元旦
昨年最後の記事に書いた安田均さんの著書に、コロナの給付金でどーんと100冊本を買った、とあるのに刺激されて、またやたら本を買いだした。あたしが買うのは英語の小説、それもSFF、サイエンス・フィクションとファンタジーが大部分だ。日本語の本は図書館で借りられる。英語の本、それもあたしが読みたいと思う本が揃っている図書館は存在しない。そういう図書館を誰か作ってくれないか。持ってる本をそっくり寄贈するからさ。あたし? あたしは図書館を作って運営するより、読んでいたいのだ。
そんなに買ったって読めないでしょ、とかみさんに言われる。そんなことはわかってる。しかし、買わなきゃ読めないのだ。誰も貸してはくれない。そうか、愛好者の間でクローズドで洋書を貸し借りできるSNSを作るという手もあるか。いや、やっぱりダメだ。常に手許にあることが大事なのだ。読むのに好きなだけ時間がかけられることが大事、好きなペースで読めることが大事なのだ。ある時は興にのって一気読みする。ある時は1日に中短篇を1篇ずつ、長篇の1章ずつ、舐めるように読む。
電子版? あたしは長篇をディスプレイで読めない。2、3冊、それも短かくはないものを読んだが、眼が疲れてしかたがなかった。ブルーライト・カット・フィルムは貼ってあるが、画面そのものが疲れる。それに佳境で電池が切れることもあった。アンソロジーや雑誌は電子版にしているが、長篇はダメだ。あたしには紙が必要なのだ。紙の本を読むのに、外部装置は要らない。肉体に備わったハードウェアと頭の中のソフトウェアがあればいい。こういうメディアは他にない。音楽も、動画も、鑑賞するには再生装置が別に要る。人間がその肉体だけで再生し、愉しむことができるのは紙の本だけだ。その利点を進んで放棄するのは愚かというものだ。
もう一つ。紙の本はどこからでも買える。あたしが買うのは英語圏からだが、イギリス、アイルランド、アメリカ、カナダ、オーストラリア、インドから買ったこともある。ところが電子本は国境に阻まれる。買おうとすると、おまえの地域では売らないよと言われることがママある。その本を読もうとすれば、紙の本を買うしかない。そして、紙の本は買えるのだ。
かくて、紙の本を買うことになる。ネット上には BookFinder というまことに便利なサイトがあって、世界中の本屋の在庫がわかる。その中から一番安いものを注文する。ただし、わが国のアマゾンに出ているものはここには出てこない。Amazon.com、Amazon.uk、Amazon.ca などにある本は出てくるが、Amazon.jp に出品されたものは出ないのだ。そして時にはアマゾンで買う方が安くなることもある。
BookFinder は AbeBooks とか Biblio.com とかの本屋の集合サイトの横断検索サイトだから、元々これらのサイトに登録されていない本屋やタイトルは出てこない。こないだも Mark V. Ziesing が、近々、そうしたサイトに登録するのはやめるから、直接自分とこのサイトを見るか、カタログ請求してくれ、と言っていた。こうした集合サイトはそこを通じて本が売れると手数料をとる。その分、値段は高くなる。ザイシングは少しでも安く売りたいから、登録をやめるのだと言う。
ザイシングはSFF、ホラー、それに weird な文学に特化しているから、グローバル・サイトと縁を切れるのだろう。ネットが無い頃は、ここにはずいぶんお世話になった。かれらが出版していた本もほとんど全部買っている。先日、Micheal Swanwick が NESFA Press から出した作品集 Moon Dogs を買おうとしたら、ここのが一番安かったので、実に久しぶりに注文した。
スワンウィックを読みだしたのは The Periodic Table Of Science Fiction という大傑作ショートショート集をたまたま読んだからだ。元素周期表に載っている元素一つひとつをネタにしたサイエンス・フィクション、ファンタジー、ホラ話が詰まっている。どれも500語以内、単行本でだいたい見開き。全話ネット上で読めるが、PS Publishing が出した新版で1日1本ずつ読みながら、唸り、笑い、膝を打ち、大いに愉しんだ。どこか、翻訳、やらせてくれないか。
