&デニス・カヒルの《The Lonesome Touch》。1997年のことです。本来のものから遙かにテンポを落して演奏されるダンス・チューンは、曲に潜むスリルとサスペンスをあらためてあぶり出しました。アイリッシュ・ミュージックは他のどんな音楽にも肩をならべる同時代性を備えていることが天下に宣言されたのでした。


The Lonesome Touch
Martin Hayes and Dennis Cahill
Green Linnet
2015-12-27


 最近のインタヴューで、ヘイズはこのアルバムを作るときに、チャーリー・ヘイデンとパット・メセニーの《Beyond The Missouri Sky》をお手本にしたと述べています。アイリッシュ・ミュージックに真の革新をもたらしたショーン・オ・リアダ、ポール・ブレディ、アンディ・アーヴァインは皆、伝統の外からやってきたとも述べています。そういうヘイズ自身もまた、アイルランド伝統の外に霊感の源泉を求めています。


Beyond the Missouri Sky
Charlie Haden & Pat Meth
Verve
2009-08-10



 フィドルはアイリッシュ・ミュージック演奏の現場を支配し、したがって伝統に対して保守的な姿勢をとるようにみえます。一方でフィドルは他には並ぶもののない柔軟性によって、常に伝統を脱皮させる契機を孕んでいます。

 ヘイズは The Gloaming や Martin Hayes Quartet、さらにはケヴィン・クロフォード、ジョン・ドイルとのトリオ、ジャズやクラシックまで含めた幅広いミュージシャンとの共演を集めたソロを予定するなど、その活動は留まるところを知りません。

Gloaming
Gloaming
Imports
2014-01-28


The Blue Room
Martin Hayes Quartet
Imports
2017-11-03



 そのヘイズの後を襲って、アイリッシュ・ミュージックを揺さぶり、その外延を広げようとしている人としてクィヴィーン・オ・ライアラ Caoimhin O Raghallaigh がいます。The Gloaming に hardanger d'amore で参加している人です。フィドラーだったオ・ライアラは、まずハルディング・フェーレでアイリッシュ・ミュージックを演奏するようになり、さらにこの楽器に改訂を加えて、10弦のハーダンガー・ダモーレと呼びます。レパートリィも、アイルランドの伝統曲から、ジャズやクラシックの語彙、手法を取り入れたオリジナルにまで広がってきています。


Kitty Lie Over
Mick O'Brien Agus Caoimhin O Raghallaigh
CD Baby
2007-05-29



Where One-Eyed Man Is King by Caoimhin O' Raghallaigh
Caoimhin O' Raghallaigh
CD Baby
2007-05-29



 というような話を、今回のフィドル講座でできればいいなと思っています。小松大さんは、実演と実践者の言葉によって、こうしたフィドルの二面性、双極性を、具体的なものにしてくれるでしょう。

 フィドルはアイリッシュ・ミュージックで最も普遍的な楽器であるために、フィドルについて語ることは、アイリッシュ・ミュージック全体について語ることにもなります。これは他の楽器とは異なる、フィドルならではの面白さでもあります。(ゆ)