菜花は西調布の駅からほど近いところで、ふだんはレストランらしい。トシバウロンがプロデュースして、ここでケルトや北欧の音楽のライヴを定期的に開く企画「菜花トラッド」の皮切りがこのデュオである。
ここは須貝知世さんのデビュー・アルバム《Thousands of Flowers》レコ発で来たことがある。広々とした板の間で、テーブルや椅子もいずれも木製。生楽器の響きがいい。このイベントは食事付きとのことで、この日は二人が演奏するアイリッシュ・ミュージックに合わせてアイリッシュ・シチュー。実に美味。量もあたしのような老人にはちょうどいいが、トシさんには足らないかもしれない。
この二人ではしばらく一緒にやっていなかったとのことで、ゆったりと始める。ホーンパイプからスローなリールのセット。次もゆったりとしたジグ。そのゆったり具合がいい。
マイキーはクレアの出で、フィドルもそちらだが、西クレア、ケリィに近い方だろう。ポルカやスライドの盛んな地域で、もちろんそれも演るのだが、この日はとにかく走らない。勢いにのって突っ走るのは、まあ誰でもできるが、こんな風にゆったりと、充分にタメて、なおかつ曲の備えるグルーヴ、ノリが湧き出るように演奏するのは、そう簡単ではないはずだ。このあたりはやはりネイティヴの強み、血肉になっている伝統から、どっしりと腰のすわった安定感がにじみ出る。安定しきったその流れにただひたすら身をまかせられるのは、アイリッシュ・ミュージックの醍醐味のひとつではある。
伝統音楽にはそれぞれに固有のグルーヴ、ノリがある。アイリッシュにはアイリッシュの、スコティッシュにはアイリッシュと似ているが、やはりスコティッシュならではのノリがある。スウェーデンのポルスカのノリはまた別だ。そういうノリを身につけるのは、ネイティヴなら幼ない頃から時間をかけられるし、どっぷりと浸ることもできるが、伝統の外では難易度は高い。一つの方法はダンスの伴奏、アイリッシュならケイリ・バンドなどで、ダンスの伴奏をすることかもしれない。トヨタ・ケーリー・バンドのメンバーは一晩で何時間もぶっつづけで、それも半端ではないテンポで演奏することで鍛えられていて、他のアンサンブルで演るときも抜群の安定感を体験させてくれる。
それでもやはり、優秀なネイティヴが備える安定感は次元がまた別だ。マイキーがこの国に住んで、音楽をやってくれていることは、あたしなどには本当にありがたい。
かれはまったくの1人でもすばらしい音楽を聴かせてくれるだろうが、アイリッシュは基本的にソーシャルな音楽だ。つまり、一緒にやって初めて本当に面白くなる。だから高橋さんのような相手がいることはマイキーにとっても嬉しいことだろう。
高橋さんはこの日は得意のバンジョーは弾かず、ギターに徹していたが、かれのギターはミホール・オ・ドーナルを祖型とする従来のものからは離れている。ストロークで使うコードやビートの刻み方も違うし、ピッキングでメロディを弾くことも多い。フィドルやホィッスルとユニゾンしたりさえする。あるいは前半の最後にやったスロー・エアのように、アルペジオからさらに音を散らして、ちょっとトリップでもしているような感覚を生む演奏。かれは長年、アイルランドでプロの伝統音楽家として活動していて、伝統のコアをきちんと身につけているが、一方で、というよりもおそらくはそれ故に、実験にも積極的だ。そのギターは相当にダイナミックで、マイキーのむしろ静謐な演奏と好一対をなす。
ライヴのプロデュースをするトシさんももちろんプロデュースだけして、黙って腕組みして見ているはずはない。バゥロンで参加して、ソロまでとる。こういう時にはジョンジョンフェスティバルのようなバンドの時よりもかれの個性が現れる。そして、見るたびに進化しているのには感心する。いつも新鮮な響きを、あのシンプルな太鼓から叩きだしてみせる。
実は最近、あるきっかけでザッパに復帰したり、ジミヘンとかサンタナとか、今でいう「クラシック・ロック」熱が再燃していて、アイリッシュはほとんど聴いていなかったのだが、こういうライヴを見聞すると、カラダとココロがすうっとして、落着いてくるのを実感する。このレベルのライヴが期待できるのなら、この「菜花トラッド」は毎回来たくなろうというものだ。とりあえず次回は来月23日、奥貫史子&梅田千晶、フィドルとハープのデュオだそうだ。この組合せで見たことはないから楽しみだ。ケープ・ブレトン大会になるのか、クレツマー祭になるのか。
それにしても、菜花のアイリッシュ・シチューはおいしかった。次は何か、とそちらも楽しみ。ごちそうさまでした。(ゆ)
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