ギタリストのアーティ・マッグリンが12月18日、亡くなったそうです。享年75歳。死因は公表されていません。フィドラーの Nollaig Casey と結婚していて、娘さんが2人、息子さんが3人いる由。
出身はノーザン・アイルランド、タイローン州。父親がアコーディオン奏者、母親はフィドラーという音楽一家に生まれ、初めは父親にならってアコーディオンを弾いていました。11歳の時、母親がギターを与えて人生が変わります。まずジャズに行き、ウェス・モンゴメリー、バーニー・ケッセルなどをフォローします。1960年代から70年代にかけてはケイリ・バンド、ショウ・バンドで食べていました。1970年代半ば、時代の風を感じたのでしょう、伝統音楽に回帰します。1979年、ソロの《McGlynn's Fancy》をリリースして、アイリッシュ・ミュージックにおけるギタリストとして、ミホール・オ・ドーナル、ポール・ブレディと並べられます。ここではまたギターでダンス・チューンのメロディを弾きこなしてもいます。
以後は常にアイリッシュ・ミュージックの第一線にあって、ドーナル・ラニィ、クリスティ・ムーア、アンディ・アーヴァイン、リアム・オ・フリン、フランキィ・ギャヴィン、クリスティ・ヘネシィ、ジョン・カーティなどと共演していました。最も有名なのはパトリック・ストリートとフォー・メン・アンド・ア・ドッグへの参加でしょう。ヴァン・モリソンのバンドにいたこともあります。個人的に最高だと思うのはフランキィ・ギャヴィンがフランスのオコラで作った《Irelande》1994 です。アコーディオンの Aidan Coffey とのトリオで、フランキィのものとしても、アイリッシュ・ミュージックのものとしても、最高の1枚です。ライヴ録音なのも嬉しい。
2016年、TG4 の Gradam Saoil / Lifetime Achievement Award を受賞しました。
ナリグ・ケイシーとは2枚のアルバム《Lead The Knave》1989と《Causeway》1995を作っています。ここでのかれの流麗なエレキ・ギターによるダンス・チューン演奏は他に比べるものがありません。
リアム・オ・フリンが最初に来日した時に同行していました。普段は無口で、もの静かなリアム・オ・フリンよりももっと静かで、ほとんどいるのかいないのかわからない感じで、ステージに上がって楽器を持ってもクールなままですが、音を出すと世界を一変させる力のあるギターでした。繊細で抜き身の刃のような存在感がありました。闇の中で静かにわずかな光を反射している脇差の逸品、というところ。
かれのギターの特色、性格については、ギタリストたちにお任せしましょう。まずは、パトリック・ストリートの3枚め《Irish Times》1990 冒頭の〈Music for Found Harmonium〉を聴いて、偲ぶことにします。この曲がアイリッシュ・ミュージックのレパートリィに入ったのはこの録音がきっかけです。合掌。(ゆ)
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