恒例となったアウラのクリスマス・コンサート。今年はこれまであたしが聴いた中ではベストのライヴとなった。こういうライヴができるとなると、新録が欲しくなる。

 理由の一つは池田有希、奥脇泉両氏の進境ではあろう。今回聴いてから振り返ってみると、今まではコーラスの一角を担うのに精一杯で余裕が無かった、と見える。今回は明らかに余裕ができて、唄うことを楽しんでいる。これまでは他のメンバーに引っ張られていたのが、独立した一個のうたい手として、コーラスに参加している。

 従来のアウラが悪かったというわけでもないのだが、今回のパフォーマンスを体験してしまうと、これこそが本来の姿、潜在していたものが花開いた姿だとわかる。それは初代のアウラとも違うはずで、そちらの生を聴いていないから断言はしないが、あらためて輝きだした新しいユニットは、ずっと進化しているのだろう。初めから終りまで、歌唱のレベルはびくともしなかったし、むしろ後になるにしたがい、良くなるようにも見えた。〈You Raise Me Up〉は、正直なところプログラムを見て「またかよ」と思わないでもなかったが、実際に聴いてみれば、やはりこれは佳曲だとの思いを新たにさせられたし、その前のジョン・レノンの〈Happy Christmas〉にこめられたパワーは鳥肌ものだった。そしてアンコール、ヘンデルの〈メサイア〉には圧倒された。

 前半のハイライトはダイナミックな〈十日町小唄〉だが、日本語でうたわれた歌はどれも良かった。毎回唄われる〈花〉もアレンジを変えていると聞える。そう、同じ曲を唄っても、同じことをしない。毎回、アレンジを変え、アクセントを変え、唄い方も変えてくる。やはりライヴでは同じことを繰返さなかったグレイトフル・デッドにイカレているあたしとしては、これは高く評価する。

 奥脇氏のMCの時に〈花のワルツ〉で各自が何をやっているのか、それぞれに分解して聴かせてくれたのも面白かった。複雑で、難易度がとんでもなく高いことは想像を遙かに超えていた。同じハーモニーでも、例えばアヌーナのような重層的なものではなく、より立体的で、それぞれに勝手に唄っていると聞えるものがおたがいに絡みあい、華麗なイメージを描きだす。無関係な断片の集まりが、距離をとって見ると、精緻華麗な模様や映像を浮き上がらせるモザイクを想わせる。これもグレイトフル・デッドにそっくりだ。デッドは即興、アウラはアレンジという違いは大きいが、そこは演っている音楽の性格の違いでもある。それぞれにその方法でしかできないことを実現している。

 これで完成という感覚もむろん無い。伸びしろというとかえって限界を想定していて失礼だろう。ヴィヴァルディの《四季》を唄ったアルバムには shezoo さんが関っていて、アウラのもつ底の知れなさに彼女が感嘆するのを聞いたこともある。こういうのはどうだろうと投げかけると、予想を超えたものが返ってきて、逆に煽られることもしばしばだったそうだ。今のアウラもどこまで行くのか、本人たちも含め、誰にもわかるまい。

 オペラのベルカントはどうやっても好きになれないが、訓練を積んで、人の声に可能な表現をうたい尽くすのを聴く悦びは大きい。彼女たちが「次」に何を聴かせてくれるか、それはそれは楽しみだ。(ゆ)


ルミナーレ
アウラ
toera classics
2017-06-25