眼の前の楽器から音が出ている。生音を聴いている。そのことが、どれほどの快感か、最初の一音であらためて思い知らされる。もちろん、ただ生の音が出てりゃあいいってもんではない。そういえば、コロナこの方、深夜の駅前の路上演奏も耳にしていない。そもそも深夜に駅前にいることが無いせいではあるが、いかにライヴに飢えているとはいえ、あれを聴いても少しも気持ち良くはならない。

 アコーディオンの藤野由佳さんとピアノの shezoo さんのデュオ、透明な庭の、本来は春にレコ発でやるはずだったもの。shezoo さんもいろいろな人とやるが、この組合せにはちょっと意表を突かれた。だから、ぜひライヴを体験したかった。そしてライヴを見てみれば、藤野さんはこの形がベストだと思う。少なくともあたしにはそうだ。これはミュージシャンの腕とか音楽の出来不出来の問題ではなく、相性のハナシだろう。あたしはダンス・チューンをやる時や、オオフジツボでの藤野さんがどうしてもピンと来ない。どこかズレている感覚がどうしてもとれない。聴いていておちつかない。音楽に浸ることができない。

 それがどうだ。この人のアコーディオンはこんなに歌うものだったのか。shezoo さんの音楽の、例によってどこまでが作ってあって、どこから即興なのかわからない、即興かと思えばきっちりアレンジしてあり、アレンジかと思うと毎回全然違うことをやる、次に何が起きるかわからない面白さが横溢している。音楽にずっぽりはまりこめる。

 2曲目の〈ひまわり〉。ゆったりしたフリーのインプロが気持ちよい。そしてその次の《Tower》がハイライト。全体にどちらかというとゆったりと、朗らかに、光と闇が同居した感覚。曲もいい。

 壷井彰久さんが参加しているいろいろなバンドでの演奏を並べたライヴを聴いた時に思ったのは、御本人が一番やりたくて、楽しそうにやっているのはプログレのバンドなのだが、その音楽家としてのポテンシャルを最も広く深く展開しているのは shezoo さんとのトリニテだということだった。やりたくないことを無理矢理やらされているのではむろん無い。こんなことがやれるのかと自分でも驚いている感覚があったのだ。そしてやってみれば実に楽しい。

 藤野さんも同じところがある。二つ例がそろえば十分だろう。shezoo さんは相手が自分でも気がつかない可能性を引き出し、開拓し、最高の形で提示することが無類に巧いのだ。

 この日はヴァイオリンに桑野聖氏が加わった。あたしはまったくの初見参だが、まず音色がなんともいえずに美しい。こういう膨らみのある弦の音はたまらん。音数は多くないが、適確にツボを押えてくる。これはあたしだけの感覚ではなく、shezoo さんもしきりに強調していた。演っていて、ここに音が欲しいなと思って行こうとすると、すでにヴァイオリンがそこにいるのだそうだ。後半2曲めのワルツ〈So Far 2〉がハイライト。その次の〈永遠〉ではラストの全員の不協和音がいい。

 しかし、最後に凄いものが待っていた。アンコール前の〈ドリーミング > バラコーネ1〉のメドレー、とりわけ後半の〈バラコーネ〉。トリニテではない編成でやったこの曲のベストだったし、トリニテのライヴも含めても、3本の指に入る。何がいいとかはもうわからないくらい、すべてが別次元に跳んでいる。この曲にはこんな位相もあったのだ。引張っているのはヴァイオリンだが、アコーディオンの部厚い音がこれをぐいと持ち上げ、ピアノが全体を下から押し上げる。これはぜひこの編成でライヴ録音を聴きたい。マスクをしているのも完全に忘れていた。

 5ヶ月ぶりのライヴで、マスクを着けたままライヴを見るのはもちろん初めてで、もうわずらわしくてわずらわしくて、二度とこんなこと、誰がするかとまで思ったのだが、こういうのを聴いてしまうと、やっぱりガマンするかという気にもなる。

 昼間のライヴで出ればまだ炎天、影を拾って帰る。やっぱり、生はええ。(ゆ)

Invisible Garden
透明な庭
qs lebel
2020-02-01