デ・ダナンの創設メンバーであり、アイリッシュ・ミュージックにブズーキを導入した張本人の一人、そして、デ・ダナンのアルバム・ジャケットも手掛けたアーティストでもあったアレック・フィンが74歳で亡くなった、とのニュースが入ってきました。つい先月、フランキィ・ゲイヴィンとの40年ぶりのデュエット・アルバムを出したばかりでした。

 デ・ダナンはプランクシティ、ボシィ・バンドに続いて、ほぼ時を同じくして現われました。この二つがかなりきっちりとアレンジした音楽をつくっていったのに対し、デ・ダナンはコネマラの入口スピッダルの町のバブでのセッションから、いわば自然発生的に生まれ、セッションの雰囲気を濃厚に残した、ややルーズなスタイルの音楽を作りました。フランキィ・ギャヴィンのフィドル、チャーリー・ピゴットのバンジョー、ジョニィ・リンゴ・マクドノーのバゥロンを柱にして、地に足の着いたドライヴが効いた、ユーモラスな味わいが身上でした。そのアンサンブルを裏で支えていたのが、アレック・フィンのブズーキです。

 かれのブズーキはギリシャ伝来のラウンドバック、複弦3コースのもので、アンディ・アーヴァインやドーナル・ラニィたちが改造・発展させたフラットバック、4コースの、後に「アイリッシュ・ブズーキ」と呼ばれたものとは異なります。

 またアレック・フィンはほとんどストロークをせず、メインのメロディの裏でピッキングをつけるのが基本です。カウンター・メロディやハーモニーに近いのですが、明瞭にそういうものというよりは、曲を推進するような作用をします。まったく独自のスタイルで、フォロワーと言える人もほとんどいません。

 このブズーキがフロントのユニゾンのつんのめりを引きとめて、ゆったりと聞えるようなタメを生んでいます。デ・ダナンの音楽の「ゆるさ」の源泉はここにあるとぼくは思っています。

 アレック・フィンはまたすばらしいグラフィック・アーティストでもあり、そのおかげでデ・ダナンのアルバム・ジャケットは同時代のアイリッシュ・ミュージックのアルバムの中でかけ離れて質の高いものになりました。たとえば3枚目《Mist Covered Mountain》の、若冲を髣髴とさせる鳥の群像には、初めて手にしたとき息を呑みましたし、アイリッシュ・ミュージックのアルバム・ジャケットとして歴代ベストの一つであります。

 リアム・オ・フリン、トミィ・ピープルズに続いて、1970年代半ばにこんにちのモダンなアイリッシュ・ミュージックを生み出していったアイルランド・フォーク・リヴァイヴァルの第一世代の一人を、今年失ったことになります。そういう時期に来ていることをあらためて思い知らされます。アイリッシュ・ミュージックは着実に新たな時期に入ろうとしています。

 追悼の意味もこめて、デ・ダナン初期の傑作アルバムがCD化されますように。とまれ、アレック・フィンの冥福を祈るものです。合掌。(ゆ)