アウラは2003年結成、というのは今回初めて披露されたのではなかったか。少なくともあたしは初めて知った。メンバーが変わっているとはいえ、聴くたびに成長している、それも、明瞭に良くなっているのがわかるのは、15年選手としては立派なものではある。
前回は、新たに加わった2人が他の3人に追いついて、レベルが揃ったことで、ぱっと視界が開けたような新しさがあったが、今回はそのまま全員のレベルが一段上がっている。安定感が抜群だ。レベルが揃ってさらに一段上がったことで、それぞれの個性も明瞭になる。まず5人各々の声の性格が出てくる。個人的には星野氏のアルトと菊池氏の声がお気に入りで、今回はそれがこれまでにも増して素直に耳に入ってくるのが嬉しい。菊池氏の声には独特の芯が通っている。他のメンバーの声がふにゃふにゃというわけではもちろん無い。これは声の良し悪し、歌の上手下手とは別のことで、おそらくは持って生まれた声の質だろう。この芯があることで、たとえば長く伸ばす時、声がまっすぐ向かってくる感じがする。この感覚がたまらない。
ライヴでは唄っている姿も加わって、この点では奥脇氏が今回は頭抜けている。とりわけ、目玉の〈ボヘミアン・ラプソディ〉での、天然な人柄がそのまま現れたような、いかにも楽しそうな唄いっぷりは、この曲の華やかさを増していた。そろそろこのメンバーで全曲録音した新譜をという話も出ていたのは当然。レパートリィも大幅に入れ換わっているし、録音でじっくり何度も聴きたい。
曲目リストを眺めると、何時の間にか日本語の歌が大半を占めている。こういうクラシックのコーラス・グループにとって、日本語の歌を唄うのはチャレンジではないかと愚考する。クラシックの発声は当然ながら日本語の発音を考慮に入れていない。あれは印欧語族の言葉を美しく聞かせるための発声だ。そのことは冒頭の〈ハレルヤ〉や後半オープニングの〈ユー・レイズ・ミー・アップ〉、あるいは上記〈ボヘミアン・ラプソディ〉を聴けば明らかだ。こういう曲を開幕やクライマックスなどのポイントに配置するのも、その自覚があるからだろう。それにしても、〈ハレルヤ〉をオープニングにするのは、大胆というか、自信の現れというか、これでまずノックアウトされる。
クラシックの発声で日本語の歌を美しく唄うための試みの一つは、ヨーロッパのメロディに日本語の歌詞を載せることだ。〈Annie Lawrie〉に載せた〈愛の名のもとに〉は前から唄っていたが、今回は〈Water Is Wide〉に日本語のオリジナルの歌詞を載せた〈約束〉を披露した。むろん水準は軽くクリアしているが、アウラに求められるような成功には達していない気もする。どこが足りないか、あたしなどにはよくわからないが、メロディと日本語の発音の組合せが今一つしっくりしていないように聞える。唄いにくそうなところがわずかにある。
その点では沖縄の歌の方がしっくりなじんでいる。あるいは日本語の民謡や〈荒城の月〉もなじんでいるようだ。とすると、メロディと発音の関係だろうか。ヨーロッパでも、たとえば本来アイルランド語の伝統歌を英語で唄うとメロディと歌詞がぶつかる、とアイルランド語のネイティヴは言う。
あるいは詞の問題か。ヨーロッパのメロディに日本語の詞を載せることは、明治期になされて、小学校唱歌として残っている。現代の口語よりも、明治期の漢文調の方が、異質のメロディには合うということだろうか。
アレンジはどれも見事だ。今回感じ入ったのは、詞をうたっている後ろでうたっているスキャットやハミング、あるいは間奏のアレンジがすばらしい。たとえばわらべうたの〈でんでらりゅう > あんたがたどこさ〉のメドレー。そして〈星めぐりの歌〉のラストの星野氏のアルトがぐんと低く沈むのは、今回のハイライト。
安定感ということでは、最初から最後まで、テンションが変わらない。以前は、ラストやアンコールあたりで、エネルギーが切れかけたようなところもあったが、今はもうまったく悠々と唄いきる。クラシックのオーケストラなどでは、最初から最後まで常に音を出している楽器は皆無なわけで、2時間のコンサートで全曲、全員が最初から最後まで音を出す、それも声を出し続けるのは、相当のスタミナが必要なはずだ。アウラが観光大使になった沖縄本島は金武町のとんでもなく量の多いタコライスを食べつくすというのも無理はない。
ああ、しかし、人間の声だけのコンサートの気持ち良さはまた格別。彼女たちが婆さんになった時の歌を聴いてみたいが、そこまではこちらが保たないのう。(ゆ)
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