あかまつさん
チェルシーズ
DANCING PIG
2013-07-14


 リリースから5年経つ。この5年はグレイトフル・デッドにあれよあれよとのめりこんでいった時期なのだが、一方で、その5年間に聴いた回数からいえば、このアルバムが最も多いだろう。いつも念頭にあるわけではない。しかし、折りに触れて、このタイトルがふいと顔を出すと聴かずにはいられない。聴きだすと、40分もない長さのせいもあり、最後まで聴いてしまう。聴きだすと、他に何があろうと、終るまで聴きとおす。

 これはコンセプト・アルバムとか首尾一貫アルバムというわけではない。各々の曲は自立し、完結している。にもかかわらず、あたしにとって、これは1本のまとまった映画というか長篇というか、いや音楽なのだ。この九つの曲がこの順番で出てくる、この順番で聴くのが快感なのである。そうしてラストのタイトル曲のイントロが聞えてくると、いつも戦慄が背筋を駆けぬける。悦びなのか、哀しみなのか、単なる感動なのか。それはもうどうでもいいことで、気がつけば、あかまつさんのコーラスに力一杯声を合わせている。8回ぐらいのリピートでは短かすぎると思いながら。

 チェルシーズはまりりんとラミ犬のデュオだ。まりりんがピアニカ、トイ・ピアノ、ホィッスルを担当し、ラミ犬がギター、ベース、ウクレレ、フルート。二人とも様々なパーカッションを操り、そしてもちろんうたう。どちらもリードがとれるし、ハーモニーもできる。ここで言えば01, 02, 04, 06, 07, 09 がまりりん、それ以外がラミ犬のリード・ヴォーカル。リードをとらない方はたいてい何らかの形でハーモニーを合わせる。スキャットしたり、コーラスを唄ったり。どちらも遜色はないが、声の性質からか、ラミ犬のリードにまりりんが合わせるハーモニーはよくはまる。

 まずはこの声だ。まりりんの声はいわゆる幼女声でしかもわずかに巻き舌。アニメの声なら天真爛漫な幼児のくせに肝心なところで舞台をさらうキャラクター。一方で、そういうキャラにはよくあるように、妙に成熟したところもある。幼生成熟と言えなくもないかと思ったりもする。その眼は醒めて、人やモノの本質を見抜く存在の声だ。

 ラミ犬の声も年齡不相応に響く。あるいは年齡不詳か。声域は高めでかすかにかすれる。

 二人ともどこから声が出ているのかわからない。どこにも力が入っていない。張りあげることも、高く澄むことも、低く沈みこむことも、まったくない。クルーナーでもないし、囁くスタイルでもない。しかしふにゃふにゃにはならない。明瞭な発音と相俟って、確かな説得力をもって聴く者に浸透する。浸透力は並外れている。ということはまず唄が巧い。そして声には芯が1本通っているのだ。

 この声で湛々と唄われるうたは、シュールリアリスティック(〈バナナの木〉〈つらら〉)だったり、飾りも衒いもないストレートなもの(〈上司想いの部下のうた〉〈あかまつさん〉)だったりする。時に何を唄っているのか、よくわからなかったり(〈ひるねのにおい〉)もする。一聴、わかりやすいと思うが、よく聴いてみると実はもっと深いところまで掘りさげているのではないかと思えたりするもの(〈ぐるぐる〉)もある。夏が来て、秋に移り、そして冬に凍てつくうたもある。いずれにしても一筋縄ではいかないし、何度聴いても面白い。

 歌詞が乗るメロディとリズムも一見あるいは一聴、とりわけ特徴的なものがあるわけではない。いわばごくありきたりなポップス。現代日本語のうたの範疇のうちだ。ありふれた、といえばこれほどありふれたものもない。どちらかというと歌詞が先に出てきて、楽曲はそれに合わせる形で生まれたように聞える。どれもうたわれている詞にどんぴしゃだ。とりわけあたしのお気に入りは〈眠れぬ夜のかたつむり〉。力の抜けたこのアルバムの中でも、飛び抜けて力が抜けている。

