本来ならちゃんと読んでから書くべきだろうが、こういうめでたいことはまずは注意喚起しておいてもいいでしょう。
Library of America
2018-10-09
AOL じゃない、LOA から出た新刊だ。Library Of America は、アメリカ文学の古典を、学問的にしっかりした校訂をほどこし、永年読みつづけられるよう、瀟洒だが頑丈なハードカヴァーとして出しているNPO法人だ。ホーソーン、メルヴィル、トウェインからアップダイクまで、ここに収録されることはアメリカの書き言葉による art の古典として末永く読み継がれるべきものと認定されたことを意味する。ハードカヴァーだが、各巻は通常の4、5冊分が収録されて、コスパは高いし、絶版にしない。
狭義の文学、つまり小説、詩、エッセイ、歴史などだけでなく、『憲法制定議論』として、合州国草創期の憲法制定議会の議事録があったり、第一次、第二次の世界大戦、ヴェトナム戦争の報道記事を集めた巻があったり、オーデュボンの巻ではあのイラストがフルカラーで入っていたり、なかなか面白い。今世紀に入ってから、サイエンス・フィクションの収録にも積極的で、ヴォネガット、ディック、ル・グィンが集められているし、ラヴクラフトの一巻や50年代クラシックの長篇9本を集めた2巻本もある。
Various
Library of America
2012-09-27
一方で、オリジナルのアンソロジーも多数出している。宇宙開発草創期の様々な文章を集めたもの、ニューヨークに関するもの、音楽にまつわるものなど様々。ピーター・ストロウブが編集してポオから現代までの fantastika を集めた巨大な2巻本は世界幻想文学賞の最優秀アンソロジーを受賞している。
Peter Straub
Library of America
2009-10-01
今回はパルプからル・グィンまでの女性の書き手による中短編25本を集めたもの。カヴァーは1965年の「宇宙服」。撮影はリチャード・アヴェドン。収録されているのは Clare Winger Harris の "The Miracle of the Lily" (1928) からル・グィン「九つの命」Nine Lives (1969) まで。半分ぐらいはあたしでも知っているが、半分はまったく初めて聞く名前。
ジュディス・メリルの「ママだけが知っている」、キャスリン・マクリーン「接触感染」、ゼナ・ヘンダースン「アララト」、あるいは、ソーニャ・ドーマン「ぼくがミス・ダウであったとき」など、有名な作品もある。ティプトリーは「エイン博士最後の飛行」(1969) で、そりゃ、そうだよなあ、これしかない。
編者のヤスゼクに言わせれば、サイエンス・フィクションが男性のものだったなどというのは「伝説」の類で、女性の書き手もしっかりいて、しかも重要な作品を書いている、ということになる。まったく、その通り、と目次の中で知っているものを拾っているだけでも思う。そして、そうした書き手がこれまできちんと評価されていない、というのもうなずける。つまりはこういうアンソロジーが必要なのだ。
一方で、こういう本が出るのは、とりわけ2010年代に顕著になっているSFFにおける女性の進出が背景にあるだろう。今年のヒューゴー、ネビュラの最終候補作のリストは面白い。ネビュラでは長篇から短篇まで4つの小説部門の最終候補に作品が残った書き手23人中、男性が7人。ヒューゴーでは21人中、なんとたったの3人なのだ。念のため、もう一度言うが、この数は女性の書き手の数ではない、男性の数だ。昨年はネビュラが23人中、男性が8人、ヒューゴーは23人中7人。この二つでは重複も多いから、合わせてみると、今年は33人中男性が9人、昨年は36人中11人になる。
ちょっと調べてみたら、2011年が分水嶺になっている。ネビュラもヒューゴーもこの年、初めて女性の数が男性を上回る。合算も同じ。ネビュラは以来、男性の数は着実に減っていて、今年は最低の比率(30.4%)。ヒューゴーでは例の "Sad Puppy" 騒動で、2014から2016年までは男性が上回るが、昨年はまた引っくり返り、今年は上記の数字になった。ネビュラでは今世紀に入ると女性の数が増えはじめ、着実に増えている。ヒューゴーでは2009年までは男性が7〜8割を維持していたのが、2010年にがらりと様相が変わる。
両賞のすべての年を調べたわけではないが、少なくとも1970年代まではほぼ男性ばかりだ。1980年代までは女性の作品が最終候補に残るのはまだ例外に属する。もっともほとんど一面男性ばかりの中に、女性がちらほらという風景は1980年代に変わりはじめている。1990年代になると女性は比率はまだ小さいが、確実に一角を占める。
2010年代のこの様変わりの原因はもちろん単純ではないが、確実に言えるのは、書き手、読み手双方に女性が増えたのだろう。おそらく書き手の増え方の方が急激ではあるだろうが、読み手の増加も小さくないだろう。きっかけの一つは「パラノーマル・ロマンス」のブームではないか、というのが、あたしの見立てだ。あれでロマンスものの男性の読者が、それ以前の5%以下から3割に増えたそうだが、一方で、ロマンスものからSFFに流れた女性読者もかなりいたんじゃないか。比率としてはそう大きくはなくとも、絶対数では大きいだろう。そしてそのパラノーマル・ロマンスのブームが絶頂になるのは2011年なのだ。
