フィドルのさいとうともこさんの新しいユニットと聞けば、行かないわけにいかない。ギターの祖父江太丞さんのデュオ、JAM Jumble というのをやっていて、デビュー・アルバムを出した、そのレコ発である。
祖父江さんは「代官山王国」という、マヌーシュ・ジャズのユニットをやっているそうで、使うギターもそちらで使われるサウンド・ホールの形が楕円に似た形で、ヘッドの形態も特異なものだ。同じアコースティック・ギターでも、響きがよりシャープで、残響が大きいようだ。奏法にも独自のものがあるのだろう、これまでアイリッシュなどで聞き慣れてきた、たとえばミホール・オ・ドーナルやスティーヴ・クーニィやデニス・カヒルや、それぞれのフォロワーたちのものとは、ずいぶん異なる。より太く、中域が厚く、貫通力が大きい。
従来のギターが、ベースを中心に、メイン楽器の背景や土台を作って、囲いこむように、押し上げるようにしていたのに対し、メインの楽器、ここではフィドルを後ろからどんと押し出し、時には貫いてさえくるような感じだ。これがまず新鮮。
さいとうさんのフィドラーとしてのあたしのイメージは、昨年のソロの印象が強烈なせいか、ごくストイックな、オーセンティックなものだったのだが、祖父江さんのギターを相手にすると、むしろリズ・キャロルから、あるいはアイリーン・アイヴァース、いやむしろそれこそグラッペリの領域にまで踏みこんでゆく。
取り上げる楽曲はアイリッシュでは定番や有名な曲が多いのだが、この二人が組み合わさると、聞き慣れた曲が、新たな相を帯びる。祖父江さんのギターはビートの刻み方も違うようで、さいとうさんのフィドルがよくスイングする。これがまず前面に出たのが〈Take 5〉風にと言って始めた〈Butterfly〉。さいとうさんが繰り出す変奏がいい具合に揺れて、もっとやれえ、と叫びだしたくなる。
この二人の音楽をさらにすばらしいものにしていたのが滑川博生氏のドラムス。CDでもゲスト出演していて、この日はレコ発ツアーで唯一の共演だそうだが、もったいない、ぜひまた3人でやってほしい。滑川氏は本業はジャズだそうだが、シンバルなどの高域とサイドなどの低域の組合せが面白い。1曲だけ、さいとうさんとのデュオで、〈Mouth of Tobique〉を含むリールのセットモロにやったのは、従来、どんな形ででも聴いたことのない、それはそれはスリリングな演奏だった。どこがどう違うのが、あたしなどにはわからないが、ドラム・キットというのは、実はおそろしく広い音域と多様な響き、シャープなものから深く反響するものまで様々な響きを備えていることが、まざまざとわかる。こういうスリリングな演奏は、そう、デヴィッド・リンドレーがウォリー・イングラムを連れて来た時以来かもしれない。
3人でやる時も、もちろん、単純にビートを刻むなんてことはしない。3人が3人ともリードをとる勢いだ。かと思うと、フィドルを核として、おそろしく緊密なからみ合いを聞かせたりもする。ゆったりした曲もまた良い。
こういう時、あらためて思うのは、伝統音楽としてのアイリッシュ・ミュージックの強靭さだ。伝統曲は、無数の人たちが演奏し、聴くのが面白いと思って伝えてきたわけで、その間も常に改良が加えられ、磨かれてきている。だから、ちょっとやそっと揺さぶったところでビクともするものではない。一見そこからはかけ離れた扱いをしても、本来の楽曲の良さは少しも失われず、かえって、光を当てる角度が変わって、新たな魅力が現れる。
さいとうさんはシンガーでもあり、今回も〈ダニー・ボーイ〉のメロディに新たに自作の詞を付けてうたう。これがまた良い。ひょっとするとこのメロディには良い詞を生む力が備わっているのかとも思う。
音楽があまりにすばらしくて、京都と東京という「遠距離ユニット」がどうして生まれたのかは訊ねるのを忘れた。これからあちこちツアーされるそうで、近くに来たら、見逃す手は無い。
こういういわば「異種格闘技」型のユニットは、双方のファンを呼ぶのも楽しい。お客さんには、祖父江さんのファンが多かったようだが、ぜひさいとうさんの参加している Cocopelina もどうぞ。そして、さらにその奥にはさいとうさんのソロもある。
大塚の駅前は初めて降りたが、古い街並みが残り、都電も走っていて、どこかヨーロッパの名も知れず、大きくもないが、古い街の風情。単純なようでいて、入り組んでいて、スマホのマップを見ながら行ったのに、目指す店になかなか辿りつけない。ここをこっちへ曲がればいいはずと曲がると、マップの上の自分の点があらぬ方に向かう。音楽も含めて、ちょっと不思議な夜だった。(ゆ)
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