今月末に刊行予定のルーシャス・シェパード/内田昌之=訳『竜のグリオールに絵を描いた男』竹書房の解説に1ヶ所、誤りがありました。お詫びして訂正します。
412pp. にこのシリーズの最初の作品、表題作の「竜のグリオールに絵を描いた男」The Man Who Painted the Dragon Griaule について、
「(発表順に言えばデビューから六作め)」
とありますが、正しくは「十作め」です。
念のため、そこまでの作品を発表順に並べるとこうなります。
01. 1983-06, The Taylorsville Reconstruction, Universe 13,
02. 1983-09, Solitario's Eyes, F&SF
03. 1984-04, Salvador, F&SF「サルバドール」
04. 1984-06, Black Coral, Universe 14「黒珊瑚」
05. 1984-07, A Traveler's Tale, Asimov's「ある旅人の物語」
06. 1984-07, The Etheric Transmitter, The Clarion Awards
07. 1984-09, The Storming of Annie Kinsale, Asimov's
08. 1984-10, The Night of White Bhairab, F&SF
09. 1984-12, Reaper, Asimov's
10. 1984-12, The Man Who Painted the Dragon Griaule, F&SF「竜のグリオールに絵を描いた男」
11. 1985-08, Mengele, Universe 15「メンゲレ」
この間、1984年5月に第一長篇 Green Eyes『緑の瞳』が出ています。こうしてみると、1984年はシェパードにとって「驚異の年」でした(翌1985年も「驚異の年」です)。
各発表媒体について簡単に。
Universe は Terry Carr 編のオリジナル・アンソロジー・シリーズ。デーモン・ナイトの Orbit と並んで新人発掘に威力を発揮し、オリジナル・アンソロジーというメディアを確立しました。1971年から1987年まで17冊が出ています。
F&SF、当時は The Magazine of Fantasy & Science Fiction が正式名称で編集長は五代め Edward L. Ferman。ファーマンは地味な人ですが、1966年から91年まで同誌編集長を勤めました。同誌歴代編集長では最長で、疾風怒涛、ニューウェイヴの60年代から「スターウォーズ」、サイバーパンク、さらにその後までと、英語SF、ファンタジィの変化が質的にも量的にも最も大きな時代を通じて、常に同誌の質を高く維持し、重要な作品を掲載しつづけた功績はもっと認められていいと思います。キャンベル、バウチャー、ゴールドと並ぶ、陰の巨人の一人でしょう。シェパードもまた、ファーマンが世に出した書き手の一人です。
Asimov's、当時の正式名称は Isaac Asimov's Science Fiction Magazine で、編集長は三代目の Shawna McCarthy。彼女の任期は1983年から85年と短いですが、その後の同誌の方向を決定づける重要な仕事をしています。後を継いで、同誌をナンバー・ワンSFF雑誌に育てるのが先頃亡くなったガードナー・ドゾア。
The Clarion Awards は1984年、Doubleday 社にいた Al Sarrantonio が提唱して行われたもの。1976年から82年のクラリオン・SF・ワークショップの卒業生で、当時プロ・デビューしていなかった書き手を応募資格として作品を募集しました。スポンサーはダブルディ社とワークショップの会場を提供していたミシガン州立大学。審査員はアルジス・バドリス、マータ・ランドル、オースン・スコット・カード、ケイト・ウィルヘルム、それにダブルディ社の Pat LoBrutto と Terrence Rafferty。シェパードの作品はその第一席として賞金200ドルを獲得しています。
本の方は第一席から第三席までの受賞作3篇の他に、応募作品からデーモン・ナイトが独自に選び、計14本を収録して、ダブルディから出ました。ちなみに収録された14人のうちには、シェパードの他、ニナ・キリキ・ホフマン、ディーン・ウェズリィ・スミスがいます。(ゆ)
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