ふだんはアイルランド在住の村上淳志さんが一時帰国してワークショップなどやられていて、その仕上げとして、主にクラシック・ハープの演奏者向けにアイリッシュ・ハープについて解説する講座をやるので遊びに来ませんかと誘われた。村上さんの話ならきっと面白いにちがいないと、ほいほいとでかける。
場所は六本木ヒルズの向かいのビルの上。正面全面ガラス張りのセミナールーム。40人ほどだろうか。クラシック向けといいながら、結構アイリッシュ方面の人たちもいたようだ。ワークショップに参加された方もいたのだろう。
アイリッシュ・ハープとは何ぞや、がテーマではある。ということはアイリッシュ・ミュージックをハープを通じて語ることになる。ルーツ・ミュージックでは楽器と音楽の結びつきが強い。アイリッシュ・ミュージックとは何ぞやを語ろうとすれば、歌は別として、どれかの楽器に即して語るしかない。抽象的なアイリッシュ・ミュージックというものは存在しない。
村上さんはよく整理されていて、まずセッション、次に装飾音、そして楽器としての特性を解説する。その各々に話が面白いのは、やはり現地で日々、実際に音楽伝統に触れているからだ。
セッションはユニゾンだ、というのはあたしらには常識だが、それが横につながる感覚だ、というのはミミウロコだ。ハーモニーは縦に重なる感覚になる。アイリッシュ・ミュージックはユニゾンだからつまらないと言ったクラシック音楽関係者がいたらしいが、心底そう信じているのなら、その人間はクラシック音楽そのものもわかっていない。ユニゾンとハーモニーはクラシック音楽の両輪ではないか。
むろんハーモニーの快感とユニゾンの快感は質が異なる。ただ、ユニゾンの快感の方がより原初的、人間存在の核心に近い感じがする。
それにユニゾンは単純でない。ユニゾンが快感になるには、ただ同じメロディを同じテンポで演奏すればいいわけではない。表面、簡単に見えながら、内実では繊細で微妙で複雑な調整をしている。それに装飾音だ。
この装飾音の説明が面白い。カットとかランとか passing note とか、さらにハープが得意とするトリプレットや finger slide や、ハープ流ダブル・ストップを実演しながら紹介する。これは強力だ。入れる時と入れない時を交互に演って比べるのは、まさにメウロコだ。ダブル・ストップというのは村上さんがそう呼んでいるのだそうで、どこにでも通じるものではないらしいが、フィンガー・スライドとともに、近頃巷で流行っている由。
そしてハーパーにはお待ちかね、ハープ奏法のテクニック。これは主に左手の使い方。10度の多用、つまり10度離れた二つの音を同時に弾くもので、マイケル・ルーニィの影響というのは以前、ハープ講座の時に聞いた。
ハープ特有のシンコペーションとか、レバー式のハープなればこそ可能になるキーチェンジとか、かなり高度なテクニックではないかと思われる話がぽんぽん出てくる。クラシックのグランド・ハープはペダルで全部の弦の音程を一斉に上下できる。レバー式は1本ずつ手で上げ下げしなければならない、と思いきや、アイリッシュ・ミュージックの曲では五音音階が多いから、オクターヴの1番上は使わないことが多い。するとそこの弦のレバーは動かさずにキーが転換できてしまう。と書いても、実はあたしはよくわかっていない。とにかく、動かすレバーと動かさないレバーの組合せで、グランド・ハープには不可能な技ができてしまう。右手と左手の音階を別々にしたりすらできる。
これはクラシックのハーパーにはちょっとしたショックではなかろうか。
そうそう、主な対象はクラシックの演奏者だから、ちゃんと楽譜がレジュメに入っていて、装飾音もきっちり書いてある。
後半は曲種の紹介。今回は、ジグ、リール、ホーンパイプ、ポルカ、エア、ハープ・チューン、その他という分類。ハープ・チューンはカロランやらその仲間たちの曲。その他にはバーンダンス、フリン、マーチ、ワルツ、マズルカ、セット・ダンスなどが含まれる。
もちろん各々に実演する。どれもさすがの演奏だが、最後に演奏したその他の曲種、スロー・エア〈黄色い門の町〉から〈Sally Gally〉のメドレーがすばらしい。アレンジもきっちりしていて、これを聞けただけでも、来た甲斐があった。
最後はお薦めのCDの紹介。村上さんがえらいのは、ハープだけではなく、他の楽器のCDも薦めるところだ。中には自分が演奏する楽器の録音しか聞かないという人もいるが、それではその演奏している楽器も上達しないことを、村上さんはちゃんとわかっている。アイリッシュ・ミュージックを体に染みこませるには、いろいろな楽器の演奏も聞かねばならない。
ここであたしにご指名があって、20枚ほどあがっているCDで、1枚だけと言われたらどれを選ぶか、と訊ねられる。あたしが選んだのは Brian McNamara《A Piper's Dream》。クラシックではハープはどちらかというと日陰の存在だが、アイリッシュ・ミュージックではハープは女王さま。ただし、臣下がいない。ハープの後を継いだ王様がイリン・パイプ。他の楽器はパイプをエミュレートしようとする。だから、アイリッシュ・ミュージックのCDを何か1枚ならば、まずパイプを聴いてください。
マクナマラのこのCDはかれのソロ・デビュー作で、タイトル通り、パイパーにとって会心の、これぞ理想の音楽ができた、と言える傑作だ。音楽の新鮮さ、パイプの響きの美しさ、演奏の質の高さ、選曲と組合せの巧さ、まあ、これ以上のものは無いでしょう。
村上さんは冒頭でアイリッシュ・ミュージックの性格として、千差万別であり、変化し続ける音楽だ、と言ってのけた。かれは一見華奢で、線が細そうに見えるが、実はこういう根源的なことをさらりと言える大胆不敵な人物なのだ。
梅雨の晴れ間とまではいかないが、とにかく雨は降りそうもない日曜日。ヒルズやミドタウンの喧騒もどこか遠い世界のように感じる。浮世離れしているといえば、これほど浮世から離れたものもないようなアイリッシュ・ハープの話ではある。が、それ故に、浮世に風穴をひとつひょうと穿けたような、村上さんの話であり、ハープ演奏だった。(ゆ)
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