ロマンスものというと、わが国ではハーレクインのイメージだろうが、アメリカでは小説として出版されるものの半分はロマンスものだ。SFFも『スター・ウォーズ』以来成長を続けて、今ではロマンスものに継ぐぐらいになってはいるが、規模の点ではまだロマンスものの敵ではない。小説出版では、少なくとも点数と売上においては、他のジャンル、SFF、ミステリ、スリラー、なんじゃもんじゃ、全部ひっくるめても、ロマンスものにはかなわない。ハーレクインだけではなく、大手版元はどこもロマンス専門のインプリントを持っている。書き手の数も相応して多く、作家組合の Romance Writers of America は会員数1万を超える。ちなみにSFWAの会員数は2,000人弱だ(これだって凄い数字だ。人口比でいえば、わが国のSF作家クラブの会員が700人いなくてはならない)。
パラノーマル・ロマンスの爆発は、ロマンス業界にとってほとんど革命だったわけだが、ひょっとするとその余波、というには大きな波がSFF界をも襲っているのかもしれない。点数や売上、上記のような読者層の変化もさることながら、ロマンス作家の地位が上がったのだ。つまり、ロマンス作家の一部がジャンルの外へ突破した。ロマンス専門のインプリントではなく、本体のブランドからハードカヴァーとして新刊が出るようになった。そうすると、これらの作家は通常ロマンスものは読まないがSFFのジャンルは読む読者にも読まれるようになる。同時にそれまでロマンスものしか読まなかった読者たちが、こうした作家たちを追いかけてジャンルの外へ出てゆく。パラノーマル・ロマンスはファンタジィの形を借りたロマンスだ。したがってジャンルから出た、旧ロマンス作家たちの本は本屋でもオンラインでも、SFFのところにある。パトリシア・ブリッグスの本をアマゾンで買ったら、N・K・ジェミシンの本を薦めるメールが来るわけだ。あるいはアンソロジーで、ロマンス出身の書き手と、ジャンルとしてのファンタジィ出身の書き手が同居することも多い。
ロマンス作家は例外なく女性だ。たとえ本当は男性であるケースも絶無ではないのだろうが、表に出ている姿、写真とかウエブ・サイトに載る映像はすべて女性だ。あたしもひと頃、パラノーマル・ロマンスは集中的に読んだが、どれもこれもよく出来ている。一定の面白さを保証してくれる。ハッピーエンド、ヒロインの一人称視点、そして30代前半独身のヒロイン、というのがロマンスものの掟だが、それ以外では、ほとんど何でもありである。そして、シリーズものがほとんどだが、どれもこれも設定、キャラクターの造形と配置が実にうまい。あまりにうまいので、これを全部一人で考えて書いているとは信じられなくなるくらいだ。実はプロダクション方式で、作家として表に出ているのは看板じゃないかと勘繰りたくなる。
SFFに入ったパラノーマル・ロマンスは urban fantasy と呼ばれる。チャールズ・ド・リントのように、パラノーマル・ロマンス以前から現代都市を舞台にしたファンタジィを書いている作家もいるが、この頃では、かれらの作品も urban fantasy と呼ばれる傾向がある。確かに、ファンタジィの書き手には女性が昔から多いとは言えよう。ネビュラもヒューゴーも作品の内容はサイエンス・フィクションに限定していない。また、限定できるはずもない。それでも、どちらかといえばヒューゴーの方がサイエンス・フィクションの比率が高い傾向はあったかもしれない。2000年代までヒューゴーの男性比率が高かったのは、その反映ということもありえる。そのヒューゴーも、しかし今年は85%以上が女性の書き手の作品である。来年はどうなるのか。Sad Puppy ならずとも、心配になってくるではないか。
とはいえ、かつては男性が独占していたのだから、これからしばらくは女性が独占してちょうど釣合がとれるというものだろう。もっとも、この性別は書き手の名前からの推測である。ということは生物学的な性別だ。SFFに限らず、文学にも限らず、今の文化のキーワードは「多様性」である。ニューヨーク・コミック・コンでの多様性をめぐるパネル・ディスカッションで Charlie Jane Anders の言うとおり、より多様なジェンダーの、より多様な肌の色の、より多様な世界観の、より多様な出身の書き手による作品が求められているし、また書かれるだろう。LOA に LGBT をテーマとしたアンソロジーが登場するのも、案外近いかもしれない。理想は The Future Is Diversity! ではある。
まあ、われわれが住んでいるのは残念ながら理想の世界では無いから、まずは The Future Is Female! を突破口として、これをじっくり読むことにしよう。編者のヤスゼクは、今を色彩る女性作家たち、C・J・チェリィ、N・K・ジェミシン、ンネディ・オコラフォー、アン・レッキー、ジョー・ウォルトン、マーサ・ウェルズ、それにあたしとしてはオクタヴィア・バトラーとアリエット・ド・ボダールも加えたいが、こうした作家たちが出現した背景には、パルプ以来の長い伝統があるのだ、とも言っている。そういえば、Pauline Hopkins もいるじゃないか。さあ、お楽しみはこれからだ。(ゆ)
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