スピーカー中心のオーディオのイベントに初めて行ってみる。知人が開発に関わった新製品を見て聴くためだが、半分はどういう人たちが来ているのか、ヘッドフォン祭などと違うのか、という興味もある。

 目当てのハードウェアはアキュフェーズの新しいプリメインのフラッグシップ E-800。来てみて思うのは、こういうイベントはオーディオ機器の試聴環境としては良くないことだ。30畳ぐらいの部屋に数十人も入れば、いくらルーム・チューニングをしても、個人の家で聴くものからは程遠くなるだろう。加えて、この会場の部屋そのものが、元来は会議室で、天井、壁、床に音響的配慮は皆無だ。ユーザー側のメリットとしては、様々なハードウェアに一度に接することができる、ということくらいか。



 それでも、基本的な音の性格の違いはわかる。時間が少しあったので、Esoteric で Avangard を鳴らすデモ、Fostex の2ウェイをアキュフェーズで鳴らすデモ、Triode の 真空管プリメイン MUSASHI で Focal のたぶん Utopia Evo を鳴らすデモ、オープンリール・デッキ NAGRA Tから蜂鳥のテープアンプに接続し、Mola Mola のプリアンプ「Makua」+パワーアンプ「Kaluga」から Lansche Audio のコロナ・プラズマ・トゥイーター搭載スピーカーシステム「No.5.2」を鳴らすデモを聴いてみる。

 好みはフォステクスでシャープで濃密。Triode では同じ音源をCDとアナログで聴き比べたのも面白かった。アナログの方が底力がある。価格合計がたぶん1,000万を超えるエソテリックとアヴァンギャルドは、ステージはあるが、どこか冷たく、ピアノに霞がかかり、声にも血が通っていない。やはりソニーの音。ヘッドフォン、イヤフォンもそうだが、このソニーの研ぎすまされて脆そうな音はどうにも好きになれない。テープ・デッキからのせいなのか、この音は時代錯誤に聞える。

 で、肝心のアキュフェーズは、うーん、こういう音が好きなのよね、とあらためて思い知らされる。思えばかつて出たばかりのアキュフェーズのプリメイン E-302 で Boston Acoustic の、10cmウーファーを2発積んだ板みたいな3ウェイを鳴らしたのが、あたしのオーディオ事始めだった。プレーヤーは Thorens の当時一番安い、ストレート・アーム付きのやつ。これで Dougie MacLean の、これも出たばかりの《Butterstone》を聴いた時の新鮮な驚きは忘れられない。やがて、トーレンスの音が物足らなくなって、もっといいプレーヤーが無いかと探しだして、表参道にあったらっぱ堂を訪ねたのが運のつき。ずぶずぶとはまっていったのでありました。

 ちなみに《Butterstone》はマクリーンのアルバムの流れとしては傍系になるんだけど、そこがむしろプラスに出ている。他は自身のプロデュースだが、これだけはレーベルのオーナーだった Richard Digance がプロデュースしているのも、マクリーンが普段封じているダークな面を引き出している。あたしの中ではディック・ゴーハンの《No More Forever》に匹敵する。


Butterstone
Maclean Dougie
Dambuster (UK)
1994-11-07


 アキュフェーズのデモのスピーカーは Fyne Audio F1-12 で、このメーカーはスコットランドはグラスゴー郊外にある、となると親近感が湧いてしまう。スコットランドの今や国宝的存在であるダギー・マクリーンは、これで聴くべきでしょう。F1-12 はサイズもデカすぎるし、値段も手は出ないが、一番安いブックシェルフの F500 をアキュフェーズの E-270 で聴いてみたいよねえ。




 それにしても E-800 と F1-12 は良かった。説明の始まる前に流れていたデモで Jennifer Warnes の《Hunter》がかかる。その声が出た途端、ぞく、っと背筋に寒気が走りましたね。こりゃあ、ええ。こりゃあ、ええよ。

ザ・ハンター
ジェニファー・ウォーンズ
BMGビクター
1996-04-24



 アキュフェーズの偉いさん?による説明の中でかけた岩崎宏美と国府弘子の〈時のすぎゆくままに〉がまた凄い。録音もいいが、演奏が凄い。岩崎宏美がこんないいシンガーとは知らなんだ。というよりもまるで興味が無かったが、こりゃあ一級じゃん。国府のピアノも鍵盤を広く使って、スケールが大きい。その最低域の音が生々しい。いや、このアルバムを聴けたのは来た甲斐がありました。こいつは買わにゃ。

Piano Songs
岩崎宏美
テイチクエンタテインメント
2016-08-24



 最後のプッチーニのオペラからの録音もかなり良い。ベルカントはどうしても好きにはなれないが、訓練された声が存分に唄いきる時の快感というのはわかる。また、それが実感できる再生ではある。ライヴ録音で、会場の大きさもよくわかり、こういう音楽をこういうシステムで聴く醍醐味は味わえた。

 やっぱり、あたしの場合、人間の声がきちんと再生できることが肝心なのだ。ソニーの音はきれいなことはきれいだが、精巧なガラス細工で、ちょっとつつくと砕けてしまいそうなのよね。

 ヘッドフォン、イヤフォンの、どこでどんな姿勢で聴いてもいいという自由さ、性格の異なる複数の機種を取っ替え引っ替え聴けるという楽しみを味わってしまうと、スピーカーに完全に戻る気にはなれないが、時にはスピーカーで聴くのは耳をリフレッシュできていいもんだと改めて思うことであった。アキュフェーズにすっかり満足してしまって、もう他を聴く気にもなれず、そのまま出て、気になっている万年筆インクを物色しようと丸善に向かったのであった。

 それにしてもアキュフェーズがヘッドフォン・アンプを出してくれないか。DAC とかじゃなくて、純粋のヘッドフォン・アンプ。Luxuman P-750U のような、でももっとコンパクトなやつ。アキュフェーズが出したら、無理しても買っちゃいそうな気がする。(ゆ)