バンドとしては始めてもう10年近くになるというので、いろいろと固まっているそうだが、それにしては毎回、新鮮な愉しみがある。〈乾杯ポルカ〉の三拍子を入れるアレンジは、高知でのライヴのリハで遊びながら編み出した、という話を聞くと、かの〈Mouth of the Tobique〉のアレンジを、来日講演の杉並の楽屋で、シャロン・シャノンやナリグ・ケイシーたちが、きゃあきゃあ言いながら作っていった、という話を思い出した。やはり音楽には遊びがなくては始まらない。いや、音楽はそもそも遊びなのだ。お芸術ではない。いやいや、芸術そのものが遊びではないか。

 アレンジは結構変えているようで、成田さんの〈ガーデンリール〉は録音とは別に、当初考えていたアレンジで聴かせる。笛の難易度はこちらの方が高いそうで、MCでメンバーに「圧力」をかけるのは長くやっているバンドならではというところ。敷居を上げられるのは困ると言いながら、高梨さんは愉しそうだ。

 きゃめるの曲は、聴いているだけで難しいだろうなあ、とわかる曲が多い。しかも、聴いている分には実に愉しい。難しくなるほど、愉しさも増す。もちろん難しいから愉しいのではなく、曲自体が愉しいのではある。それでもどうもより愉しい曲はより難しいともわかる。作る方は、あれこれ愉しくする工夫をするが、その際演奏の難易度は考えずに要求を出す。メロディ担当はこれに誠実に応えて、作曲者の意図を超えてゆく。そういつもうまくゆくとも思えないが、きゃめるの場合はうまくゆくことの方が多いらしい。うまくゆくようになってからライヴで披露していることもあるではあらふ。

 先日のセツメロゥズ同様、この日も岡さんのブズーキがよく響く。成田さんがコンサティーナを弾くことも結構あって、その時はリズム・セクションはブズーキだけになるが、細くなった感じはしない。まあ、もともとバゥロンはリズム・セクションというよりも、メロディ楽器なのではあるが。それがよくわかるのは後半2曲めのトラディショナル・メドレーで、ここでのブズーキはまるでダーヴィッシュだ。

 一方で冒頭の今は亡き多摩急行に捧げた〈多摩急行セット〉では、バゥロンは演奏の土台を据えて、全体が飛び立つジャンピングボードになっている。フロントがユニゾンからハーモニーに移ったり、一部だけはずれたり、またユニゾンにもどったりする軸がぶれない。その何ともいえない軽みに、俳諧の、芭蕉というよりは蕪村の軽みを思い出す。こういう軽みは、今のわが国のバンドでは他にはあまり無い。na ba na が近いか。アイルランドでも、ソロやデュオでは時にあるが、バンドでは思いつかない。ただ、あちらの軽みはもっとドライではある。

 最近のライヴでは新曲が多い印象もあったが、この日は割と古い曲もやる。《Opus One》からの〈おでかけ日和〉の疾走感あふれる演奏、3曲めでのバゥロンのソロからブズーキにつなげるあたり、名曲の認識を新たにする。

 新曲では、成田さんの作曲がめだった。〈Carry On〉と聞くとあたしなぞはCSN&Yなのだが、もちろんここではノスタルジーとは無縁。バゥロンの枠打ちは珍しくもないが、アクセントとしてではなく、ずっと打ち続けるのはまことに新鮮。これはアイデアの勝利。

 いい音楽を聴きながらいただく日曜の昼ビールは旨い。ごちそうさまでした。(ゆ)