昨年11月の "Bellow Lovers Night, Vol. 17" でのフィドルの演奏に感嘆して、今の内藤さんのフィドルをもっと生でたっぷり聴きたいと思っていたから、このライヴには飛びついた。
冒頭城田さんが、この会場の名前は希花の M とじゅんじの J が微笑んでいるんですよね、と言って笑わせる。小型のピアノとドラム・キットが置いてあり、ライヴも頻繁にされているらしい。壁に作りつけの棚の中のLPはクラシックのものばかりだが。吉祥寺の駅からは改札から5分かからないところで、こんな駅の直近に、こういう年季のはいった店があるのはこの街ならではだ。
11月には内藤さんの風格を感じたが、久しぶりにこうして至近距離で生で聴くと、あらためて大きくなったと思う。かつて城田さんに引っぱられるように演奏していた初々しさはもはや無い。聞えてくるのがフィドルの音ばかりなのだ。フィドルの音に耳が惹きつけられて、他の音が聞えてこない。城田さんのギターは結構特徴的で、地味なようでいて、耳を奪うことが屢々だ。相手がパディ・キーナンとかの大物であってもそれは変わらない。ところが今回はほとんど耳に入ってこない。
それと高橋さんのバンジョーである。これだけアイリッシュのバンジョーを弾く人は今わが国にはいないんじゃないかと城田さんも言う。もっともこれまでバンジョーをまともに弾く人はほとんどいなかった。長尾さんや中村さんがセッションで弾くのを聞いたくらいで、正式のギグでここまで正面きってバンジョーを聴くのは高橋さんがやるようになってからだ。バンジョーはむしろ好きな方だし、最近はバンジョーの良い録音も増えていて喜んでいるが、やはり生で聴くのは快感だ。
内藤さんのフィドルと高橋さんのバンジョーが揃うと、そこはもうアイルランドである。目をつむれば、まったくアイルランドにいると錯覚できる。この二人の演奏には、日本人離れしたところがある。内藤さんと城田さんは毎年アイルランドに行っているそうだし、高橋さんは7年、アイルランドに住んで音楽で食べていた。同じことをやれば誰でもそうなる、というわけでもないだろう。近頃思うのは、異文化に触れて、何らかの形でこれを自分のものにするには、才能とか努力とかとは別の、いわば相性に属するものもあるのではないか、ということだ。異なる文化というものがどうしても合わない人もいるのである。
音楽演奏は感性よりも肉体の運動として、ココロよりもカラダにしみこむ。音楽を聴くのも、一見ココロに入ってくるように思われるが、実際はカラダにしみこむものではないか。我々は本当はカラダで聞いているのではないか、と思う。異なる文化の産物である音楽を聴くと、そのことがより大きく感じられる。アイリッシュ・ミュージック演奏の上達方法として、まず音楽を聴け、浴びろと言われるのはそういうことではないか。理屈ぬきで、そこに没入する。母語ではない言語の習得にも同じことが言えるだろうが、異文化をモノにするには、おそらく他の方法は無い。好き嫌いを一度棚にあげてどっぷり漬かるわけだ。
3人の演奏にはそうやって染み込んだものを感じる。本人たちがどう思ったり感じたりしているかはわからないが、あたしが聴くかぎりでは、肉体の要素、どの部分がそうだというのではなく、肉体を構成する要素の一つにアイリッシュ・ミュージックがなっている。姿を見れば演っているのはわが同胞だが、聞えているのは異文化だ。
内藤さんのフィドルは音色が千変万化する。短かいフレーズの中だけでも目も綾に変わって、ひょっとすると一音ごとに変わるのではないかと思われる。それが派手にならない。音色が変化することは曲をドライヴする方に働く。聴いているとノってくる。スピード感はあるが、速いと聞えない。これは彼女の個性かもしれない。あるいは多少は意識しているのかもしれないが、だとしてもそうなっているというのに気がついているので、故意にそうしているのではないだろう。故意に付けているのなら、こんなに自然に滑らかにはなるまい。
バンジョーは原理的に音色は単色で、音が切れる。とんとんと跳びはねてゆく。はねるバンジョーと流れるフィドルのユニゾンが快感だ。時にはズレたり、ハモったりする。ここにも相性が作用しているようにもみえる。
フィドルとギター、バンジョーとギター、フィドルとバンジョーとギター、ハープとバンジョーとギター、コンサティーナとバンジョーとギター、いろいろな組合せでやる。内藤さんはハープもコンサティーナもすっかりモノにしている。城田さんのMCは、その場で決めているように思わせるが、実際はアレンジも選曲もかなり綿密に組み立てているのだろう。
城田さんと高橋さんがギター2本でやった Paul Machlis の〈Shetland Air〉がまた良い。ギター2本のユニゾンは珍しいと思うが、きれいに決まっている。
PAは3人の真ん中にマイクを1本立てるブルーグラス・スタイルで、いつかセツメロゥズが高円寺のムーンストンプでやっていた時もそうだったが、良い方式だと思う。
お客さんは城田さんと同年輩の人が半分くらい。カップルも数組いて、ナターシャ時代からのファンであろう。アンコールで城田さんが〈Foggy Mountain Breakdown〉をやると湧く。日曜日の昼下り、たっぷりと良い音楽に浸ると、生きててよかったと実感する。しかし、今日はダブル・ヘッダー。夜は tipsipuca+ のレコ発リベンジだ。いざ、行かん。(ゆ)
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