夜の部。演し物は『夏祭浪花鑑』「住吉鳥居前の段」から「田島町団七内の段」。途中休憩3回計50分を含め、4時間半。
例によってストーリーはあたしの眼からは筋が通らないが、そういうところは無視するのもだんだん慣れてきた。ポイントはまず「長町裏の段」での、主人公・団七による義平次殺しのシーン。ここは大夫と三味線は沈黙し、隠れた囃子と歌舞伎のつけ打ちだけを背景に演じられる。凄惨、壮絶、血みどろ、そして神秘的でもあり、美しい。井戸の周囲を逃げまわる義平次と大刀を握ってこれを追う団七。団七は別に剣法の心得があるわけでもなく、刀をただ振り回し、突くばかりで、死に物狂いで逃げる義平次をなかなか捉えられない。団七はいつか着物も脱ぎ、褌一丁になって、髪をふり乱して追いかける。二人ともただ獣となって、動きまわる様は、舞踏でもある。これぞ死の舞踏。義平次は丸腰だから、いずれ殺られることは明白だが、しかししぶとく、すばしこく、かえって団七を翻弄する。演劇の肉体性が剥き出しになって迫ってくる。団七は両の上腕、両太股に刺青をしている。不動明王だそうだが、そんなことは見ているときはわからない。むしろ刺青が団七をして義平次を殺させているようだ。倒れた義平次の上に仁王立ちに、大の字に突っ立ち、やおら刃を真下に向けて留めを刺す。何度も刺す。くるりと後ろ向きになり、背中で押す。人形ならではだ。
文楽は人形の遣い手が顔をさらす。おそらく世界でも唯一の人形劇だろうが、佳境に入ると、やはり遣い手の姿は消えて、人形だけが見える。面白いのは、人形が舞台の奥を向く時、人形遣いたちの姿で人形が隠れる時は遣い手の姿が見える。
「長町裏の段」では、殺しに入る前に団七と義平次のやりとりがある。というよりも、義平次が団七をさんざんに嬲る。これを二人の大夫で演じる。片方の科白が終らぬうちにもう片方が言いはじめるところがあるためだろうが、緊迫感がぐんと増す。ここで舅の執拗な嬲りに耐えに耐える団七を演じる大夫が凄い。大夫自身も身ぶり手振り入りで演じている。人間、おそらくそうなのだ。声だけ演技する、というのはおそらく無理がある。この面白さ、人形の演技と科白を言う人間の演技が重なり、増幅しあう。そう、文楽では人形遣いだけでなく、大夫つまり声優も姿を現わしている。おまけに今演じている大夫の名前も各段の初めに宣言される。
二人の格闘が続いているときに、背景を祭の鉾が動いてゆく。山形の竿頭のような、提灯のたくさんついた帆船の檣に似たものが二つ、上手から入ってきてゆっくりと動いてゆくのが、ひどく幻想的だ。場全体が異次元の色彩を帯びる。
もう夢中になった。あんまり夢中になって見つめていたので、休憩になったら首が痛い。初めて文楽を見た『女殺油地獄』のあの、つるーーーーとすべるシーンと並ぶ面白さだ。
基本はシリアスな話のはずだが、随所にユーモアも配されていて、客席がどっと湧くところもいくつもある。脚本がよくできているのだろう。この話はもちろん歌舞伎でも演じられている。ちょうど先月歌舞伎座にかけられて、かなり良い舞台だったらしい。いずれそちらも見てみたい。
もう一つ、今回気づいたのは、人形の胴体の細かい動きの面白さである。胴体は三つか四つに分かれているらしく、これを組み合わせて、ごく細かい動きや姿勢を見せる。特徴的なのは女性の人形で、鳩尾のあたりを出したり引っこめたりするのが、ある感情を表現する。手や顔ではなく、胴体の動きで感情がわかるのが面白い。それも左右ではなく、前後の出し入れ、さらに一部だけだ。この方法を誰がどうやって見つけたのだろうというのにも興味が湧く。席は右手一番奥で、眉毛の上下などは見えないかわりに、これに気がついたのかもしれない。
それにしても、もう少し交通の便がいいところでやってくれないかと思う。舞台がハネると劇場前に都バスが待っていて、新宿駅まで行けるのだが、やっぱりねえ、時間がかかる。(ゆ)
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