T. R. Napper, Neon Leviathan、Samuel R. Delany, A, B, C: Three Short Novels、Siobhan Miller の CD3枚着。

 ディレーニィの Letters From Amherst を我慢できずに読みだす。最初に収録されている1本。1989年2月21日付け。これがもうとんでもなく面白い。序文でナロ・ホプキンソンが、初めてディレーニィ本人に会った時、あの長く、複雑で、恐しいまでの博識に支えられた文章と同じようにしゃべるのではないかと恐れていたが、実際にはごく普通に、わかりやすくしゃべるのでほっとした、と書いているように、書簡では直截的、簡明な文章を書いている。それにしても、よくもまあこれだけ細々と日常生活を手紙に書くものだ。ディレーニィの書簡集が出るのはこれで2冊めだが、書簡と日記だけで生涯に起きていることはほぼカヴァーできるのではないかと思えるほどだ。性生活についてもあっけらかんと書いていて、あまりにあたり前に書いているので、うっかり読みとばして、ん、まてよ、今のはひょっとして、と戻ったりもする。あるいはディレーニィにとっては、書くこと、食べること、おしゃべりすることとセックスすることはまったく同等のことなのかもしれない。もっとも、セックスを特別視する方がヘンだとも言える。

Letters from Amherst: Five Narrative Letters (English Edition)
Delany, Samuel R.
Wesleyan University Press
2019-06-04


 この手紙のメイン・イベントの一つはジュディス・メリルが避寒にカリブ海に行く途中でニューヨークのディレーニィのアパートに数日滞在した話だ。ちょうど彼女の67歳の誕生日で、その日の昼食はトーマス・ディッシュととる約束で出かけてゆく、その直後にディレーニィのもとにメリルの孫から電話が入る。曾孫が生まれたのだ。メリルがニューヨークに滞在したのは、そのためもあった。この孫の母親はメリルがフレデリック・ポールとの間にもうけた娘。その昔、ポールを振ったメリルがウォルター・M・ミラーとフロリダに潜んでいるところへポールが3歳の娘を連れて乗りこんでくる。たちまち大立ち回りとなり、ポールの眼鏡がふっ飛んで粉々になる。眼鏡なしでは盲同然のポールが床を手探りしながら這いまわっているところへ、その眼鏡の破片を集めて「はい、パパ、ここにあるよ」と差し出したのがその娘。それが成長して今やお祖母さんになったわけだ。写真で見ると若い頃のメリルは目のさめるような美人だから、当時の若い男性作家たちがとりあって殴り合いの喧嘩をしたのも無理はないかもしれない。

 この話には後日譚があって、この娘の親権をめぐってポールとメリルは裁判沙汰になり、結局メリルは負けるのだが、その裁判がキングスリー・エイミスの『地獄の新地図』に深刻な影を落としている、というのにも大笑いする。もっとも、ポールとメリルは離婚後も仲は良く、ディレーニィはマリリン・ハッカーとの距離を顧て、うらやましそうでもある。

 メリルはなにせ The Futurians のメンバーだったわけで、ここにもその一端は記されているが、その頃の話にも滅法面白いものがごろごろある。デヴィッド・ハートウェルがメリルに自伝を書かせようとし、本人もまんざらではなさそうだったことも出てくる。書いたけど、出せなかったのか、ついに書かれなかったのか、たぶん、後者だろうが、返す返すも惜しい。

 この調子であと4本、1本は平均して25ページはある。ノヴェレットの長さだ。もちろん、こういうゴシップばかりではなく、チケットをプレゼントされて娘のアイヴァとブロードウェイに見に行ったロイド=ウェバーのミュージカル『オペラ座の怪人』とその原作についての痛烈な批判もある。それはもう相手がかわいそうになるくらい痛烈だが、受けとる印象は不思議に肯定的で、読んでいて不快になるどころか、さわやかな気分になる。ひょっとするとこの辺りがディレーニィが愛されるポイントなのか。

 有名な「人種差別とサイエンス・フィクション」でも、言っていることは深刻で重大で衝撃的でもあるが、全体の印象は不思議に明るい。あそこに出てくる、ディレーニィがネビュラを二つ同時に受賞した時に、そのレセプションの挨拶で受賞作を含めて「最近の若い書き手とその作品」を散々にこきおろしたSF界の著名人はフレドリック・ポールというのが、The Atheist In The Attic Plus…所収のインタヴューで明かされている。このインタヴューによると、ポールはレスター・デル・リィの意見をもとにこのスピーチをしたのだが、自分ではまだ問題の作品『アインシュタイン交点』を読んではいなかった。後日、自分でも読んでみたところ、大いに気に入ってしまった。以後、ディレーニィの最も強固な支持者の一人となった。実際 Dhalgren は Bantam Books の Frederik Pohl Selection の1冊めとしてペーパーバック・オリジナルで世に出る。ちなみにこの Frederik Pohl Selection の2冊めは Sterling E. Lanier の隠れた傑作 Hiero's Journey。
 まあ、手紙だから、あまり相手に不快な思いをさせないようにという配慮もあるかもしれないが、一方、手紙というのは地が出るものでもある。それにしても、こんな面白い手紙ばかり、というわけではまさかないよなあ。


