とんでもないものを聴いてしまった。この声は、唄は、世界を変える。聴く前と後では、同じではいられない。たとえ、同じだと当初思ったとしても、時間が経つにつれて、同じではいられなくなっていることがわかってくる。
宮古島の歌には多少の心組みもあった。つもりだった。しかし、この與那城美和氏の唄はこれまで聴いた琉球弧の伝統歌のどれとも違う。もっと古い感じがある。実際、三線の導入で宮古の古い歌が変わってしまったと言われる。
三線は中国大陸からやって来たもので、歌がそれ以前から唄われていたことは確かだろう。三線は当然その歌とは別の伝統から生まれているので、宮古の古い歌がそれを伴奏にすることで変化したのもうなずける。もっともこのことはどんな伝統楽器でもありえるので、アイリッシュ・ミュージックにしてからが、現在そこで伝統楽器とされているものは、ホィッスル以外はすべて外来の楽器なので、各々の楽器によってアイリッシュ・ミュージックが変化している。とはいえ、それ以前の音楽がどういうもので、どう変化しているのかは今となってはもう解明する術はまず無い。
宮古の場合にはそれができたらしい。共演のダブル・ベースの松永誠剛氏によれば、與那城氏は古い版と三線以後の版を唄い分けることができるそうだ。そしてこの日、與那城氏が唄われたのはその古い歌だったのだろう。
あたしの体験内で最も近い音楽をあげれば、まずアイルランドのシャン・ノース歌謡だ。あるいはこの日、「前座」のDJでバラカンさんがアナログでかけたブルガリアはピリン地方の女性のアカペラ歌唱。はたまた、中央アジアの草原に棲む人びとの、それぞれの集団を代表する女性のうたい手たちが唄う伝統歌。歌の伝統の根源にまで降りたち、そこで唄ううたい手。音楽の、最も原初に近い、つまりはわれわれの存在そのものの根源に最も近い唄。
與那城氏の声はとても強い。強靭な芯を強靭な肉が包み、すべてを貫いて聴く者の中に流れこむ。さして力を籠めているとも見えない。本人にとってはごく自然に、唄えばこういう声になるとでもいうようだ。粗方、客も帰った後で、なにかホールの響きについて話していたのか、その響きを確認するようにいきなり声を出されたが、それはさっき唄っていたのと全く同じ声だった。
声域はメゾソプラノぐらいか。高い方はどこまでも澄む。低い方はたっぷりと膨らむ。そして、強いだけでなく、あえかに消えてゆく時の美しさ。声のコントロールということになるのかもしれないが、これまたごく自然に消えてゆく。
ぴーんと延びてゆくかと思えば、絶妙なコブシをまわす。いつどこでコブシを入れるかは、決まっているようでもあり、即興のようでもある。
傍らのダブル・ベースはまるで耳に入らないようでもあり、見えない糸で結ばれているようでもある。
歌詞はもとよりわからない。英語以上にわからない。これまたアイルランド語のシャン・ノースと同じだ。しかし、歌に備わる感情はひしひしと伝わってくる。というよりも、これまたシャン・ノースと同じく、感情は聴く者の中から呼び起こされ、点火される。その感情に名はない。つけようもない。哀しいとか嬉しいとか、そんな単純なものではない。もっと深い、感情の元になるもの。
宮古の言葉がどういうものか、宮古の言葉で宮古の紹介をしゃべる一幕もあった。沖縄本島はもとより、石垣島でも通じないそうだ。宮古の島の中でも少しずつ違うらしい。言葉だけでなく、顔もまたローカルな特徴があり、與那城氏はまったく初対面の老婦人に、出身地を最も狭い単位まで言い当てられたこともあるそうだ。アイルランドのドニゴールで、マレード・ニ・ウィニーとモイア・ブレナンの各々出身の村はごく近いが、言葉が微妙に違うという話を思い出す。
松永誠剛氏のダブル・ベースも単純にリズムを刻むのには程遠い。冒頭、いきなりアルコでヴァイオリンのような高音を出す。全体でも指で弾くのとアルコは半々ぐらい。伴奏をつけるというよりは、與那城氏の唄に触発された即興をあるいはぶつけ、あるいは支え、あるいは展開する。唄にぴったり寄り添うかと思えば、遠く飛び離れる。唄の邪魔をしているように聞える次の瞬間、唄とベースが一個の音楽に融合する。こんなデュオは聴いたことがない。
もちろんノーPAだ。会場はそう広くないが、相当に広いホールでも、おそらくPA無しで問題ないだろうと思われる。音圧という用語があるが、それよりも声の存在感、声が世界を変えてしまうその有様は、おそらく生でしかわからない。会場で販売されていたお二人のCDは買ってきたが、是非また生で体験したい。
松永氏は結構おしゃべりで、話が音楽と同じくらいの時間だが、むしろそれくらいがちょうどいい。しゃべりも快い。與那城氏と彼女が体現する宮古の伝統にぞっこん惚れこんでいるからだ。
ライヴに先立って、1時間、ピーター・バラカンさんがDJをされる。松永氏は songlines ということを考えていて、各地の歌は見えない線でつながっているというものらしいが、バラカンさんなりの songlines を見出すような選曲。そのリストはバラカンさんの Facebook ページに上がっている。
さすがの選曲で実に面白かった。あたしにとっての発見はアフリカ系ペルー人という Susana Baca の唄。およそラテンらしくない、すっきりとさわやかな音楽で、一発で好きになる。
対照的にサリフ・ケイタの Soro からの曲は、時代を感じてしまったのは、後でバラカンさんご自身も認めていた。ケイタの唄や女性コーラスはいいのだが、あの80年代のチープなシンセの音がほとんどぶち壊しなのである。これはケイタにとって不幸なことだし、おそらくあの時期に世に出た、「ワールド・ミュージック」の録音全体にとって不幸なことだ。もちろんどの時代の録音にも、時代に限られる部分と時代を超える部分があるものだが、あのシンセの音にはその超えてゆくところをもひきずり下ろすものがある。
バラカンさんの時は、この安養院瑠璃講堂備えつけのタグチ・スピーカーが大活躍していた。システムはゼロから田口氏が設計・製作されたもので、正面と背面の他に、頭上の鴨居の部分にあたるところに据えつけた特殊な形のものに加えて、高い天上から吊り下げたユニットまであって、良い録音ではまさに音楽に包まれる。上述のスザーナ・バカの録音などはその代表だった。田口氏ご自身も見えていて、終演後、背後の正面のものよりは小さめのスピーカーのカバーをとって説明してくださる。全て平面型の小さなユニットを縦に連ねて、その脇にリボン・トゥイータをやはり縦に連ね、下に二発、ウーハーにあたる平面型のやや大きめのユニットがある。ちょうど昔のマッキントッシュのスピーカー・システムに似ている。
備品のラックスマンのターンテーブルを使って、バラカンさんも2曲、アナログをかけたが、ここでデッドのアナログ大会をやってみたい、それも客として聴きたいものではある。
安養院瑠璃講堂は音楽を聴くには最高の施設の一つだが、困るのは周辺に食べ物屋が無いことで、ここに来るといつも夕飯を食べそこなう。この次は環七沿いのドライブイン・レストランを試してみるか。(ゆ)
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