無知で妹背山婦女庭訓三笠山御殿の段はほとんどわからず。とりわけ、蘇我入鹿役の楽善のセリフがまったくわからない。他の役者のは七、八割方はわかるから、必ずしもこちらだけの問題ではないだろう。と思ったら渡辺保は「口跡は明晰」と言うから、やはりあたしにはまだ「歌舞伎耳」ができていないのだろう。
いかにも歌舞伎の古典もの。長い話の一部だけを抜き出して語るのは、世界のどこでも伝統芸能では普通に見られる。ただし、その場合、聴き手ないし観客がその語りを楽しむには話の全体像を知っている必要がある。そこが無知なので、充分楽しめない。
いいなと思ったのは松緑の鱶七。きびきびして、かつゆったりと大きな動き。何だかなあと感じたのは官女たち。いじめているのはわかるのだが、完全に型にはまっているように見えて、憎らしさが出てこない。渡辺の言うとおり男の地声を出すのは興醒めする。
文屋は菊之助の舞い。先月の喜撰よりもずっと面白い。ひょっとすると3階の上から見たからかもしれない。この角度の方が動きがずっとよく見える。踊りは上から見るべきか。
六人の腰元が群舞につくが、菊之助を先頭に後ろに六人直線に並んで踊るあたり、『リバーダンス』冒頭のシーンを連想する。どちらが先、というよりはおそらくは各々独立に思いついたのではないか。菊之助の舞は見ているだけで相当にハードなもので、動きがゆっくりなだけに、難しい姿勢、動きを美しく見せるのは並大抵の精進ではなかろう。相当に基礎訓練を積んでいるはずだ。美しいだけでなく、コミカルでもある。先の菊之助を先頭にした群舞でも、後ろに並んだ腰元たちが、菊之助から将棋倒しになる。
ユーモラスというのとはまた少し違うようにも感じる。自他の区別をつけない日本文化の性格が現れているようでもある。笑いは文化のコアに直結していて、日本語の笑いは英語のユーモアとはおそらく別なのだ。日本の舞ではダイナミズムやスピード感がごく小さいが、こういうコミカルかつ優雅な舞はヨーロッパには見当らない。
野晒悟助は独立した話でもあり、婦女庭訓よりもわかりやすい話で、なかなか面白い。ただ悟助役の菊五郎が高齢で、動きにキレがまったく無いので、乱闘シーンがアクロバットだけになる。見得はあるけれど、その前後とつながらず、苦しいように見えた。もっとも立ち回りの四天が音羽屋と大きく書いた傘を駆使して、アクロバットや絵を作っていたのは、うまい開き直りではある。それを言えば、引っくり返って、赤褌を剥き出しにするのも、緊迫感が漲るはずの乱闘シーンをうまくひっぱずす。二幕の冒頭で悟助の若党が浄瑠璃を唸る代わりに「長崎は今日も雨だあった〜」とうたいだすのも、その後で悟助が「今、ヘンなうたが聞えなかったか」と当てるのも、効いている。
婦女庭訓でも感じたが、シリアスな話と思っているといきなりはずすセリフや動きをはさむのは面白い。ヨーロッパ流の喜劇、悲劇の別とは異なる。女殺油地獄の立ち回りもそうだが、シリアスとユーモアが一つのシーンに同居することが可能だし、それをともにうまく出すのが歌舞伎や浄瑠璃の醍醐味でもあるだろう。とはいえ、これは基調はコメディなのだろう。ここでも堤婆の仁三郎役の左團次のセリフがほとんどわからない。となると、あるパターンのセリフが聞き取れないのだろうか。どちらも悪役だ。
ラスト、返しの乱闘シーンのバックの音楽が面白い。ほとんどダンス・チューンだ。ここはセリフがなく、掛け声とこの音楽、それに床を棒で叩くツケだけで進行する。ツケはここぞという動きを強調するアクセント。演じられているドラマの緊迫感を出すのは音楽だ。3階だとこのツケ打ちの音の反響が聞えるのが楽しい。
今回は3階東の袖、桟敷上の席で、ここからは舞台の上手ほとんど3分の1は見えない。その代わり、黒衣の動きがよく見えるのが楽しい。舞踏の時の後見が舞台の奥を中央へ移動する際の足の運び。蹲踞のまま歩くのは、相当に筋力が要るはずだが、それをいとも簡単にさっさと進む。
踊りの動きがよく見えるとともに、役者の足さばきもよく見える。女形の歩き方の美しさは初めて腑に落ちた。細かく小さく足を出して、するするすると進む。和服の女性の歩きかたはあれが基本になる。そうしてみると役のキャラによって歩き方が異なる。というよりも、歩き方によって役のキャラを表しているのだ。とりわけ花道に出てくる時の歩き方だ。舞台に出る最初だから、そこでまずキャラクターを観客に印象づける。花道に出てくる時は舞台に向かって歩くしかない。こういう手法は、自然な演技を旨とする舞台では難しいだろう。
歌舞伎は仕種の一つひとつがある意味を備えている。具体的な意味のときも抽象的なもののときもある。しかし、まったく無意味、あるいは単に日常世界での体の動きそのままということは、おそらく皆無なのだ。そういう意味を的確に読みとれるようになると、本当に面白くなってくるのだろう。
席は脚の前に空間がなく、脚を組むこともままならないし、幅が狭く、胡座もかけないので、窮屈。これまでの席は、1階右後方、1階東桟敷、2階花道真上最前列。2階花道の真上が一番面白く見られた。ただし、ここも最前列は前が窮屈。
歌舞伎座の昼が16時10分前終演で、16時には夜の部開場、16時30分開演というのはなかなか凄い。まだ昼の部の客が客席から出終らないうちに、マキタを持った作業員がどんどん入ってくる。(ゆ)
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