平成中村座は、コクーン歌舞伎同様、十八世勘三郎が始めた。江戸時代の芝居小屋を再現している。舞台の間口は今の歌舞伎座の半分くらいか。奥行も、歌舞伎座で普通使われる部分のやはり半分ぐらい。客席もこれに応じて狭く、定員は確か856。歌舞伎座なら桟敷になるような、舞台と直角に、メインの客席に向けた席が1階両脇と2階に設けられている。ここも別に桟敷ではなく、普通の席で前後二列ある。面白いのは2階席が緞帳の向こうまで伸びていることで、桜席と呼ばれるここに座れば、舞台の上で進行しているものは準備も含めて全部見える。花道の長さは歌舞伎座の3分の2くらいだろうか。

 舞台との距離が短かいから、役者の顔もよく見えるのはいいが、その両側の舞台とは直角を向いて座る席だったので、後半、腰が疲れて、座っているのが苦痛になってくる。椅子そのものも江戸規格らしく、小さくて、まるで小学校の椅子に座っている按配。しかも体を捻らねばならない。夜の三部構成のうち、最後の「忠臣蔵」が1時間半あるので、後半は時々体を動かして何とか凌ぐ。

 舞台の狭さは囃子方に皺寄せが行く。第二部の踊りでは笛、鼓、太鼓の4人が下手の緋毛氈に座り、長唄と三味線が上手にしつらえた台に座る。こちらは我々の席からは幕の陰になってほとんど見えない。

 江戸の再現として、客は靴を脱いで客席にあがる。ビニール袋が配られ、履物はそれに入れて席まで持ってゆく。本来なら下足番がいて、履物はすべて預かったはずだが、そこまでやる気は主催者の側にはどうやら無い。

 場所は浅草・浅草寺本堂の裏にテントを建てている。平成中村座はもともとここが発祥の地の由。開演に合わせて行くと、浅草は完全に観光地となり、各国からの観光客に国内の人間も入り乱れている。早く着いたので、隅田川の土手でグレイトフル・デッド・イベントの準備にリスニングをしていると、目の前を高齢者白人観光客の団体さんが通ってゆく。対岸にはスカイツリーが立っている。川面は案外船の往来がある。空には鷗。雲はあるが、空は明るく、風が無いので、寒くはない。休日とて、客席には男性の姿もかなりある。しかし、歌舞伎座には必ずいる外国人、少なくともそれと知れる外国人は皆無。確かにこれは敷居が高かろう。チケットをとるのも大変である。

 歌舞伎のチケットは相撲と同じで、贔屓筋から売ってゆく。各俳優の後援会員、次に松竹歌舞伎会、そして一般客の順。それぞれに対してチケットの発売日が設定されている。うちは2番めの松竹歌舞伎会だが、それでもとれたのは、この横向きの席の、それも後ろの方だ。まあ、休日ということもあるだろうが、中村一族の後援会員も多いだろう。先月の歌舞伎座での勘三郎七回忌追善興行では、大物が揃ったので、各々の後援会員が殺到して、多少とも良い席はまったく残っていなかった。後援会の会費は安いものだそうだが、我々は誰か特定のファンというわけでもない。優遇するのなら、通っている頻度に応じて優遇するというのも、歌舞伎全体のファン(かみさんはともかく、あたしなんぞは、まだファンになる前の段階だが)に対するものとして、意義があるんじゃないか。それとも各々の後援会に全部入れというのか。

 閑話休題。

 その平成中村座、次は平成ではなくなるから、まあいわゆる最後の平成中村座夜の部は「弥栄芝居賑」「舞鶴五條橋」「仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場」。

 「弥栄芝居賑(いやさかえしばいのにぎわい)」は、ご挨拶の一場。中村一族最長老の扇雀、芝翫から勘九郎、七之助以下、一族が勢揃いして興行の口上、御礼を宣べる。勘九郎が平成中村座の座元、七之助が座元の女房、勘九郎の二人の息子、勘太郎と長三郎がその「夫婦」の息子。芝翫は平成中村座がある「猿若町」名主、扇雀は芝居茶屋「扇屋」亭主。

 まずは扇雀と芝翫が出て、マクラを振り、そこへ勘九郎、七之助らが出てきて舞台に並んで座り、挨拶する。二人の男の子もそれぞれにやる。襲名披露の口上に似ているが、真面目一方でああいうユーモアは無い。続いて、花道の端から端まで、贔屓の親分、姉御が勢揃いして名乗りを上げる。10人以上で20人はいなかったはずと、筋書を見ると16人のようだ。これが順番に五七調に整えたいわくを述べて名乗るわけだが、後の方の人は自分の順番がくるまで、結構長い間待たされるわけで、いざ、自分の番が来たときには調子が狂うこともあるんじゃないかと思ったら、案の定、一人、科白をつっかえた。

 一方、この間、正面の舞台では、さきほど挨拶した連中が立ったまま、名乗りを聴き、相手の顔を見ている。子どものうち、年長の勘太郎はそれでもじっと立っているが、弟の方は顔は花道を見ているが、片脚をひねったりしている。

 さあ、では、芝居を見ることにしましょうと一堂が引っ込むと、舞台が綺麗になって奥の壁に勘三郎の動画が映しだされる。この時、あらかじめ知っていたか、打ち合わせがあったか、大向こうから「待ってました」と声がかかった。それにどんぴしゃのタイミングで画面の勘三郎が「待っていたとはありがてえ」と応える。こういうのはシビれるねえ。

