何とも不思議な味の、とても面白い一夜だった。原田さんはちょっと規格外のところがあって、関東ではこういう人はまずいない。そのキャラがそのまま現れたようなライヴだ。

 まずレパートリィが面白い。ご本人はアイリッシュがメインと言われて、確かに曲の数からいえばアイリッシュが大半を占めるが、ここにオールドタイムとそしてアラブ・フィドルが入る。実は音楽のジャンルよりもフィドルという楽器そのものに惚れていることに、比較的最近気がついたのだそうだ。アラブの音楽はチュニジアのミュージシャンに習っているそうで、いずれ本格的なアラブ・アンダルース音楽も聴かせていただきたいものだが、この日はベリーダンス向けの曲。そのせいか、アイリッシュに混じってもあまり違和感がない。あるいはそういう曲を選んだのか。

 オールドタイムの方は、ひょっとするとこれがルーツなのではと疑われるほどはまっている。関西ではバスコこと高木光介さんとも演っていたそうだが、関東では他にはほとんどいない。もっともじょんもブルース・モルスキィは大好きと言っていたから、いずれこちらでもオールドタイムが頻繁に聞けるようになるかもしれない。

 その昔、ブラックホークで高木さんが演っていた頃は、オールドタイムは何とも単調に聞えて、どこが良いのかさっぱりわからんかった。周りもほぼ同様で、高木さんは孤軍奮闘だったけれど、まったく意に介さず、一人我が道を行っていた。そのうちアメリカに行ってしまい、もどって来たときは故郷に帰ったから、もう長いこと会ってはいないが、こちらは少しずつオールドタイムの面白さがわかるようになってきた。何度も書くが、そのブルース・モルスキィがドーナル・ラニィとマイケル・マクゴールドリックと三人でオールドタイムをやっている Transatlantic Sessions のビデオは、このシリーズの中でもベストの一つだ。


 原田さんのオールドタイムを聴いていて、こちらがルーツと思ってしまう理由の一つは、かれのフィドルに独特の響きがあって、それがあたしにはオールドタイムのあのアクセント、ぐいと伸ばす音のアクセントにつながって聞えるからでもある。原田さんが好きだというポルカにそのつながりが最もはっきりと響く。

 この響きは、なんとも言葉にし難いが、聞けばわかるので、共演の高橋さんもあれはいいと言っている。いつどういうときに出るのか、まだよくわからないが、とてもいい具合にアクセントになっていて、ふわっと身体が軽くなる。

 こういうレパートリィの組合せとともに、この日のギグをユニークなものにしていたのはベリーダンサーの存在だ。それぞれタイプの違うお二人で、生のベリーダンスを見るのも初めてだし、生演奏をバックにするのも当然初めて。これまたどこまでが決まっていて、どこからが即興なのか、わからないのも面白い。最初と最後や、途中のキーポイントは決めてあって、途中、即興になるのだろうか。それにしても、フィドルとギターの伴奏というのは、あまり無いんじゃなかろうか。

 前半2曲はベリーダンスのための曲だそうだが、2曲めはほとんどアイリッシュに聞える速い曲。ベリーダンスは、どちらかというと上半身の踊りで、腕と手の動きもポイントなのは、わが国の踊りに通じる。アイリッシュのようなパーカッシヴな動きはほとんど無い。それと、ベリーと言う名前の通り、腰を使う。腰というより、腰を中心とした腹部。臍のあたりの筋肉を細かく震わせるのも技のうちらしい。文楽の人形の動きを連想させる。あちらはこんなに細かくは動かないし、たぶん動かせないだろうが。

 後半はなんとアイリッシュでベリーダンスを踊る。スローなリールで始め、途中からテンポを本来のものに上げる。踊り手は1曲は布を使い、もう1曲では先が大きく広がる扇を使う。これが結構合っている。ベリーダンスはもちろんエロティックな要素も活かすので、アイリッシュ・ミュージック自体にその要素はほぼ皆無だから、そこがうまく合うのかもしれない。ダンサーは客にもからむ。広くない店内が踊り手の周りだけキャバレーになる。こういう猥雑さは、アイリッシュだけの時にはまず現れない。

 そう、この猥雑さなのだ。アイリッシュは時にあまりに「健全」すぎる。潔癖すぎるのだ。まあ、音楽というもの自体が「ピュア」なものを求める傾向はあるにしても、アイリッシュはそこを強調しすぎる傾向がやはりある。エロもグロもあっての人間なので、アイリッシュももっと貪欲に猥雑になっていい。いや、いいというより、なるべきだ。

 原田さんの音楽は猥雑なのだ。そこがすばらしい。猥雑でありながら、下品にならない。ここは大事なところで、下劣になってしまっては、猥雑さも失われる。アイリッシュが潔癖なのは、ちょっとでもゆるめると、とめどなく崩れてしまうことを自覚しているからかもしれない。本性はとことん下品なので、そうなるのを防ぐためにことさらに潔癖をめざすわけである。外から見るとそれが魅力に感じられるわけだが、だからといってその潔癖さだけを受け継ごうとすると本質からはかえって離れることになる。アイリッシュほど「下品」ではない我々としては、むしろ猥雑なくらいがちょうど良くなる。

 あるいは我々もまた実は、本性のところではアイリッシュに負けないくらい「下品」ではあるのかもしれない。アイリッシュとは別の形で潔癖なところを演じているのだろう。とすれば、そんな仮面をひき矧がすためにも、もっと猥雑さが必要だ。

 オールドタイムもアラブも、あるいはことフィドルによる音楽であれば、何であれ呑みこもうとする原田さんの姿勢は、あたしには理想的でもある。原田さんの良いところは、一つひとつの要素は徹底しているのだ。アイリッシュやオールドタイムやアラブはそれぞれに突き詰めている。それぞれに突き詰められたものが、まったく同列に提示されることで生まれる猥雑さが面白いのだ。いずれはスカンディナヴィアやハンガリー、あるいはギリシャや中東のフィドル属にも挑戦してほしい。

 その原田さんの相棒として、高橋さんがまた理想的だ。これが長尾さんやアニーではこうはなるまい。高橋さんは面白い。アイリッシュの伝統の、最も本質的なところはちゃんと摑んで実践していながら、一方で、そこにはまらないものも何なく抱きとめる懐の深さもある。アラブ音楽の伴奏をギターでやってしまえるのは、高橋さんぐらいではないか。以前も披露した小学校の校歌も名曲の感を新たにする。谷川俊太郎作詞、林光作曲という豪華版だ。1曲、フィドルとバンジョーでやったリールもいい。

 アンコールはまたオールドタイムで、ダンサーたちも加わり、いやもう楽しいのなんの。

 ぜひぜひ、このギグは続けてほしい。原田さんはアイリッシュ・ミュージックで、緊縛ショーとのコラボもやったことがあるそうで、まあそれはやはり合わないだろうと思うけれど、もっといろいろなものとのコラボを見てみたい。そして、高橋さんとの録音も欲しいものではある。

 やはりあたしは、いろいろなものがほうり込まれた猥雑な音楽が大好きなのだと確認させられた夜であった。猥雑を煮詰めてピュアに見えるというのも好きだけれど。(ゆ)