漱石の『夢十夜』の朗読に音楽をつける。ただし音楽は朗読の「伴奏」や「バック」では無い。朗読と対等の位置付けだ。音楽は作曲しているところと即興のところがあるが、その境は分明でない。それぞれの話で、朗読と音楽の構成の大枠は決まっているが、朗読がいつどこに入るか、は即興の場合もある。これまた、決まっているところと即興の部分は分明でない。

 音楽を担当するのはピアノの shezoo、パーカッションの相川瞳、サックスの加藤里志。朗読を担当するのは西田夏奈子と蔵田みどり。そして、各挿話からイメージを育み、イラストとして描き、スライドで上映するのが西川祥子。

 蔵田さん以外のメンバーはこれに先立つアンデルセン『絵のない絵本』全篇を朗読と音楽とイラストで体験するイベントを成功させている。これがあまりに面白かったので、もう少しやろうということになり、その対象として『夢十夜』を選んだ。まことにふさわしいものを対象にしたものだ。『夢十夜』は『絵のない絵本』と同じメンバーで2回に分けてやり、その後、蔵田さんを加えて全夜上演をやっている。今回は全夜一挙上演の2回めになる。

 前回の全夜上演は見られなかったので、蔵田さんのパフォーマンスに接するのは初めてだが、彼女の参加は大成功ではある。一挙上演となると、朗読者が一人では単調になるかもしれないという配慮から出たアイデアかもしれない。西田さんとは対極にあるアプローチで、西田さんが俳優という本業を活かして、朗読を演じるのに対し、蔵田さんはシンガーという本業を朗読に持ちこんで、唄うように読む。その対照がまことに鮮やかで面白い。二人は交互にメインの役割を担当し、蔵田さんが奇数、西田さんが偶数の夜を読む。時には、各々一部の声を分けたりする。その呼吸が絶妙だ。

 音楽は基本は同じだが、テキストのどこで入るかや、楽器同士の受け渡しなど、細かいところをいろいろ変えているようだ。このトリオは実に切れ味がいい。音楽をシャープにしているのは主に相川さんのパーカッションだが、加藤さんのサックスやクラリネット、リコーダーまでがこれによく応えている。shezoo さんのピアノもリリカルの演奏がすぱすぱとキレる。

 もちろん各々の話にふさわしい音楽を作り、演っているわけだが、音楽だけでも独立している。聴いて愉しい。愉しい音楽がそのまま舞台設定ともなり、朗読を増幅もする。話が立体的に立ち上がってくる。イメージがより鮮明に湧く。同時に言葉の響きがより明瞭になる。話の世界に引きこまれ、没入させられる。話の伝えようとするところが、ひしひしと伝わってくる。それは論理ではない。教訓でもむろん無い。名状しがたい感覚だ。ひょっとすると、そのキモを感じとるには、ただ読むだけではダメで、こうして音楽とパフォーマンスが一体となって初めて感得が可能になるのかもしれない。

 西川さんのイラストは古書の1ページをきりとり、裏から線香の火を近づけて焦がして描く。今回は『夢十夜』の文庫のそれぞれの話の1頁だったようだ。

 十篇一気に体験して気がついたのは、全体としてピーンと張りつめた話から始まるのが、徐々にゆるんできて、最後はほとんど落語になっている、という構成の妙である。一夜ずつは独立した話だが、通してみると、全体として一本の筋が通っている。そして、その筋から覗けるのは、この話はずいぶんと奥が深いということだ。ファンタジィの常として、いかようにも読めるが、これまたすぐれたファンタジィとして、おそろしく根源的なところまで掘りさげている。人間が生きることの玄妙さを具体的に浮き上がらせる。そして少なくともその一部は、こうしたパフォーマンスでしか垣間見ることができない。

 もちろん音だけではない。朗読者たちの演技、表情だけでもない。ミュージシャンたちの姿、画面の絵、そしてこの場の空気、雰囲気まで含めての、全体体験だ。その場に立ちあわなければ味わえない体験だ。

 だから、また別の作品、たとえば足穂の『一千一秒物語』あたりを見たいと思う一方で、この『夢十夜』全夜一挙上演を、また見たいとも思う。これは何度も体験したいし、見る方も数を重ねることで、あらたに見えたり感じたりするところがあるはずだ。そしてその体験の蓄積の上にようやく感得できるものがあるはずだ。

 今回、意表をつかれたのはラストの蔵田さんと shezoo さんによる「からたちの花」だった。これがこんなに切実に、染々と心に流れこんできたのは初めてだ。歌そのものの美しさに眼を開かれた。ゆっくりと、決して声を上げず、ささやき声になる寸前の声で、ていねいに唄う。

 この歌をラストのしめくくりとして唄うことは shezoo さんのアイデアだそうだが、蔵田みどりといううたい手を得て初めてどんぴしゃの、これ以上無い幕引きになっている。漱石が聴いたなら、大喜びしたにちがいない。同時に、古いこの歌が、時空を超えて輝いていた。この歌を聴くためだけにでも、『夢十夜全夜上演会』を再演して欲しい。あの十篇のパフォーマンスがあって、その後に唄われるところが良いのだ。

 これは狭い空間で体験すべきものではある。観客100人でも多すぎるかもしれない。朗読者やミュージシャンたちの表情の微妙な変化も見えるくらいの、近いところで見たい。もちろんオペラグラスで見てはぶち壊しだ。

 それにしても、こういう、新しい形を思いつき、形にしてゆくアーディストたちには心からの敬意を表さざるをえない。ありがとうございました。(ゆ)