9月下旬からそろそろとライヴに行きだした。しかし、どこかまだ腰が定まらない。かつてのように、いそいそわくわくというわけにはいかない。おそるおそるというほどでもないが、おたがい仮の姿のようなところがある。いや、ミュージシャンたちはそのつもりではないだろう。むしろ、一層魂をこめて、一期一会、次は無いかもしれないというつもりでやっているのだろう。問題はこちらにある。リハーサル、と言ってみるか。ライヴを見るのに練習もへったくれもないと言われるだろうが、毎月2、3回、多いときには週に2回というペースでなにかしらのライヴに通っていると、勢いがついているのだ。ランナーズ・ハイというのはこういうものではないかとすら思えてくる。それがぱたりと止まった。それは、まあ、いい。ちょうど仕事も佳境に入って、正直、ライヴに行かずにすむのがありがたいくらいだった。
その仕事も一段落ついた頃、配信ライヴを見たり、ぽつりぽつりとライヴに行ってみたりしだした。どうも違う。同じではない。COVID-19は今のところ無縁だが、こちらの意識ないし無意識に影響を与えているのか。
ひとつの違いは音楽がやってくる、そのやってくるあり方だ。ひょっとするとライヴがあった、そこに来れたというだけで野放図に喜んでしまっているのだろうか。どこを見ても、なにが聞えても、すばらしいのだ。個々の音、とか、楽曲とか、どの演奏とか、そんな区別などつかない。もう、全部手放しですばらしい。音が鳴りだすと、それだけで浸ってしまい、終ると目が覚める感覚。どんな曲だったか、どんな演奏だったか、何も残っていない。手許を見れば、曲目だけは一応メモしてあるが、それだけで、いくら眺めても、個々の曲の記憶はさっぱりない。ただ、ああ、ありがたや、ありがたや、と想いとも祈りとも呪文ともつかないものがふわふわと湧いてくる。
今回はいくらか冷静になれた。冷静というよりも、酔っぱらっていたのが、少し冷めたと言う方が近いかもしれない。
真先に飛びこんできたのは加藤さんのサックスの音。これまでの加藤さんのサックスはやわらかい、どんな大きく強い音を出してもあくまでもやわらかい響きだった。この日の加藤さんの音の押し出しは、これは無かった。パワフルだが力押しに押しまくるのではなく、音が充実していて、ごく自然に押し出されてくる。確信と自信をもってあふれ出てくる。たとえば最盛期のドロレス・ケーンのような、本物のディーヴァの、一見何の努力もせずに自然にあふれてくるように流れでる声に似ている。力一杯でもない。八分の力ぐらいだろうと見える。それでもその音はあふれ出て空間を満たし、聴く者を満たす。
次に浮かびあがったのは Ayuko さんの声。谷川俊太郎の「生きる」に立岩潤三さんが曲をつけた、というよりもその曲をバックに自由に読む。後のMCでは読む順番もバラし、自由に入れかえていたそうだ。普通に朗読するように始まったのが、読む声も音楽もいつしかどこまでも盛り上がってゆく。いつもの「星めぐりの歌」は、これまでいろいろ聴いたなかで最もテンポが遅い。そして、ラスト、立岩さんの〈Living Magic〉のスキャット。
そこまではわかった。らしい。アンコールの〈エーデルワイス〉が歌いおさめられると、やはり夢から覚めた。ふっと、われに返る。立岩さんが何をやっていたか、shezoo さんが何をやっていたか、覚えていない。あれだけダイナミック・レンジの広い各種打楽器の音が配信できちんと伝わるだろうか、いや、このシンバルを生で聴けてよかったと思ったのは覚えている。〈Moons〉のピアノのイントロがまた変わったのもぼんやり浮かんでくる。
ライヴ、生の音楽をそのまま体験するのは、やはり尋常のことではないのだ、とあらためて思いしらされる。音楽の送り手と受け手が、その音楽が鳴っている空間を共有することには、時空を超越したところがある。非日常にはちがいないが、読書や映画やゲームに没頭するのとは決定的に異なる。パフォーマンス芸術ではあるが、演劇や舞踏の劇場空間とも違う。何なのだろう、この異常さは。
あたしはたぶんその異常さに中毒してしまっているのだ。ライヴの全体に漬かってしまって、ディテールがわからないのは、禁断症状の一種なのかもしれない。もう少しまた回数を重ねれば、靄が晴れてきて、細部が聞えるようになるのだろうか。
このライヴは同時配信されて、まだ見ることもできるが、見る気にはなれない。以前はライヴはそれっきりで、再現のしようもなかった。そしてそれで十分だった。いや、一期一会だからこそ、さらに体験は輝くのだ。
ライヴの配信、あるいは配信のみのライヴというのは、また別の、新しい媒体なのだ。まだ生まれたばかりで、手探り、試行錯誤の部分も大きい。梅本さんから苦労話もいろいろ伺ったが、おそらくこれからどんどんそのための機材、手法、インフラも出てくるだろう。それはそれでこれから楽しみにできる。
しかし、ライヴの体験は、その場で音楽を共有することには、代わるものがない。COVID-19は世界のもろさをあらためて見せつけている。世界は実に簡単に、派手な効果音も視覚効果もなく、あっさりと崩壊する。その世界のなかで、生きていることの証としてライヴに行く。それができることのありがたさよ。
この日はハロウィーン。そしてブルー・ムーン。雲一つない空に冷たく冴えかえる満月に、思わず遠吠えしそうになる。(ゆ)
夜の音楽
Ayuko: vocals
加藤里志: saxophones
立岩潤三: percussion
shezoo: piano
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