スワンウィックにはもう一つ、ゴヤの版画集 Los Caprichos の版画1枚ずつをテーマとしたショートショート集 The Sleep Of Reasons もある。こちらはファンタジーというよりも寓話の趣。オンライン・マガジンで発表されたのみで、単行本にまとめられてはいないが、こちらもなかなかの力作。とまれ、これでスワンウィックを見直した。
というわけで、元旦に注文したのは Joshua Phillip Johnson の長篇デビュー作 The Forever Sea。草の海でできた異世界を渡る帆船の話、らしい。DAW Books からのハードカヴァー。これ以前には ISFDB によれば2016年1月にオンライン雑誌の Metaphorosis に発表した短篇が1本あるだけ。まったくの不見転。
これも最近、気がついたことだが、DAW Books は新人の発掘と育成が巧い。アメリカの大手出版社がコンピュータによる売上データだけを頼りに、新人を育成するより潰すことに精を出している一方で、DAW は流通と宣伝は Penguin Randam House と提携しながら、編集に関しては共同発行人の Betsy Wolheim と Sheila E. Gilbert の二人ががっちり握っているからだろう。DAW Books が出発した1970年代はまだ Ace や Ballantine、Pocket や Bantam といった老舗が各々独立の出版社で元気だったから、あまり上品とは言えない黄色が基調の装幀の DAW はあざとい、ダサい印象が強かった。
DAW はもちろん創設者の Donald A. Wolheim の頭文字で、長いこと Ace の編集者を勤めて独立したわけだ。同じ Ace でもより先鋭的な Ace Science Fiction Special を担当したのは Terry Carr で、ウォルハイムは比較的娯楽色の強いものを出していたのを、DAW でもそのまま引き継いだように見えた。ウォルハイムは伊藤典夫さんが SFM に連載したエッセイで悪役としてとりあげられていた印象もあり、DAW はいわばB級版元とあたしなどは見なしていた。しかし、前世紀末から始まった大手出版社の寡占化が進み、それに伴って新人の育成が編集者の手から経理や営業担当の手に移ってくると、DAW の独立性は際立ってくる。
DAW はもちろん創設者の Donald A. Wolheim の頭文字で、長いこと Ace の編集者を勤めて独立したわけだ。同じ Ace でもより先鋭的な Ace Science Fiction Special を担当したのは Terry Carr で、ウォルハイムは比較的娯楽色の強いものを出していたのを、DAW でもそのまま引き継いだように見えた。ウォルハイムは伊藤典夫さんが SFM に連載したエッセイで悪役としてとりあげられていた印象もあり、DAW はいわばB級版元とあたしなどは見なしていた。しかし、前世紀末から始まった大手出版社の寡占化が進み、それに伴って新人の育成が編集者の手から経理や営業担当の手に移ってくると、DAW の独立性は際立ってくる。
ウォルハイム自身は第二次世界大戦後のニューヨークでSFファン活動を始めた第一世代に属し、アシモフやポールやコーンブルースなどとやりあった口だ。小説にも手を染めたが、本人は作家は性に合わなかったのか、編集業に身を入れる。「スターウォーズ革命」まではSFの単行本出版はマス・マーケット版のペーパーバック・オリジナルがメインだったから、ウォルハイムもペーパーバック畑一筋だった。短かめの長篇2本を背中合わせにした Ace Double はウォルハイムのアイデアだし、1965年の『指輪物語』の「海賊版」騒ぎもウォルハイムが張本人だ。後者についていえば、アメリカの当時の著作権法の穴をついて、著者の承認無しに出したのはいただけないとしても、当時誰も注目していなかったこの作品をいち早く評価したその慧眼には素直に敬服すべきだろう。これがきっかけで二の足を踏んでいた著者にペーパーバック化を決断させ、結果的にその後のアメリカの文化、ひいては欧米や日本の文化に巨大な流れが生まれた。編集者から見た場合、第二次世界大戦後のアメリカのSFF界はキャンベル、バウチャー、ゴールドなど雑誌が主導するが、単行本出版でこれを支えたのがウォルハイムだった。
