山中さんはこれ以外の3月のライヴは全部中止になり、ほぼ1ヶ月ぶりの公演の由。人前で演奏することの歓びと緊張をあらためて感じたと言われる。あたりまえだったことがあたりまえでなくなると、そのあたりまえが奇跡の連続であることにあらためて気づくのは、演者もリスナーも同じ。

 その緊張感からか、歓びからか、あるいは両方の作用か、演奏の質はさらに上がっている。このレベルの人に延びしろなどというのは失礼だが、このレベルの人が、前より明らかによくなっていると実感させるのは、並大抵の精進の結果ではないはずだ。これまで聴いたことのある曲のはずなのに、まったくの初体験に聞える。そして一つひとつの音、フレーズがくっきりと明瞭でかつ芯が通り、体にぶつかってくる感じさえする。オリジナル曲のベースは津軽三味線なのだろうが、そういう範疇は完全に超えて、三味線という楽器による同時代音楽に他ならない。疫病の流行という現下の事態がその音楽をさらに大きなものにして、音楽はわれわれを、世界を包みこむ。

 山本さんの歌も凄い。これまたこれまでで最高の歌唱だ。唄うことの歓び、唄えることの愉しさに満ち満ちて、滔々と流れこんでくる。山中さんに言わせると、同じ曲でも他の人のは「民謡」だが、山本さんのは歌なのだ。これには深く納得する。「人がそこにいて唄っている」のだ。何かの型にはめようとか、誰かの為に、とかいった他念がない。歌は山本さんの奥から流れ出てくる。山本さんという存在を蛇口としてほとばしる。だから山中さんが伴奏をつけるのは山本さんだけだ。

 山本さんが人前で唄う機会はそう多くないらしい。民謡協会の大会などに出るときは1、2曲が普通だそうだ。ここでは7曲。何を唄うかは何も決めておらず、その場で2人で相談して決めてゆく。それがまたいかにも楽しげだ。〈津軽山唄〉は普通は尺八伴奏でうたうものだそうで、フリーリズムだが、山中さんが三味線でつける伴奏にはどこにも無理がない。

 人間が生きるのに音楽はやはり必要なのだ。人はパンのみにて生くるものにあらず。しかり、人が人らしく生きるには音楽は必須である。そして音楽とは生が基本。ライヴは文字通り、なにものにも替えがたい。

 山本さんと山中さんのMCがまた巧い。ウケようという雑念は無いが、ウケるだろうことを冷静に計算してもいる。たくらんでいるのか、いないのか、いや、やはりたくらんでいるのだろうが、そうとは見せない。そこが気持ちいい。

 大いに笑わせてもらい、最高の音楽を聴かせていただき、免疫力もぐんと上がった気分。ありがたや、ありがたや。(ゆ)

山中信人:三味線
山本謙之助:歌