冒頭の曲のオープニングを聴いたとたん、顔がほころぶのがわかる。すばらしいバランスだ。左のギター、中のフルート、右のブズーキの音がそれぞれに明瞭に、しかもアンサンブルとして空間を満たす。何の操作も、想像力による補正もなく、音楽に包まれ、音楽が流れこんでくる。それはそのまま最後まで崩れない。

 ギターとブズーキの絡み合い、そこから湧き出るフルートとホィッスル。音が生み出され、音楽が紡ぎ出されてくるそのプロセスが手にとるようにわかる。そしてそれがそのまま楽曲として流れこんでくる。その快感! こういう小さな空間の至近距離で、生音で初めて可能になるこの愉悦。

 こうなれば、この三人が奏でる音楽が至上のものになるのは当然だ。

 選曲は前作《Via Portland》からと、今回ポートランドで録音してきた新作からのもの。中村さんが「普通のジグのセットです」と言う新曲は、全然フツーのジグではない。終ってから豊田さんが、「そんなことはないと思いながら吹いてました」と白状する。技術的にもアクロバティックらしいが、聴いてもたいへん面白い。

 世の中には、きちんと演奏するのがおそろしく難しいが、聴いている分にはまったく面白くない曲もゴマンとある。ギターなど、見せる芸としては立派だが、眼を瞑って聴くと何ということはないこともよくある。難しいことをやって「見せる」のは一つの芸だ。サーカスや大道芸や歌舞伎や京劇の早変りなどはそれを極めようとする。音楽でもそういう芸が成り立つこともあろうが、あたしは音楽でそういうものを見たいとは思わない。音楽は聴くものだ。

 その点では、わが国のケルト系の人たちが作る曲は、聴いて面白い、楽しい曲を目指している。難曲になるのは副作用だ。

 O'Jizo のスタイルも常に変化していて、今回は蛇腹楽器の出番が増える。中村さんの鍵盤アコーディオンはますます巧くなっているが、豊田さんがついにボタン・アコーディオンを披露する。これがまた良い。似ているが、やはり異なる2台のアコーディオンの並走は案外面白い。音量もほぼ同じで、煽りあっているところもあるように聞えたら、後で中村さんが、「おらおら来いよ」と弾いていたと告白する。フルートやホィッスルが相手だと、生音ではどうしてもアコーディオンは調節する必要がある。バランスの良さにはそういう配慮も働いている。

 笛と蛇腹が並ぶときは、必ずしもユニゾンでなく、細かいアレンジを施す。ハーモニーをつけたり、ドローンになったり、ビートを刻んだり、あるいは奔放に遊んだり。遊びということでは前半、スロー・エアからリールへのメドレーでのリールでの遊びがたまらない。ここではスロー・エアで、ギターとブズーキがポロンポロンと、勝手に弾いているように聞える音が、絶妙の背景となって、フルートのメロディを浮き上がらせる。この組立ては凄い。もう少し長く聴いていたかった。これが全篇のハイライト。

 とはいえ、後半はずっと舞い上がりっぱなしで、あっという間に時間が過ぎる。

 もう完成されたかに見えていた O'Jizo だが、アメリカでの音楽三昧の日々は良い推進剤になったらしい。先へ進んでいることをあらためて実感する。確かにしゃべり過ぎではあるが、それもまたライヴの一部ではある。

 長尾さんがここは理想の家と言うのもよくわかる。これはいわばハウス・コンサート、友人の家に気のおけない仲間たちが集まった形だ。ホメリやバードランドと並んで、もっといろいろなライヴを聴きたい場所ではある。ウチからは都内に出るより遙かに近いし。スープ・カレーも試したい。

 再びオレゴン州ポートランドで録音した新録はミキシングの最中だそうで、来年早々には聴けるだろう。まことに楽しみだ。(ゆ)

Via Portland
O'Jizo
TOKYO IRISH COMPANY
2017-03-05