 こうしたうたを、二人はほとんどがギターと、せいぜいがピアニカの伴奏だけのシンプルな組立てでうたう。ドラム・キットを使わず、パーカッションをめだたないように、要所をはずさず、アクセントをつけて使う。〈おはよう〉の手拍子。〈眠れぬ夜〉の終り近く「あくびをすると」で入る鉦。すると、楽曲は立体的に立ち上がってくる。シンプルだが一つひとつのディテールが綿密に練りこまれている。聴きこんでゆけばゆくほど、複雑な絡みが聞えてくる。聴くたびに発見がある。つい先日も、〈眠れぬ夜のかたつむり〉の間奏のギターの後ろでカラカラカラと金属の打楽器を鳴らしていることに初めて気がついた。

 唄も巧いが、楽器の技倆も確かだ。とりわけ難しいことをやっているようにもみえないが、シンプルなことをみごとにこなす。〈うろこ雲〉のピアニカ・ソロ。〈つらら〉コーダの口笛。〈上司想いの部下のうた〉のギター。ギターは時に電気も通し、多彩な奏法を聴かせるが、どれも適切的確。派手なことは何もやらないが、相当に巧い部類だ。そして〈あかまつさん〉のイントロのギターはあたしにはひどく郷愁を起こさせる。こういうギターの響きに誘われて、音楽の深みに惹きこまれていったのだ。

 加えてやたらに録音がいい。練りこまれたディテールが隅々まできちんととらえられている。システムの質が上がってくると、そうしたディテールがあらためて姿を現わす。録音がいいことが何回も聴く要因の一つではある。何か新しい機材を手に入れたり、エージングが進んで音が良くなったりしてくると、それで《あかまつさん》を聴いてみたくなる。そして聴きだせば、最後まで聴いてしまう。

 ことさらに録音がいいからと薦められた、いわゆるオーディオファイル向けのリリースには、録音は良いかもしれないが、肝心の音楽がさっぱり面白くないものが多い。そういう中ではミッキー・ハートの《Dafos》やブラジルの Jose Neto の《MOUNTAINS AND THE SEA》は音楽もすばらしく、録音も優秀な例外だが、あたしとしてはむしろ音楽が面白いものがたまたま録音も良いのが理想だ。Lena Willemark & Ale Moller のECM盤や英珠の《Cinema》はその代表だが、《あかまつさん》もそういう音楽録音共に優秀なものの一つではある。最近は《tricolorBIGBAND》やさいとうともこさんのソロなど、音楽も録音もすばらしいものが増えているのは嬉しい。ついでに言えば、アイルランドの録音はだいたいにおいて水準以上だし、ダブリンは Windmill Lane Studio を根城にする Brian Masterson の録音はどれも優秀だ。

 それにしても、タイトル曲にうたわれる人も、数は多くないかもしれないが、どこの集団、場所にも一人はいるはずだ。その皆が皆、あかまつさんのように、少なくとも一人は好んでつきあってくれる相手がいるとは限るまい。むしろ、邪魔者扱いされたり、あるいは差別の対象にされたりすることもあろう。チョコレートの虫ではなく、本物の虫をロッカーに入れられることの方が多そうだ。そしてそれはそのまま、この国の表象にもなる。あかまつさんという名には赤塚の『おそ松くん』の谺も響いているかもしれない。あそこには出てこないこの名前を選んだのだろうか。

 この歌の語り手もまたあかまつさんの同類とされている。そのあかまつさんが急にいなくなる。そのやるせなさ、これからどうすればいいのかという不安が、あかまつさんと繰り返し呼びかけるコーラスに響く。ユーモアにくるんで悲痛な想いを唄うことでかろうじて自分を支える。そのコーラスに声を合わせてしまうのは、これを聴いている自分もまた、あかまつさんであるとわかっているからだ。

 ラミ犬はソウル・フラワー・ユニオンのサポート・サイトを主宰していた。チェルシーズはつい先日、台風直撃の中、10周年記念ライヴを無事やり了せたようだ。まりりんが東京に転居とのことで、ひょっとするとこちらでチェルシーズのライヴを見られるかもしれない。(ゆ)


[Musicians]
まりりん: vocals, pianica, toy piano, tin whistle, percussions
ラミ犬: vocals, guitar, bass, ukulele, flute, pandeiro, percussions

Recorded, Mixed & Mastered by 西沢和弥(のんき楽園

[Tracks]
01. バナナの木 02:47
02. ひるねのにおい 04:24
03. おはよう(また夏が来たみたい) 03:22
04. 眠れぬ夜のかたつむり 06:11
05. うろこ雲 03:01
06. つらら 03:27
07. 上司想いの部下のうた 03:49
08. ぐるぐる 03:37
09. あかまつさん 05:32