とても初めてのギグとは思えない息の合い方だ。レベルの高いミュージシャン同士だからといって、いつも息が合うというものでもないはずだ。これはひょっとするとミホール・オ・ドーナル&ケヴィン・バークとか、アリィ・ベイン&フィル・カニンガムとかと肩を並べるコンビになるかもしれない。
いろいろな意味でかなり細部まで練られているのも、いつものアイリッシュ・ミュージックのギグとはいささか趣を異にする。音楽はすばらしいが、それ以外は結構ルーズで、いい加減で、だらだらしている、というのも、アイリッシュらしくてあたしは嫌いではないが、なるほど、アイリッシュでもやろうと思えばこういう風にもできるのだ。
演奏曲目が印刷された洒落たカードや関係のある映像のスライドが用意され、カードには数字が書かれた別の小さなカードが付随していて、これでビンゴをやる。賞品はマイキィ特製のソーダ・ブレッドと紅茶のセットや、次回ギグのチケットだ。
このコンビならフィドルとギターを延々と聴けるものと予想していたら、これも良い方に裏切られる。同じ楽器ばかりだと飽きますよね、と高橋さんは言うが、あたしはそうでもない。演奏の質がある閾値を超えると、おんなじ組合せでもいくらでも聞いていられる。もっとも、様々に楽器を変えるのももちろん楽しい。マイキィがホィッスルも巧いのは以前 O'Jizo のライヴにゲストで出たのを聞いて承知していた。
マイキィのフィドルには良い意味の軽みを感じる。俳諧の、それも蕉風というよりは蕪村や一茶の軽みだ。剽軽というのとはちょと違う。強いて似たものをあげれば、Ernie Graham の〈Belfast〉のバックのフィドルが一番近いか。マイキィがもっと年をとると、あの飄々とした、可笑しくて、しかも哀愁に濡れた響きを聞かせるかもしれない。不思議なことにあたしはアイルランドのフィドルに哀愁を感じたことがない。スロー・エアでも、フィドルで奏でられると明るくなる。明るくて哀しい演奏もないではないが、哀しさはずっと後景に退く。これがパイプとかフルートとかだと哀愁に満ちることもあるのだが、フィドルはどうやっても哀しくならないところがある。アイルランドでは。スコットランドのフィドルは対照的に陰が濃いときがある。マイキィのフィドルの軽みは、あるいはアイルランドでは最も哀愁に近くなってゆくかもしれない。
面白いのはホィッスルの音色にも同様の軽みが聞えることだ。これもどうもあまりこの楽器で聞いた覚えがない。
高橋さんの演奏は芯が太く、どちらかというと重い。鈍重というのではもちろん無く、重みがあるということだ。高橋さんのギターの師匠は城田じゅんじさんだそうだが、城田さんのギターはむしろ軽い。このあたりは音楽家としての性格で、良し悪しの話ではないが、相性はそれによって変わってくる。たぶんマイキィと城田さんではあまり合わないだろう。高橋さんの重みを含んだ音がマイキィの軽みにちょうどぴったりなのだ。
この日はギターの方が音が大きめで、その動きがよくわかる。相当に複雑なことをしている。ビートをキープするだけでなく、時にはユニゾンでメロディを奏でたり、ハーモニーをつけたりもする。それが音楽をエキサイティングにする。聴いていると熱くなってくる。いつもは否が応なく耳に入ってくるフィドルは、軽さもあってか、耳を傾むけさせる。集中を促すのだ。なかなか面白い体験だ。
楽器の選択だけでなく、選曲もバラエティに富み、テンポも変える順序にしている。まずリールのセットで始め、次はスローな曲、その次はジグのセット、という具合。前半にギターの、後半にフィドルのソロも入れる。これが各々にまた良い。ハイライトはまず前半のワルツ。その次のスロー・エアで、ひとしきり演奏してからマイキィがそのメロディのもとになっている歌のアイルランド語詞を朗読する。なかなか良い声だ。それからジグにつなげるのも良い。
後半で、ひきたかおりさんがゲストで入り、この前の高橋さんのギグの折りにも唄った〈Down By The Sally Garden〉の日本語版を、ロゥホィッスルとギターの伴奏でうたう。この歌詞はすばらしいし、ひきたさんの唄もまた良し。ぜひ、唄がメインのギグもやってください。
アンコールは何も考えていなかったらしく、その場で楽器は何を聴きたいかと客席に問いかける。結果、フィドルとバンジョーの組合せでのリールのセットになり、これがもう一つのハイライト。良いセッションを聴いた気分。
正直、客の入りは心配していたのだが、お二人の人脈は幅広く、満杯。新しいデュオの、まずは上々の出だしではなかろうか。来年ぐらいには録音も期待しよう。(ゆ)
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