名古屋をベースに活動するフィドルの小松大さんとギターの山本哲也さんのデュオがセカンド・アルバムを出した、そのレコ発ツアーの一環。ハコは下北沢のとあるビルの地下にあるライヴハウス。ステージ背後には木製の壁が立ち上がり、上端は丸く前に張出している。これなら生音でも良さそうだ。店のサイトを見ると、アイリッシュ系とは毛色の違うミュージシャンが多いが、環境そのものは生楽器との相性が悪いわけではない。小松さんたちももちろん演るのは初めてだが、雰囲気がいいと気に入っている。あんまりライヴハウス然としていないところは面白い。ただ、入口がわかりにくくて、ビルの前に着いてから、さあ、どこから入るのだとしばし途方に暮れる。それにしても、音楽のライヴができるこういう施設は下北沢にいったいいくつあるのだろう。新陳代謝も激しいんじゃないか。
MCの調子が今一つ、と小松さんは言うが、何も言わずに次の曲を始めたり、延々と曲についてしゃべったり、メリハリがきいている。この日も冒頭、何も言わずにいきなり演奏を始め、2曲やったところでマイクをとる。
前から思ってはいたが、この二人、ますますマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルに似てきた。演奏スタイルもだが、雰囲気が似ている。小松さんのフィドルはマーティンと同じく、イースト・クレアがベースで、リールでも急がず慌てず、ゆったりと弾いてゆく。なごむ。血湧き肉踊るよりも、ゆったりとおちついてくる。いい気分だ。
小松さんはヴィオラもやるせいか、フィドルもあまり高域にいかない。高音が大好きで、なにかというと高く行こうとするアイリッシュ・ミュージックでは珍しい。この点もイースト・クレアに習っているのか。この重心を低くとる演奏が、ますます気持をおちつかせ、なごませてくる。
レコ発ということもあり、新作《Shadows And Silhouettes》をほぼ収録順に演ってゆく。ああ、音が膨らむ、いい湯だ、じゃない、いい中域だ、と思ったら、やはりヴィオラだった。
ヴィオラというのは不思議な位置にある。クラリネットも音域の違うタイプがいろいろあり、低いものはバスクラと呼ばれるが、楽器としては独立したものではない、と聞いたことがある。ヴィオラもサイズと音域にいくつか異なる種類があるそうだが、いずれにしてもヴァイオリンとは別物とされている。クラシックでは両方演る人はまずいないらしい。しかし、クラシックのオーケストラ、カルテットではヴィオラは必須だ。弦楽だけの室内オケでもヴィオラはいる。ヴィオラのいないトリオは、トリオロジーのように、クラシックの範疇からははみ出てしまう。ヴァイオリンとチェロの間をつなぐ楽器が必要なのだ。
一方、フィドルがほぼ唯一の擦弦楽器であるルーツ系ではまったく使われない。ヴェーセンのミカルは例外だ。むしろ彼のおかげで、ヴィオラもそんなに特別なものではなくなっているほどだ。
似たものにアイルランドの Caoimhin O Raghallaigh が使っている hardanger d'Amore がある。こちらはハーダンガー・フェレのヴィオラ版のようなものだ。当然伝統楽器ではなく、最近作られたものである。これを演る気はないか、と小松さんに訊いてみようと思っていて、忘れた。
ヴィオラの音の膨らみ方は、同じ音域をフィドルでやってもまったく違う。これはもう物理的な違いが音に出ているのだろう。音が膨らむことではチェロもそうだが、ヴィオラの膨らみにはチェロにはない華やぎがある。コケティッシュになるぎりぎり寸前で止まっているのが、フィドルとは一線を画す。逆に気品と言ってしまうと、やはり言い過ぎになる。洗練が足りないわけではないが、親しみがもてる。人なつこいのだ。
とすれば、人なつこい音楽であるアイリッシュなどではもっと使われてもいいような気がするが、それにはやはりサイズが大きすぎるのであろうか。
だから、ヴィオラでダンス・チューンを弾く小松さんの存在は貴重である。もっともっと弾いてもらいたい。アルバム1枚、ヴィオラで通してほしい。無伴奏ヴィオラ・ダンス・チューン集をつくってほしい。いや、その前に、ヴィオラ・ソロを聴いてみたい。
二人がマーティン&デニスに似てきたのは、山本さんのギターがデニス・カヒルに似てきたことも大きいだろう。演奏している小松さんの顔を見つめている表情まで似ている。小松さんの方は、これまたマーティンのように眼を瞑って弾いている。セッティングの妙か、新しい楽器のせいか、この日はベースの音がいい具合に深く響いて、気持がよかった。アンコールにソロで弾いた〈Danny Boy〉も良かった。この曲は歌われるより、こういうソロ楽器で聴く方が好きだ。
表面的に明るくはないのだが、後味は清々しい。いい音楽にゆったりと浸かって、さっぱりとまことによい心持ち。こうして一度生で聴いておくと、録音を聴いても、これが甦り、重なって、格別の味わいになる。聴いてから見るか、見てから聴くか。どちらでもいいが、両方やるのが理想ではある。これから名古屋へ帰ってのレコ発ライヴでは小松崎健さんがゲストだそうだ。〈Lord Inchiquin〉は健さんとやるので、そちらにとっておきました、と言われると、見にいきたくなるではないか。(ゆ)
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