今年の初ライヴはギター・デュオ。この二人のライヴは昨年8月以来。
レパートリィは前回とほぼ同じ。前回は福江さんのソロ・アルバム・リリース記念でもあって、そのソロからの選曲が多かった。今回は若干それが減って、高橋さんのレパートリィが増えたぐらい。
ライヴの形式としてはデュオでの演奏と、それぞれのソロが3分の1ずつで、あらためてギタリストとしての二人の違いが浮彫りになるのがまず面白い。
もっとも二人ともルーズで野生を感じさせる外見とは対照的に、繊細で隅々にまで凝った演奏をする。アレンジも細かく、のんびりしたMCにつられていると、耳が引きこまれて焦ることもある。と思えば、駘蕩とした気分になってしまって肝心なところを聴き逃した気分になることもある。一筋縄ではいかない。小さな音でそっと始めたのに、気がつくとパワフルに迫ってもくる。やはり二人とも、シンプルに見せているが、実体は相当に複雑なミュージシャンだ。一見シンプルであるのが意識的に作っているのか、意識せずににじみ出ているのか。これまたおそらくはどちらでもあり、どちらでもないのだろう。
二人の違いは、アコースティック・ギターの演奏者の二つの類型を代表しているようでもある。福江さんは楽器としてのギターの可能性を拡大することを志向する。ボディや弦を叩いたり、ハーモニクスを多用したり、ネックの上側つまり高音弦側から弦を押えたり。とりわけ彼のオリジナルでは、単純に弦を弾くことはほとんど無いようにすら見える。
高橋さんは正統的な形で弦を弾いてどこまで行けるか、挑んでいる。リールのメロディをピッキングで演奏するのも、例えばトニー・マクマナスのように、他のメロディ楽器、フィドルやフルートなどと同じレベルで演奏するよりも、一つの曲を繰り返すごとに少しずつアレンジを変えてゆく。面白いことに、こういうことはバンジョーではあまりやらない。バンジョーは良く言えば頑固、別の言い方をすると融通が効かない。ギターはその点、ひどく柔軟だ。少なくとも柔軟に見えて、高橋さんの変奏はそのギターならではの柔軟性をフルに活用しているように聞える。
で、その二人が一緒にやると、妙に合うのである。重なるところが無いせいだろうか。高橋さんが正面突破してゆくと、その左右から深江さんが茶々を入れるかと思うと、下からふうわりと押し上げたりもする。あるいは深江さんがすっ飛ぶのを高橋さんがつなぎ留める。
その接着剤になっているのが、アイリッシュということになる。二人が出会ったのもアイリッシュが縁でもある。とはいえ、接着剤は表からは見えない方が美しい。ここでもアイリッシュ・ミュージックは表面にはあまり出てこないのは、むしろ奥床しくもある。
今年は二人でツアーもするそうだ。となると、あらためてレパートリィを増やし、アレンジも練りなおすことになるだろう。いずれ録音もするにちがいない。今年の楽しみの一つになろう。
この店はウィスキーが売りとのことで、実に久しぶりにラフロイグを飲んでみる。あたりまえだが、あいかわらず旨い。ネットで出てくる地図が全然違う場所を示すので、現地に着いて面喰ってしまった。幸い、小泉瑳緒里さんにばったり遭って救われる。いやあ、ありがとうございました。(ゆ)
コメント