na ba na の音楽はのんびりしている。急がない。ミュージシャン同士の緊迫したからみ合いもない。リールでさえも、ゆるやかだ。

 わざとそうしているようでもない。この3人が集まると、ごく自然にこういう音楽になる、と響く。むしろ、こういう音楽ではない形、スピードに乗ったチューンや、丁々発止のやりとりが出るとなると、どこか無理がかかっているのと見えるのではないかとすら思う。もっとも、いずれそのうち、そういう形が現れないともかぎらない。ある形に決まっていて、それからは絶対にはずれません、というようなところも無いからだ。

 na ba na のライヴは久しぶり。須貝さんの産休もあって、ライヴ自体が久しぶりではないか。須貝さんがコンサティーナを弾いたり、コンサティーナ2台のデュエットをしたり、スウェーデンの曲をやったり、新機軸も結構ある。が、ことさらに、新しいことやってます、というのではない。これまた自然にこうなりました、というけしき。

 梅田さんも中藤さんも、きりりと引き締まるときには引き締まるから、このゆるやかにどこも緊張していないキャラクターは主に須貝さんから出ているのだろう。須貝さんはまだ若いが、どこか「肝っ玉かあさん」の雰囲気がある。ゆるやかで緊張はなくても、だらけたところも無い。芯は1本、太いものが、どーんと、というよりはしなやかに通っている。通っていることすらも、あまり感じさせない。インターフェイスはどこまでも柔かい。

 それにしても生音が気持ち良い。ここは10人も入れば一杯の店だが、天井が高く、片側の壁、ミュージシャンの向い側の壁は全面が木製。ミュージシャンは細長い店の長辺の一つに並ぶ。すると音が広がり、膨らんで、重なりあう。なんの増幅もなしに、3人の音がよく聞える。

 今回、とりわけ快かったのはフィドル。中藤さんのフィドルはよく膨らむのが、さらに一層増幅され、中身のたっぷり詰まった響きが、いくぶん下の方から浮きあがってくる。もう、たまりまへん。

 なんでも速く演ればいいってもんじゃあないよなあ、とこういう音楽を聴くと思う。もっとも、なんでもゆっくり演ればいいってもんでは、一層ないだろう。技術的にはゆっくり演る方が難易度は高そうだ。ヘタで速く演れませんというのは脇に置くとして、意図的に遅くするのとも、このトリオのゆるやかさは異なる。こういうものは性格だけでもなく、日常生活の充実もあるはずだ。いや、幸せオンリーというわけじゃない。そんなことはあるはずがない。日常生活は幸せと不幸がいつも常にないまぜになっているものだ。そのないまぜを正面から受け止めて最善を尽すことを楽しむ。不幸を他人のせいに転嫁するかわりに、自分を高めることで不幸を幸いに転換しようと努める。そういう実践が半分以上はできているということではなかろうか。

 という理屈はともかく、彼女たちの音楽を聴いていると、今日も充実していたと実感できる。(ゆ)

はじまりの花
na ba na ナバナ
TOKYO IRISH COMPANY
2015-11-15