四谷の「いーぐる」が日曜日営業を始めて、音がいいよと後藤マスターが言うので、行ってみた。ほんとに音がいい。すんごく気持ちいい。いい音かどうかの前に、聞いてて気持ちいい。あるいはいい音というのは聞いてて気持ちいい音なんだろう。Kamasi Washington も、Andrew Hill も、Charlie Haden も、みんなすばらしくて、みんな大好きになる。

 CDもだけど、「いーぐる・オーディオ主任」渡辺さんの作られた、裸の Denon カートリッジがまたすばらしい。たまたま他にお客さんがいなくなったんで、後藤さんがオリジナルのカートリッジとの聴き比べをしてくれたのだが、明らかに、最初の音が出たところでわかる。裸の方が音が新鮮で活き活きしている。オリジナルにすると、どこか霞がかかったような、ソフトな音になる。

 たまたま渡辺さんもいらしていて、いろいろお話を伺えたのも面白かった。カートリッジを裸にしてみたのは、そういうことをやっている動画を YouTube で見たからだそうだ。もっともその前から情報はあったらしい。ハイエンドのモデルには最初から裸のものもあるそうな。Denon のやつは裸にした時の変化がことに大きいそうだ。

 パワーアンプも一時的にクレルに代わっているから、日曜日の電源とクレルのどちらがより効果が大きいかは簡単には言えないが、電源は結構大きいのではないかと、素人ながら思う。

 こうやって聴くと、カマシ・ワシントンのやってることが少し見えてくる。メジャーから出たものしか聴いていないけれど、かれの録音はどれも多数のメンバーによる多彩な音が重ねられている。アコースティック楽器もあれば電気楽器もあるし、多人数の合唱やストリングスもある。打ち込みなどの電子音もある。今の音楽に使われる素材、音源は全部使われているのではないかと思えるくらいだ。しかもそれらの録音のしかたも違う。アコースティック楽器は従来どおり、できるかぎり生音に近い音で聞えるように録っている。一方でドラムスや電気楽器の一部はいわゆるロウファイに録っている。合唱の録り方も、クラシック的なスタイルにもかかわらず、なるべく綺麗に聞えるように録るクラシックの録り方ではなく、あえていえばノイジーに録っている。

 さらに、こういう録り方の使いわけは、楽器のタイプや演奏のスタイルによって決めているわけでもない。たとえばドラム・キットでもクリアに録る時と、ノイジーに録る時とがある。おそらく何らかの方針はあるのだろうが、数回聴いただけではわからない。ひょっとすると方針は決めないという方針かもしれない。

 こういう各々に異なるレベルの録り方をした音を重ね、組み立てて、一つの楽曲を作る。

 この手法もたぶんヒップホップから来ているのだろうが、こういう作られ方をした音楽を聞くには、聞く側にもそれにふさわしいアプローチが必要だろう。ワシントンはエンタテイナーとして優れているから、ただ漫然と聞いてもそれなりに愉しめるようにも作っているけれど、そこにはいくつもの層があって、掘ってゆくと新たな層が顕われる。それが聞えると、さらに愉しくなるように作っているのではないかとも思える。

 これはクラシックの交響曲などの聞き方に通じるところもあるが、そちらの場合は各々の要素は全体に奉仕していて、あくまでも全体を1個の統一された作品として提示しようとしている。

 ワシントンの場合、必ずしも個々の要素が全体に従属し、その一部として機能しているとは限らないようにも聞える。中には、ほんとうにこの楽曲の一部なのか、よくわからないものすらある。偶然まぎれこんでしまったか、意図して入れたものの、想定した役割を果たしていないとか。なんで入れたのか、ワシントン自身にもわからないものすらありそうだ。

 あるいはこれはかなりラディカルな手法かもしれない。音楽の聴き方を根本的に変えることを求めているのかもしれない。そうすることで、今の、21世紀最初の四半世紀にふさわしい音楽の聴き方、愉しみ方を見つけることを要請しているのかもしれない。

 それができたとして、そこで培われた、または鍛えられた聴き方を、他の音楽、従来の形で作られ、録音された音楽に応用することで、また新たな位相が現れる可能性もある。

 というようなことが、日曜日のいーぐるの気持ちよい音でカマシ・ワシントンやアンドリュー・ヒルやチャーリー・ヘイデンを聞きながら、浮かんできたのだった。(ゆ)