 風が冷たく、散歩で風邪をひきそうになる。お伴は Show Of Hands, Live, 1992。1992-06-08 の Bridport は The Bull Hotel でのライヴ。Bridport はイングランド南岸、ドーセットの港町で、ドーチェスターとシドマスのほぼ中間。ショウ・オヴ・ハンズがローカルからイングランド全土に知られはじめていた、バンドとして最初の飛躍の時期だろう。初めてのCDリリースで、あたしもこれで知った、と言いたいところなのだが、記録によるとこれを手に入れたのは1996年。1996-03-24 のロイヤル・アルバート・ホールでのライヴを収録したアルバムが出たのを The Living Tradition で知り、そのCDをあの雑誌のCDショップ The Listening Post で買ったのがどうやら最初らしい。そこから Lie Of The Land、Beat About The Bush、Backlog 1987-1991、そしてこの Live と遡っていったようだ。

Live 92
Show of Hands
Imports
2014-01-21


 上記ロイヤル・アルバート・ホールのコンサートは「無謀」と言われながら、いわば乾坤一擲の賭けに出て、ものの見事に完売御礼、CDでもその実力のほどを十二分に発揮して、イングランドのルーツ系のトップ・アクトに躍りでた。

 だがそれはまだ4年先。とはいえ、この時点でショウ・オヴ・ハンズとしてのスタイルはほぼ確立している。伝統歌がまだ多く、オープニングの Silver Dagger や Bonnie Light Horseman、珍しくナイトリィがソロで歌う Low down in the Broome などハイライトだ。Blind Fiddler はフィル・ビアの十八番になる。一方でショウの根幹はオリジナルで、定番というよりかれらを代表する曲になる Exile や Santiago、あるいは  Man of War といった曲が強い印象を残す。セカンド・アルバムからの Six O'Clock Waltz がちょっと面白い曲で、この側面は聴き直しての発見。

 Exile では Polly Bolton がゲストで声を合わせていて、この曲を聴くのはこれが初めてだったから、さらに印象が強くなった。ボルトンを知ったのも、この録音がきっかけだったかもしれない。これはカセット時代のナイトリィのオリジナルでも断トツの曲、ショウ・オヴ・ハンズのレパートリィ全体でも一、二を争う、存在自体がほとんど奇蹟のような歌だ。Exile は一般的には「亡命者」と訳されるけれど、自分にはどうにもならない力で故郷から追われたすべての人間の謂だ。帰りたくても帰れない人びと。

 演奏でまず目立つのはナイトリィの声の若さで、ハリがあり、よく伸びる。さすがに今はここまでの伸びはないようだ。ショウ・オヴ・ハンズの成功の鍵の一つはナイトリィのヴォーカルにあることは確かで、ビアのフィドルやギターによってそれを盛りたてるのが基本的な構図。芯が太く、表面硬質だが中身は柔かく、わずかに甘い声で、突きはなすように歌うのが快感。ビアのちょっとひしゃげた、とぼけたところのある歌唱とは対照的でもある。

 地べたを這いまわり、泥の中でもがきつづけた末に、あるべき形、自分たちの「声」と技をベストに活かすフォームを探りあてた、いやまだ確信ではない、探りあてた手応えを感じているだけだ。その意味ではこれはまだ「若書き」であり、粗削りでもある。それが確信に昇華するのが1996年3月のロイヤル・アルバート・ホール公演だろう。とはいえ、この遙かに小さな会場でのアット・ホームなギグこそはかれらのホーム・グラウンドだ。後のビデオにあるように、ヴァンに楽器と機材とCDを積み、自ら運転して、友人たちの家に宿を求めながら、地道にこうした会場を回ることで、確固たるファン・ベースを築いていった、その出発点。やはりこれこそがショウ・オヴ・ハンズの本当の意味でのデビュー作であり、だからこそ、ここにはかれらの全てがある。

 リスニング・ギアは FiiO M11Pro にピチップを貼った KOSS KSC75。(ゆ)