1985年に DAW が初めて自らハードカヴァーを出す時、その編集を娘のベッツィ(エリザベス)に任せたのも、自分はペーパーバック編集者でハードカヴァーはわからないから、という理由だった。ちなみにこのハードカヴァーとはタッド・ウィリアムスのデビュー作『テイルチェイサーの歌』Tailchaser's Song だ(この時ハードカヴァーとして出したのは2点でもう1点はC・J・チェリィの Angel With The Sword)。猫が主人公で人間が出てこないこの長篇は、どこの版元からも断られていたのを、自分も猫好きのウォルハイムが引受けたものだ。ウィリアムスは同時に後に Memory, Sorrow and Thorn となる三部作の原案をベッツィ・ウォルハイムに示し、ベッツィと彼女が頼みこんで DAW に引き抜いたシーラ・ギルバートがこれをベストセラーへ育てる。
ウィリアムスもその一例だが、DAW でデビューしたベストセラー作家は多い。C・J・チェリィ、マリオン・ジマー・ブラドリー、マーセデス・ラッキー、ケイト・エリオット、マイク・レズニック、ジェニファ・ロバソン、パトリック・ロスファス、メラニー・ローン、C・S・フリードマン、最近ではンネディ・オコラフォーやショーナン・マガイア。タニス・リーをアメリカで出していたのは DAW である。リーばかりではない、リチャード・カウパーやマイケル・C・コニィ、D・G・コンプトンなど、イギリスの当時新しい潮流の書き手をアメリカに紹介したのも DAW だ。ムアコックも出しているし、ストルガツキー兄弟もいる。Tanya Huff、Michelle West、Julie Czernada など、カナダの作家も少なくない。女性作家の起用、アメリカだけではない多様化という現在の流れを、とうの昔に先取りしていた。そして特徴的なことは、皆、DAW を離れない。ドナルド・ウォルハイムは一見古臭く見えて、その実、David G. Hartwell と並ぶ名編集者だったとあらためて見直さざるをえない。そしてその遺伝子はベッツィとシーラ・ギルバートに受け継がれている。
英語圏の出版社の寡占化による新人作家育成の変化は、デビュー作はたくさん出るが、2冊めはがくんと減り、3作めはほとんど無いという結果を生んだ。そしてその結果、自己出版が花盛りとなる。自己出版された小説は、SFFとは限らず、ありとあらゆるジャンルのものが出ているし、これを対象とした文学賞もすでにいくつもある。ネビュラ、ヒューゴーは昔から対象にしている。SFWA は自己出版のみで作品を発表している書き手にもメンバーになる門戸を開いている。あえて出版社とは縁を切り、エージェントだけを相棒にして自己出版で出している人もいる。そして、自己出版した作品が口コミでベストセラーとなり、大手出版社が飛びつく現象はあたりまえになった。
これにはもちろんテクノロジーの進展も寄与している。今や、海の向こうで出ているものを注文すると、国内で印刷・製本されて翌々日には届いてしまうのだ。モノとしてのクオリティは、大手出版社から出ているものとまったく変わらない。かつて自分で本を出そうとすれば、原稿だけでなく、本そのものを編集、(紙代を含め)制作するコストも負担する必要があった。あたしが宮仕えしていた会社にも自費出版の部門があり、その頃、1冊出す費用は500部ベースで100万だった。わが国の自費出版は、従来、句集、歌集、詩集、学者の著作、回想録などがメインで、これだけで食べているマイナー出版社も少なくないし、大手版元でも自費出版部門がある。ハデな宣伝で原稿と資金を集めて問題になったところもある。しかし、今やオンデマンド印刷・製本で、1部から販売することができる。電子版なら、さらにコストは下がるだろう。編集・校正や装幀・ブックデザインという作業を別にすれば、自分の書いたものを出版することは、場合によっては YouTube に動画を上げるよりも簡単になった。
したがって出版社にとって、編集と校正、装幀とブックデザインは従来以上に鼎の軽重を問われることになる。そして今や4つになろうとしている大手出版社ではそこの主導権を握るのが、編集部ではなく、経理部や営業部になっている。ここを編集部が握っている DAW Books があることはSFFにとって幸運と言わねばならない。
