今年最初のライヴ。個人的な事情もあって、年明けとはいえ、にぎやかでアゲアゲな調子のものは願い下げという想いがあったのだが、このソロ・ライヴはひそやかに、静かに、しかし決してネガティヴではない、あくまでも明るく前を向いていて、今のあたしの気分にはまことにぴったりのひと時を過ごさせてくれた。聴いていると「明るいニック・ドレイク」という言葉が浮かんできて、後でアニーに言ったらまんざらでもない様子だった。

 アニーとしてもインストルメンタルではなく、うたを唄う、弾き語りのスタイルのライヴは初めてだそうで、緊張してます、不安です、と口ではいうのだが、演奏している姿にはそんなところは微塵も無い。MCはいつもに比べれば多少ぎこちなくもないが、音楽そのものの質はいつもの中村大史のレベルはしっかり超えている。

 ひとつにはこのホメリという空間のメリットもある。ここは生音がよく響くところで、声もやはりよく通る。後半は結構力を入れてストロークを弾いてもいたが、声がそれに埋もれてしまうことはない。もっとも、その辺りの音量の絞りかた、力の加減、押手引き手の呼吸は心得たものだ。

 ギター一本の弾き語りというスタイルはあたしにとっては他のどんな形よりもおちつく。基本中の基本。極端にいえば、ギター一本とうただけで満場を唸らせることは、一人前のミュージシャンとしての最低の条件ですらあると思っている。アイルランドの音楽、ばかりでなく、その前のスコットランドやイングランドの音楽を聴いた初めもギターとうたの弾き語りだった。ディック・ゴーハン、ニック・ジョーンズ、ヴィン・ガーバット、マーティン・カーシィ、デイヴ・バーランド、クリスティ・ムーア、アンディ・アーヴァイン、ポール・ブレディ、ミホール・オ・ドーナル、アル・オドネル、クリス・フォスター、マーティン・シンプソン、スティーヴ・ティルストン等々々。こうした人たちのうたとギターに誘われて、伝統音楽の深みへと誘われ、はまりこんでいったのだ。

 わが国でもこうしてギター一本とうたで、異国の、また故国のうたを聴かせてくれる人が現れているのは、頼もしく、嬉しい。たとえば泉谷しげる。ここでまさか泉谷のうたをこういう形で聴こうとは思わなんだが、アニーはまるで自分が作ったうたのようにうたう。ここから森ゆみ、そして自作の〈夏の終りに〉の3曲がハイライト。

 まだ自作がそれほど多くないので、と言ってカヴァーをうたうが、どれもが原曲を離れて、アニーの血肉になっている。カヴァーには曲に引っぱりあげられることを期待する場合も少なくないが、アニーはそんなことは夢にも考えていない。クリスティ・ムーアにうたわれることで有名になった曲は数知れないが、それらはどれもムーアが自作とまったく同じレベルまで咀嚼消化吸収して、あらためて自分のうたうべきうたとして唄った結果だ。アニーのカヴァーにも同じ響きがある。

 アニーはどのうたも急がず騒がず、ゆったりと静かにうたう。ソロ・アルバム《Guitarscape》は静謐さに満ちているが、うたが入ってもやはり静かだ。静まりながら、前へ前へと進む。そう、これは明るいニック・ドレイクよりも、クールなクリスティ・ムーアと呼ぶべきかもしれない。ムーアも静かにうたうこともあるが、どんなに小さな声でうたっても、かれの場合にはその奥がいつもふつふつと煮えたぎっている。アニーも煮えたぎっているのかもしれないが、あえてそれがそのまま出るのを抑えて、どこまでもクールに唄う。それが気持ち良い。

 年末から気が重い状態が続いていて、まだ当分この状態に耐えていかねばならず、ますます気が重かったのだが、こういうクールでポジティヴな音楽には救われる。他の形でも超多忙の人だから、毎月とか隔月とかは無理だろうが、春夏秋冬や、あるいは4ヶ月に一度ぐらい、こういう音楽を聴かせてくれることを願う。そしていずれはうたとギターだけのアルバムも期待する。

 ライヴ通いの上では、まずこれ以上は望めない形で2020年は始まった。(ゆ)

guitarscape
Hirofumi Nakamura 中村大史
single tempo / TOKYO IRISH COMPANY
2017-03-26