三重の松阪をベースにするバンド、カンランが7年ぶりに出したセカンド・アルバム《Yggdrasill》はファーストから格段の進化・深化を遂げた傑作で、ぜひ生を見たいと思っていたから、このレコ発ライヴには飛びついた。

 カンランはマンドーラとニッケルハルパのトリタニタツシさん、ヴォーカルのアヤコさん、それにパーカッションのカリム氏のトリオで、主に北欧の伝統音楽とそれをベースにしたオリジナル、さらには日本語の民謡を料理する。

 北欧音楽をやるバンドとしてはまずドレクスキップが有名だろうが、トリタニさんは彼らよりもずっと前から北欧の音楽を演奏してきている。ドレクスキップにとってもモデルの一つだったはずだ。この日は都合がつかなかったパーカッションの代理として、榎本翔太さんがゲストとして全面参加していた。

 "Yggdrasill" は北欧神話に出てくる世界樹であることは言うまでもない。地下の黄泉の世界から天上の神々の世界まで貫いてそびえる巨樹だ。フェロー諸島にこの名前のバンドがあり、来日もしたアイヴォールがリード・ヴォーカルをしていた。

 このセカンドではまずシンガーのアヤコさんの進境が著しい。著しいというよりも、ファーストとは別人のように自信にあふれ、溌剌と唄う。その声がまずすばらしい。ぎっちりと中身の詰まった声が、ごく自然に溢れでて、流れるというよりも飛んでくる。どこにも力が入っておらず、大きくもなく、唄いあげることもしないが、貫通力が抜群だ。口も大きく開いていない。美しい声ではないかもしれないが、聴いていてひどく気持ち良い声だ。いつまでも聴いていたくなる、また聴いていられる声、聴くほどにもっと聴きたくなる声だ。

 同時に、どこか妖しい魅力を備えていて、異界の巫女の声のようでもあり、喜んで聴いていると搦めとられて離れられなくなりそうでもある。呪術的という点ではヴァルティナに通じるところもあるが、もっと重心が低く、そう、神々の世界を翔びまわるフェアリィというよりは、我々の棲むこの世界に根をおろしたもののけの声だ。

 スタイルもいい。一見あるいは一聴、坦々と唄って、感傷も感情もこめることがない。聴きようによっては単調に、無表情に響くかもしれない。唄っている間、表情は変わらない。手の動きや位置で多少強調感をつけることもあるくらいだ。しかし、そこがかえって気持ちが良いのだ。歌にこめられた感情をうたい手が表に出さないのは伝統音楽の一つの大きな特徴だが、それだけではないものがアヤコさんの歌にはある気がする。単に感情を現さないだけでなく、それを凝縮し、ぎりぎりまで固めたものをぽんと押し出す。無表情に見えるのは、あまりにぎりぎりまで押し固められているからだ。それが声にのって飛んでくる。ぽんぽんとカラダに当る。当ってそのまま入りこむ。なんという快感。歌よ、終ってくれるな。この声をいつまでも浴びていたい。

 今回は日本語で唄われている曲が多い。北欧の伝統曲にオリジナルの日本語歌詞をつけたもの、メロディもオリジナルのもの、そして日本語の民謡。民謡は別として、日本語の歌詞がまた面白い。内容も面白いが、それとともに相当に練りこまれていて、音の響きとして面白く、メロディにのっている。それが楽曲全体の気持ち良さをさらに増す。

 トリタニさんはニッケルハルパのわが国における開拓者の1人だが、ベースの楽器はギターで、やはりマンドーラの方が特徴が出るようにみえる。このマンドーラは一般に販売されているものではなく、ギリシャのブズーキを基に、クラシックのマンドリン奏者だった人が製作者と協力して作ったもので、世界でも両手で数えられるくらいの本数しか存在しないそうだ。同じくギリシャのブズーキをもとにアレ・メッレルが独自に改造したのがスウェディッシュ・ブズーキ。アイリッシュ・ブズーキに比べると5コースで、5本めの最低音の弦はフレットをはずして、より低いベースが出るようにしている。という話は後で伺った。

 トリタニさんの楽器はこれらに比べるとボディが大きく、ラウンドバックで、音がより太く、強い。アレ・メッレルもドーナル・ラニィも、ブズーキの音を前面に出すよりも、むしろアンサンブルの中のミュージシャンたちに聞かせるように演奏する。トリタニさんのマンドーラはそれよりも自己主張が大きく、アンサンブルに組込むのにはずいぶん試行錯誤したそうだ。今のシンプルなトリオの形はその成果、一個の結論ではある。もっともこの日、アンコールでジョンジョンと合体したとき、アニーの弾いたピアノが加わった形はなかなか良かった。

 このマンドーラを操るトリタニさんはほとんど天才の域である。コード・ストロークやメロディを奏でるピッキングや、その他、何をどうやっているのか、あたしなどにはわからないことをいとも簡単に、少なくとも簡単そうにやってのける。顔にはもう少しで微笑みといっていいが、そうは言いきれない表情が浮かんでいる。楽しくてたまらず、嬉しくてたまらず、思わず顔がにやけそうになるのを締めているようでもあり、心ここにあらず、音楽にひたりこんでいるようでもある。

 榎本さんはもちろんニッケルハルパで、この人はリードをとっても、サポートに回っても、バランスのとり方が実に適切で巧い。擦弦楽器で適切な歌伴をするにはかなりのセンスの良さを要求される。榎本さんのこのセンスはすばらしい。CD ではパーカッションが入るわけだが、その不在の穴をまったく感じない。これが本来だと思えてしまうほどだ。それでも、1曲、トシさんが加わった時は、ヴォーカル、マンドーラ、ニッケルハルパとの組合せをもっと聴きたくなる。

 この日はカンランのレコ発ライヴということで、John John Festival は前座である。トシさんは「露払い」と言う。かれらのライヴを見るのは、CDとして出た求道会館以来。今年の JJF のテーマはアニーがピアノを弾くことだそうで、半分くらいピアノを弾く。ロバハウスのピアノは小型のアップライトで、ちょっと音がくぐもった感じがするが、今回はそれがちょうどいい。そして、ギターからピアノになると、じょんのフィドルの音が浮上する。じょん自身の進境と相俟って、フィドルの艶かしさが一層映える。これは先々が楽しみだ。最後は例によって歌でしめくくる。その1曲目、もうおなじみの〈思いいづれば〉はほとんどア・カペラでうたうが、ぎりぎりまでテンポを落として回すコブシがこれまでとは一段ちがうほど気持ち良い。ラスト〈海へ〉のハーモニーも堂に入ってきた。

 アヤコさんのヴォーカルを軽く増幅した以外はすべて生音で、ここはやはり生音がほんとうに快い。ニッケルハルパの倍音もよく響く。

 トリタニさんとはトシさんをまじえて、昨日、5時間、飲みながらあれこれおしゃべりしてたいへん楽しかったのだが、カンランの名前の由来を訊くのをすっかり忘れていた。(ゆ)

ユグドラシル
カンラン
Sahara Bleu record
2019-05-19