SFFではもう2つ、編集部が主導権を握っている版元がある。Tom Doherty の Tor と Jim Baen の Baen Books だ。後者は冒険、ミリタリーSFFのサブジャンルに力を入れて、賛否はともあれ、独自のカラーを出している。この分野の古典の電子化にも熱心だ。前者は世界最大のSFF出版社を謳っている。出している小説の点数や質、売上からすれば、その看板に偽りは無いだろう。編集の独立性も一応確保している。が、コングロマリットの一角に組込まれてもいる。
Tor はその公式サイト Tor.com の記事の質と量からしても、ここからスピンアウトした Tordotcom Publishing のノヴェラのラインにしても、SFF界のリーディング・カンパニーとしての自覚を持って奮闘していることは認めねばならない。Tor.com も Tordotcom Publishing も、親会社からの編集権の独立を確保する方策の一つと見ることもできる。一方で、ハートウェルの死後、その衣鉢を継いで、例えばジーン・ウルフやディレーニィ、M・ジョン・ハリスンのような書き手を大事にしてゆくか、あるいはかれらの後継者を育ててゆくかは、定かではない。実際、ディレーニィの最新作 Through The Valley Of The Nest Of Spiders の初版はミニ出版社からで、昨年出た改訂版は自己出版だ。ディレーニィの1962年のデビュー作 The Jewels Of Aptor は Ace Double の1冊(カップリングは James White)。とすれば、ウォルハイムがからんでいただろう。
ベッツィの回想によれば、もともとドナルドが DAW を立ち上げたのは、先の目論見があったわけではなく、Ace Books の「大企業化」に嫌気がさして辞めた後、当時メジャーの一角だった New American Library に誘われたからだった。どんな形でもいいという NAL に、ドナルドは物流と宣伝は任せるが、編集、デザイン、作品選択は完全に握るグループ内の独立会社を提案し、NAL が受け入れた。NAL がその後 Penguin Random House に吸収されても、その形は変っていない。
もう1つ、ドナルドはそれまでに前衛(ウィリアム・バロゥズの最初の著作はかれの編集)からゴシック・ロマンスまで、ありとあらゆるジャンルの本、小説だけでなく、料理本まで編集していたが、本当に好きなのはSFFだった。だから自分の名前を冠する出版社としてはSFF専門にする。SFFのペーパーバックだけを専門とした出版社はそれまで無かった。時は1972年。『スターウォーズ』は遙か先、SFWAはできて7年め。SFFはまだまだ少数の熱心なファンに支えられたマイナーなジャンルだった。それを専門とする出版社に成算はあるのか、誰にもわからなかった。それが来年創設50周年を迎える。ジム・ベインもトム・ドハティも、DAW の成功に刺激されて各々の会社を始めている。いや、かれらだけではなく、Subterranean Press も Small Beer Press も PS Publishing も、DAW の恩恵は間接的に受けている。
Joshua Phillip Johnson はその DAW からの今年一発め。今月19日発売。紹介をみればまずまず面白そうなファンタジー。ならば、読んでみようじゃあないか。
ということでやって来ました。なかなかの表紙。著者は謝辞で英国版カヴァーも誉めたたえているが、あたしの眼には正直、近年の英国のSFFのカヴァーはひどいものに見える。Adrian Tchaikovsky など、気の毒なくらいだ。かつて、Panther Books、Fontana Books など、アメリカ版が泥臭く見えてしかたがなかったあの質の高さはどこへ行ったのか。

それはさておき、読みだしてみれば、これはどうやら枠物語。冒頭、謎めいた「語り部」の老人が登場し、真暗闇の中、細々と生きている人びとの唯一の娯楽としておもむろに語りだす、その話が本篇。その時、主人公 Kindred Greyreach は弱冠22歳、いずれ全てを失うことになるとはまだ知らず、開幕シーンで彼女は歌っている。それがカヴァー表4に大きく印刷されたうた。涯の無い草の大海原に船を浮かばせ、風の力と合わせて推進する魔法の火のキーパーが火に向かってうたう。では、行ってきます。(ゆ)
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