ギターという楽器は有無を言わさず引きこむところがある。ルーツ・ミュージックを聴くようになって、フィドルとかパイプとか、いろいろな楽器の魅力を知っても、20世紀後半に青春を過ごしたあたしのような人間には、ギター、それもアコースティック・ギターは特別の存在だ。そもそもアイルランドやスコットランドの音楽に惹かれていったのも、ギターの音に誘われてのことだった。スコットランドのディック・ゴーハン、イングランドのニック・ジョーンズ、アイルランドのクリスティ・ムーア。ペンタングルは初めに聴いていたけれど、本当にいいと思えるようになるには時間がかかった。わかってしまえば、やはり最高ではある。

 ギターはまたリズムとメロディを両方できるし、同時に演奏できる。主役にも脇役にも、まったくのサポートにもなれる。比較的習得が容易で、1台でこういうことができる楽器は他にはほとんどない。20世紀後半にギターが普及したのには、この特徴が一役買っているだろう。昨日は弦を弾くだけでなく、ボディを叩いて音をだす奏法も使われた。叩く場所と叩き方によって、かなり多彩な音を出す。

 福江さんはどちらかというとカッティング主体のリズム・ギターの奏者というイメージだったのだが、昨日はソロ・ファースト・リリースを記念してのライヴでもあるからか、実に多彩な奏法を駆使して、初めて正体を顕した。特徴的なのはハーモニクスとボディを打楽器にする手法だが、右手でボディを叩きながら、左手で弦を弾いてメロディを奏でたり、右手の指の爪側を叩きつけたり、ネックの上側に左手を回して弦を押えたり、まあ、それはいろいろやる。もちろん、そういうことをやる、披露するのが目的ではなくて、それらはあくまでも手段だ。ただ、福江さんの手は大きく、指は長く、見ていてもなかなか面白い。

 曲はオリジナルで、ソロに収めたものが中心。どれも佳曲で、面白い。もともとはパンクやグランジが出発点だそうだが、曲は細部まで神経のゆきとどいた、繊細な要素が美しい。一方で、大らかで、開放的でもあり、全体の印象はゆったりしている。

 高橋さんはライヴでギターを弾くときはこれまで常に伴奏だったので、ギターを正面から弾くライヴは初めてだそうだ。福江さんと高橋さんは、最近、名古屋で偶然初めて顔を合わせたのだが、会った瞬間、波長が合うことを二人とも感じたという。相性の良さはなるほど尋常ではなく、冒頭、〈Music for Found Harmonium〉でたがいにリードをとり、リズムに回って、いきなり全開になる。

 高橋さんがリードを弾くのはあたしも初めて聴くので新鮮。福江さんに比べると、シャープで芯が太く、突破力がある。これが一番出たのは、前半の後の方で、リールをピッキングで弾いたとき。ソロでやっている高橋さんに、もうたまらんという調子で福江さんが合わせたのはまず最初のハイライト。メドレーにはせず、結局1曲を何度もリピートしたのだが、そうは思えないくらい、充実した演奏。

 それぞれのソロも良いのだが、二人での演奏は格別だ。今日の昼間、初めて合わせてみたというのは信じられない。アップテンポだけでなく、カトリオナ・マッケイの〈Swan LK243〉がすばらしい。スローなメロディがユニゾンになるのがそれはそれはカッコいい。

 ギター2本のライヴはどんなになるのだろうと、半分不安も無いといえば嘘になるが、実際のライヴは今年ベストと言ってもいいくらい。例によってベストはいくつかあるけれど、美味しい音楽を腹一杯聴かせてもらった、堪能したということでは、tricolor BIGBAND のものにも匹敵する。

 シンガーのひきたさんが来ていて、1曲唄う。〈Down by the Sally Garden〉のメロディに、福岡の笛吹きのおじいさんがつけた日本語の歌詞が良い。これまた、この日の昼に合わせてみたという、二人のギターをバックにした唄はもう一つのハイライト。間奏で、思わず自然に出るようにスキャットしたのもさらに良かった。

 ギターという楽器の魔法、相性の良い、それぞれに優れたミュージシャンの組合せという魔法、そして場所の魔法が合わさるとこういうことになる。あまりに良いので、今日は下北沢・レテである福江さんのライヴにも急遽行くことにする。今日の相手はアニーだそうで、これはまた楽しみ。今年はセーヴしようと思って、8月はあまりライヴを入れていないのだが、これだからライヴ通いはやめられない。(ゆ)


fluctuation
福江元太
gyedo music
2018-08-29