フィドラーのトミィ・ピープルズが今月3日、70歳で亡くなったそうです。近年は曲作りだけで、演奏はできない状態だったようです。アイリッシュのフィドルの大御所的存在で、もっと高齢の印象でした。アイルランドでは大統領が追悼の意を表しています。

 後年のピープルズは伝統を一身に体現するような、ちょっと近寄りがたい外見でしたが、何といってもかれの第一の貢献といえばボシィ・バンドの創設メンバーであることでしょう。少なくともあたしにとってはそうです。

 ボシィのフィドルといえばケヴィン・バークですが、かれは二代目でした。バークとドーナル・ラニィはトミィ・ピープルズとトニィ・マクマホンの代わりに参加するわけですが、ドーナルによれば、二人が入ったとき、すでにボシィのレパートリィやスタイルは確立していて、二人がつけ加えるようなことはなかったと言います。ドーナルはともかく、バークについてはどうやらその通りです。かれはボシィ以前に1枚、Smithonian Folkways にアルバムがありますし、おそらくもっと有名なのはアーロ・ガスリーの The Last Of The Brooklyn Cowboys で1曲弾いているものでしょう。これらで聞かれるフィドルはむしろメロウな、流麗といってもいいものです。それがボシィに参加した途端、がらりと変身し、「機関車」と呼ばれるアグレッシヴなフィドルになります。それにはパディ・キーナン、マット・モロイのフロントの二人の影響も大きかったでしょうが、前任者であるトミィ・ピープルズの残したものもあったはず。

 ボシィ・バンドの特徴としては、演奏スタイルとともに、曲の組合せの巧さがあります。これにもトニー・マクマホンとともにピープルズの貢献が大きいそうです。やはりドーナルの話では、この二人は良い組合せを作る才能がとびぬけていて、ボシィのレパートリィの組合せはほとんどが二人の考えたものの由。

 では、そのピープルズがボシィを脱けたのはなぜかと言えば、実は酒でした。アイリッシュのミュージシャンで酒で体を壊したり、若い頃飲みすぎて、アルコールを禁じられたりしている人は少なくありません。ピープルズだけではなく、たとえばクリスティ・ムーアなどもそうですし、他にも何人もいます。もっとも偉いのは、ピープルズもムーアも、一度酒で失敗した後はみごとにこれを断って、復帰したことです。ボシィ・バンドはピープルズの脱けた後に、アイリッシュ・ミュージックの現代化をやってのけ、今にいたるまでアイリッシュのバンドのひな型になるわけですが、ピープルズの方はアイリッシュ・ミュージックのフィドル伝統を伝える柱石になります。

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 ボシィ・バンドのファーストを別とすれば、ソロの最初の2枚、1枚はポール・ブレディ、もう1枚はダヒィ・スプロールのギターを相手にしたもの、それにマット・モロイ、ポール・ブレディとの3人のアルバムはあたしの愛聴盤であります。

 娘さんの Siobhan も優れたフィドラーとして活躍してます。あたしは親父さんより好きかもしれない。

 リアム・オ・フリンに続く訃報で、やはり一つの時代が終りつつあるということでありましょう。(ゆ)

High Part of the Road
Tommy Peoples
Shanachie
1994-11-23


Iron Man
Tommy Peoples
Shanachie
1995-04-18


Matt Molloy / T Peoples / P Br
Matt Molloy
Green Linnet
1993-01-05