ジョンジョンフェスティバルと馬喰町バンドの対バン。それも、終演後、近くのお客さんが言っていたように、まさにこれこそ「対バン」である。いつもは客席になるスペースに二つのバンドが向かい合って位置する。ステージはじめ、その周囲を聴衆が取り巻く。二つのバンドは交互に演奏する。称して「パラシュート・セッション」。どこに着地するかわからない、という意味のこめられたこのセッションはこのハコの名物企画で、ジョンジョンフェスティバルと馬喰町バンドで60回め。今回は4日連続の千秋楽だ。

 アイデアも秀逸なら、それを受けて立つミュージシャンたちも燃えようというものだ。二つのバンドは共演はいかなる形でも初めてで、トシさん以外のジョンジョンフェスティバルの二人は初対面。その距離感覚がうまく作用してもいて、すばらしい空間が現出した。今年のこれまでのベスト・ライヴ、だけでなく、ここ数年でもトップに入る。

 一度ゲストに呼ばれたトシさんが惚れこみ、是非にと申し込んでこの対バンが実現したそうな。馬喰町バンドに入りたいとまでトシさんに言わせるそのバンドはまったくの初対面で、名前だけはトシさんから聞いていたものの、音源は聴いていない。白状すればソウル・フラワー・モノノケ・サミット以来の衝撃だった。

 ジョンジョンフェスティバルのようなアイリッシュ系のバンドは別としても、トリニテをはじめとする shezoo さん関連、グルーベッジなどの渡辺庸介さん関連のプロジェクトも各々に面白く、音楽生活は大いに潤い、拡大しているものの、根幹から揺るがされたのはモノノケだけだ。そもそも国内の、足許のミュージシャンたちに眼を向けさせられ、開かされたのはモノノケのおかげだった。インターネット爆発の直前、パソコン通信全盛期のニフティサーブでのことだ。

 それから四半世紀、21世紀の10年代も後半になれば、こういうバンドが出てくるのも不思議はないのかもしれない。しかし、こういうバンドの出現、このバンドとの出会いを、あたしは衷心から喜ぶ。

 馬喰町バンドが掲げる「どこにもない民俗音楽」とは、あたし流に解釈させてもらえば「新たな民俗音楽」だ。伝統を棄てたこの国にあって「民俗音楽」をやろうとすれば、新たに作るしかないではないか。わらべうたや民謡などの伝統歌をベースにするのは当然だが、その展開のしかたにおいて、これは新しい。歌詞の尊重、ハーモニーの使用、各種リズム、ビート、グルーヴの応用、そしてインタープレイの即興。メンバー各自の音楽家としてのレベルの高さとバンドとしての有機的つながりの緊密なこと。いざ目の前に出現されてみれば、これはあたしにとって理想のバンドだ。延々数時間もライヴをやる、レパートリィは300曲以上、と聞けば、まさにグレイトフル・デッドではないか。これは何としても体験したい。

 後でバンドの固定メンバーはギターの武徹太郎とベースの織田洋介の両氏だけで、他の3人はサポートと知ったのだが、しかしライヴを見聞するかぎり、もう何十年もずっとこのメンバーでやってますと言われても不思議はないくらい一体化している。ドラムスの服部正嗣氏以外は唄もうたい、そのハーモニーにも陶然とさせられた。フィンガーピッキングですさまじいソロをとる武氏のギターと実にしなやかなリズム・セクションにも眼を瞠ったが、何といっても面白いのはどうめんさきこ氏の操る鉄琴のような楽器。かなり短いもので、キーが変わると板そのものを交換、移動する。使っている撥も特製らしい。これがリズムというか、メロディというか、どちらともとれる音をくりだす。そう、ガムランだ。このおかげで全体の音楽のスケールが大きく拡大する。どっしりと大地に根を張りながら、広がってゆく。そこから飛翔するのが三井闌山氏の尺八。この尺八は結構伝統的な演奏で、たとえば Kokoo での中村明一さんまではすっ飛びはしないが、時に味のある即興も聞かせて、バランスがいい。

 バランスといえば、きっちりアレンジされているところと即興の部分とのバランスもどんぴしゃりだし、その移り変わりの差し手引き手も巧い。水も漏らさぬ緊密さと駘蕩としたゆるさが矛盾なく同居しているのもデッドに通じる。いやもう、トシさんが入りたいというのもよくわかる。あたしだって、もし何か楽器ができれば飛びこみたい。

 対するジョンジョンフェスティバルはといえば、こちらもまた海外での体験を重ねてきて、スケールが一段と大きくなっている。聴き慣れた曲が大きく膨らんで、初めて聴くように思える。最初の演奏はじょんと三井氏のじゃんけんでじょんが勝ち、先攻を選んだジョンジョンフェスティバルだが、まさに先制の一撃、一気にフルスロットルで飛び出す。パワートリオという呼称があるが、今のかれらのパワーに並んで見劣りしないバンドはほとんど無いんじゃないか。

 口では「まいったなー」と言いながら、馬喰町バンドはこれを真向から受けて立つ。いつもはライヴの最後に演奏すると決めている曲を最初に演る。まさにこれで今日はおしまい、またね、という雰囲気で、演奏している時は本気でこれで終りと思いながらやっていたのだ、きっと。

 はじめの2曲はMCがかなり多くて、演奏している時間が短かくなりそうだとアニーが言うほどだったが、そのうち相手の演奏が終ると一拍置いてもう次を始めるようにもなる。相手が演っている時も、黙って見ているのではない、もうたまりません、黙ってられませんという感じで楽器をとってからんでゆく。ついには服部氏とトシさんの打楽器バトルも飛び出す。

 時には片方が2曲続けたり、腹をすかしたトシさんがたまらなくなって食事をしたり、じゃあ、と言って武氏が音頭をとって聴衆参加の手拍子や踊りをしたり、もうてんやわんや。手拍子は馬喰町バンドがパラシュート・セッションで最初に対バンした Oki から習ったというアイヌの伝統歌の伴奏で、かなり難しくて、あたしなどは後半がとうとうできなかったが、皆さん達者で、これまで全都道府県でこれをやってきたが、バンドが包まれたのは初めてと織田氏が感嘆する。

 確かに対バンではあるし、二つのバンドの音楽はかなり異なるにもかかわらず、場内の空間が描く渦は一つになってゆく。アンコールではジョンジョンフェスティバルが始めたジグのビートにのせて、馬喰町バンドのうたが全員で奏でられる。

 やりながら、おたがいに、楽しーねー、楽しいですねーとミュージシャンたち自身が言い合う。見て聴いているこちらも楽しいが、一番楽しいのは演奏しているかれらにちがいない。こういう時、楽器ができないことが心底うらめしくなる。もちろん、ただできるだけではあそこまで楽しくはなれないだろうが。まあ、みんな、そうなのだ。画家は絵を描いているときが一番楽しくて、それを見るこちらはいわばその楽しみのおこぼれを頂戴しているにすぎない。

 それでもいい。余沢でおこぼれでもいい。今、目の前にはこの音楽家たちがいて、演奏してくれている。それだけであたしには充分だ。パラシュート・セッションであれ、何であれ、かれらには是非また共演してほしい。そして、むろん、それぞれのライヴをあらためて体験したい。それにしても、この最初の出会いは一期一会だ。そこに立会えたことはありがたい。生きながらえてよかったと、心底思う。音楽家たち、月見ル君想フとそのスタッフの方々に心から感謝する。(ゆ)