 動画はどうやら平成中村座での勘三郎を撮ったものを短かく畳みかけてゆくもの。かなり面白い。中では『俊寛』のシーンが印象に残る。記録が残っているのなら見てみたい。

 芸の広かった勘三郎の色々な側面ごとにまとめてあるらしく、最後に喜劇になったところで画面が凍る。もとになっているコンピュータがフリーズしたらしい。やがて幕が引かれ、化粧途中の七之助が舞台袖に出てきて挨拶し、幕間となる。

 「舞鶴五條橋」は三つの場からなる舞踏。

 ここでは勘太郎が大活躍。開幕からしばらくは独りで踊るし、最後の五條橋では父親の弁慶を相手に牛若丸を舞う。これが見せるのだ。7歳の子どものやることとして立派というのではなく、一個の芸になっている。幼ない頃から舞台に立って喝采を受けることは悦びだろうが、それよりも舞うことが嬉しいのが現れている。体を見事に動かすこと、所作がぴたりと決まることが、愉しくてしかたがないのだ。そう感じさせるのも訓練、教育のうち、といえばそれまでだが、伝統の力というのはこういうところに出る。

 かみさんに言わせれば、あの子は腹が座っているのだそうで、訓練だけではない天稟もあるのだろうが、小さな体が美しく動くのを見るのは愉しい。

 ひとつにはこの中村座の空間のサイズもあるだろう。歌舞伎座の舞台ではおそらく広すぎる。この小さな空間だから、あの体でも映える。

 二つ目の場は、福之助と虎之助の若者二人の溌剌とした舞が気持ちよい。基本的に滑稽な踊りだが、ユーモラスな仕種を重ねながら、気品も失わない。二人はいわばハーモニーをとったり、ユニゾンになったり、カウンターメロディをつけたり、あるいはソロにもなったりする。ここでの音楽はやはりダンス・チューンで、そりゃアイリッシュのようなスピードはないが、しっかりとビートはあり、体が動く。やっぱり舞踏はあたしにとっては歌舞伎の愉しみのひとつだ。

 『忠臣蔵』は大星由良之助すなわち大石内蔵助が芝翫、遊女おかるが七之助、平右衛門が勘九郎、斧九太夫が亀蔵。ここは何と言ってもおかるが芝居の要だが、七之助はどうだろう。うーん、どこがどうというのではないが、物足らないのだ。先月の揚巻が良かったので期待が高すぎたか。

 悪いわけじゃあない。演技としては文句ない。んが、揚巻にはあった、一種突き抜けたところ、その場をぎゅうっと摑んで一気に異次元へ持ってゆくところが感じられない。七之助ならこれくらいはやるだろう、というところで留まっている。巧い役者が巧くやっていると見える。しかし、それでは七之助の場合、平板に見えてしまう。

 そりゃまあ、調子の波もあるだろう。まだ開幕3日めということもあるかもしれない。先月は大物揃いで、緊張していたのが、今月はいわば仲間うちでほっとしたこともありえる。またまたかみさんの言葉を借りれば、揚巻は同じ舞台の玉三郎にかなりシゴかれたはずで、それと比べるのはあるいは酷とも言える。七之助が大成してゆくところを見たいというこちらの期待もある。

 同様なことは勘九郎にも言えて、こちらは役柄で得していて目立たないが、あんた、それで本当に親父が喜ぶと思うのか、と言いたくなる。これまた悪いわけじゃない。水準は軽く超えていよう。しかし、平成中村座を特別の空間にするものには届いていない。わざわざこうした場をつくる以上、歌舞伎座には無いものを出すことは基本だろう。それが勘太郎の舞だけというのでは、やはり物足らないと言わざるをえない。こちらとしては、舞台に夢中になって、椅子の座りごこちの悪さなど忘れされてもらいたいのだ。無理な姿勢で見ていて、終ってから体が痛くなったとしても、我を忘れて吸いこまれた舞台の後なら、それすらが気持ちよいものになる。

 あるいは勘九郎、七之助の中では、父親が始めたものを続けようという意識なのかもしれない。だとすれば、それでは続けられないはずだ。伝統というのは、それを守ろうとすると守れないものなのだ。常に新たなことをやる。つまり、先代が面白いと思ってやったことを繰り返すのでなく、自分たちが心底面白いと思えることをやってゆくと、それが結果として伝統を継ぐことになってゆくのだ。

 コクーン歌舞伎や平成中村座という器を受け継ぐことも含んで、新たな場、空間、あるいは手法を編み出し、試みてゆくことが、勘三郎のやり残したことを継ぐことになる。海老蔵が歌舞伎座にプロジェクション・マッピングを持ち込んだのは、そうした試みの一つだ。むろんまだごく表面的な使い方だが、劇場空間の構築に新たな可能性を開いたことは確かだ。

 してみれば、平成中村座が今回で終るのはかえって絶好のチャンスかもしれない。新たな年号を冠した中村座は、平成中村座とは異なるものに自然になれる。あるいは江戸の再現をもっと徹底する。下足番などは枝葉末節だが、芝居の質として、または演目や興行の形として、原点を確認するのはアリだろう。アイリッシュ・ミュージックもそうだが、伝統芸能にあっては古いものは新しいものになりうる。それは古いものの単なるリピートにはなりえない。古いものが今を生きる我々にとって意味のある、新たな姿を現わす。それはスリリングなのだ。

 それにしても、筋書に出ているアラーキーが撮った法界坊の写真を見ても、勘三郎の平成中村座を一度は見てみたかったものよのう。(ゆ)